行雲流水の如くに

「桜を見る会」で露見したこの国の精神の劣化。

19世紀英国の歴史家、トーマス・カーライルは次のように述べた。

「この国民にしてこの政府あり」

萩生田文科大臣の発言ではないが「我々は身の丈に合った政府」しか持てないようだ。

 

民主党政権の時に鳩山内閣は「桜を見る会」を開いた。

その時の案内状を見ると、この時までこの国が維持していた「まともな精神」が垣間見られる。

明らかに劣化が始まったのは第二次安倍政権以降である。

 

※案内状の招待範囲について(BSTBS 報道19:30による)

「その他各界の代表者」となっている。

「その他各界の代表者等」などというまやかしの文章になったのは第二次安倍政権以降である。

 

※名簿公開について

名簿公開はあり得るとはっきり明記している。

一方安倍政権では、野党から質問があった翌日に破棄するという姑息な手段をとっている。

 

※招待者の推薦について

招待者の推薦については「国民から疑念を持たれないように十分考慮して招待」とはっきり明記している。

今回の安倍政権による「桜を見る会」において、自分の選挙区の後援者を大挙して850人も呼ぶことが、何の問題もないと言えるのか?

もしそう思う人間がいるとしたら、国の税金を使って行う、かつ公平であるべき「桜を見る会」は恣意的に運用をしてもよいというのだろう。

 

辛坊治郎なるフリーアナウンサーがいるが、公共の電波を使って暴言を吐いている。

大阪ABCラジオ「週刊ニュース解説 辛坊治郎のズバリ&どうよ」

「今週、国会とマスコミを見ていてつくづく嫌になった。俺。本音で。ほんとね、なんだお前ら。びっくりするよ」

「野党はバカ」、「東京の政治部バカ」

さらに他のテレビ局で、おそらく野党の国会議員と在京のマスコミに対してだと思うが、

「お前らやることちゃんとやれ」

 

自分を何様だと思っているのだろう?

ヨットで太平洋を横断すると称して、大騒ぎして途中で救助を仰いだ単なる「船乗りのおっさん」だ。

このレベルの人間が,公共の電波を我が物顔で語ること自体、「語るに落ちる」というのだろう。

ジャーナリストの本分は「権力批判」である。

おかしいことはおかしいと言わねばならない。

権力におもねて、太鼓持ちをするようでは、この国の政治はますます劣化する。

 

「桜を見る会」問題を幕引きさせてはいけない。

安倍内閣の「幕引き」にすべきであろう。


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