山上徹也とか木村隆二という名前を出しても、「誰だっけ」という反応が返ってくる。
「テロ事件の犯人をマスコミが取り上げすぎると模倣犯がでてくるので、報道は自粛しましょう」という空気感。
しかしこのような対応は、逃げの姿勢ではなかろうか?
臭い物に蓋をすれば問題が解決するわけではない。
襲撃されて一命をとりとめた大学教授の宮台真司さんの発言が胸にずしんと来る。
「巷には、襲撃事件の背景を論じると犯人の免罪につながるとの議論がありますが、背景を論じて手当てしない限り、同様の事件を蔓延させる悪い社会は改まりません」
(二つの事件に)「共通して、何でも話せる仲間がいれば止めてもらえたはずです」
二人の容疑者を見ていて感じるのは「生活感」が薄いということだ。
他者との接触を避けてネット空間に浸っているうちに妄想が肥大化していく、そして何の躊躇もなく現実の行動に移す。
この日本は「テロの季節」に足を踏み入れたのではないかという危惧を持つべきだ。
背景を論じることをタブー視すれば、1930年代の日本が再現する可能性もあるのだ。