行雲流水の如くに

万葉の世界に遊ぶ

日本の建物や庭は、ヨーロッパのものとは違って非対称が多い。

あまりに整っているものを必ずしも好まない。

「可愛い」という言葉は、成熟した美しさになる前の未完の美をあらわしている。

次の歌などはまさに「かわいい」と感じるのだが。

 

春の苑 紅(くれない)にほふ桃の花 下照る道に出で立つ少女(おとめ)   

 大伴家持

これは北陸富山の国守の館で、1枚の絵を見て作った歌だという。

 

クラブアップル(りんご)

北海道では5月から6月にかけて花を咲かせる。

桜の花のような成熟した美というよりは、その手前の未完の美を楽しむ感じだろう。

 

大伴家持は万葉集を編纂したのだが、もともとは武門だったという。

まさに文武両道ということか。

だが次のような歌の中にやや厭世的な匂いが感じられるのはなぜなのだろう?

 

うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思えば

 

卯の花(ウツギ)

純白で鐘型の花を咲かせる。この花を見ていると少し感傷的になる時がある。


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コメント一覧

megii123
文化系さん
邪馬台国から古墳時代を経て大和政権に至る過程は、本当にロマンの香り高く、いろいろ想像すると興味がどんどん湧いてきます。

大伴旅人も大伴家持も変に気取ったところがなく、ご指摘のようにわけのわからぬ政治家連中より数段まともですね。

「徳川300年」という生き方を我々はもう一度見つめなおす必要があるのではないでしょうか?
家康は、「持続可能性」ということをとことん考えていたような気がします。
文科系
 こんなことを感慨深く考えていたことがあります。
 大伴家は、旅人の時代に出世貴族街道脱落という意味で、傾き始めた、とか。そして、家持が若い頃からはもう、それが確定したも同様、とか。旅人の失意は特に大きく、それが色んな歌に顕れている。家持はその分、初めから文に励んだ? 
 ところが、今から観れば、彼らを蹴落とした政治家連中よりも、二人の歌の方がはるかに大きく歴史に残っているのではないか。こんな意味でも、文は武よりも強しというのか・・・、政治家など「低く観られるべき」「栄華の巷」なのではないか、とか・・・

 にしては、日本の歴史好き男どもは信長、秀吉、家康が好きですよね。ただ、明治維新をもたらすことに繋がった「徳川300年」は、人を殺しすぎた戦国を身をよじるようにして生き延びた家康の執念が作ったもの?などと考えれば、この新自由主義世界に生きる人間たちにも、少々の希望が持てますが、はて?
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