慶長20年(1615年)徳川家康は大阪夏の陣(5月)において豊臣方を攻め滅ぼした。
これにより応仁の乱以来、150年近く続いた軍事衝突が終了した。
7月には元号を元和と改め天下の平定が完了したことを広く宣言した。
偃武とは武器を偃(ふ)せて武器庫に収めることをさす。
家康は武家の倫理を示した元和令を発布した。(十五条まである)
第一条 文武弓馬の道、専ら相嗜むへき事。
(文武と説いているところが肝だろうか)
第二条 群飲佚游(いつゆう)を制すへき事
(400年近くたっても人間のすることは変わらないものだ)
(酒を飲んで秩序を乱すこと)
第六条 諸国の居城、修補をなすと雖も、かならず言上すへし。況や新儀の構営堅く停止せしむる事。
ここにうかがえるのは、家康が大きな覚悟をもって平和国家を建設していこうとする試みだ。
12月21日が冬至だった。
冬至が過ぎると何となくほっとする。
太陽が陰から陽に転じるからだろうか?
江戸期の社会の根底を支えていたのは、持続可能な仕組みを尊重することだった。
要するに「過度な成長」を望まないということだ。
我々はもう一度、江戸時代に学ぶべきなのではなかろうか?
薔薇(セレッソ) 作出国 日本
大輪のバラも見事だが、中輪で多花性のバラも好ましい。