行雲流水の如くに

「無為自然」という生き方ーー資本主義の限界を考える

「上善如水」という日本酒がある。

日本酒の味を楽しむのも良いが、そのつけられた由来を考えるのも良いものだ。

老子は水に最上の善を見出した。最上の善とは、争いを避けて生きること。

 

論語にも「無為の治」という言葉がある。

人徳ある施政者であれば、ことさらの政治的手段をとらなくても、有能な人材を得て自然に世の中が平和に治まることを言う。

この言葉は老子の自然体に比べて、やや人間臭いところがある。

 

翻って我が国の安倍・菅・二階のトリオによる「嘘にまみれた治」は、怒りよりも情けなさが先に立つ。

「GOTOトラベル」に固執したがために、コロナ感染者が歯止めなく増加している。

だいたい国が補助金をつけて遊びまわれ、などという政策がいかに品の無いものなのか理解できないようだ。

 

資本主義の中核をなす「成長万能主義」で走り込んだ結果、いまや地球そのものが悲鳴を上げている。

その悲鳴が聞こえないのは、欲望とか権力に脳細胞が支配されているからだ。

「成長万能主義」は、一部の勝者が総どりする形に収れんする。

どこかで歯止めをかける必要があるのだが、おそらく今のようなカネにまみれた自民党では難しいだろう。

 

平成の初期まで続いた「日本型資本主義」は、形の上では資本主義だが中身は社会民主主義だった。

要は資本主義の欠点(格差拡大)を極力抑えるやり方、すなはち経営者も含めて皆が中流に甘んじるところにあった。

しかしその美風も「非正規雇用の拡大」という国民の分断政策により(アメリカの圧力もあった)崩壊した。

 

今日は寒波が襲来中だが、風もなく比較的穏やかな元旦を迎えた。

家の窓から初日の出を拝む。


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