1年で本当に好きなのはクリスマスまでの1週間だな、と思う。それを過ぎるとたちまちお正月が押し寄せてくる。子供の頃は賑やかな大人数の生活をしていたせいかお正月は大好きだったが、大人になり、結婚して子供を持ち、仕事をして生活を支えるとなると長い正月休みが負担で仕方なかった。
今は子供も大人になり、生活も私達夫婦(ジジババ2人)が生きて行くだけなのでたいしたことはないが、子供達が学生の頃は、休み明けに「お母さん定期代!」とか言われるのが恐ろしかったものだ。
自営業は有給などは無く、休めば休んだだけ収入が無いのだから、毎年1月、2月は住宅ローンの返済などでも頭が痛い。それは今も同じ。
私の子供のころ(昭和40年代)は、お正月は風情があった。私の家は街角の喫茶店で、暮になると地元の鳶の頭(かしら)が店の入り口の横に小屋を建てて正月の御飾りやしめ縄を売った。ブリキの一斗缶で焚き火を焚きながら、半纏姿の職人さんが御飾りを作ったりしめ縄を並べたりしていた。
頭(かしら)や鳶の職人さんたちは交代で店番をしながらうちの店でコーヒーを飲んで世間話をしたりしていた。店先を借りる挨拶がわりにとみかんが箱でとどけられたりした。鳶の頭の小屋にはご祝儀のお酒を持ってくる人もいた。
鳶の職人さん達は商店街の門松を立てたりもした。東京の私の地元あたりは高い竹を家の両側に立て、その脚元に松をくくる。そして両側の竹と竹の間にしめ縄を吊るす。
それが通りにズラッと並んでる様子は壮観で風情があった。雪の正月など、その竹に積もった雪がなんとも美しかったものだ。
今は商店街もそんな風習はないな。
今や商店街でも門松など立てる商店はちらほら…。昔気質のご主人が居るところくらいかな。ウチも地元の鳶の職人さんが跡継ぎが無くて絶えてしまって以来やめてしまった。ああいうのはご祝儀の意味も含めて、日頃からいろいろお世話になっているからこそお願いする…という意味合いがある。
そういう人間関係が廃れることから行事みたいな風習は消えて行くのだろう。
お正月が嫌いになってから、暮は出来るだけ普通に過ごしたいと思っている。パーティ気分で、浮かれずに、ただ普通の月末・月初め…というように。お金のやりくりに苦労した経験を積んだ結果、私は、正月は世間の片隅でひっそりとやり過ごすのがよくなった。
すっかり寂しくなってしまったなぁ。
写真はミニ葉牡丹のブーケ風。葉牡丹はなぜか好き。
今は子供も大人になり、生活も私達夫婦(ジジババ2人)が生きて行くだけなのでたいしたことはないが、子供達が学生の頃は、休み明けに「お母さん定期代!」とか言われるのが恐ろしかったものだ。
自営業は有給などは無く、休めば休んだだけ収入が無いのだから、毎年1月、2月は住宅ローンの返済などでも頭が痛い。それは今も同じ。
私の子供のころ(昭和40年代)は、お正月は風情があった。私の家は街角の喫茶店で、暮になると地元の鳶の頭(かしら)が店の入り口の横に小屋を建てて正月の御飾りやしめ縄を売った。ブリキの一斗缶で焚き火を焚きながら、半纏姿の職人さんが御飾りを作ったりしめ縄を並べたりしていた。
頭(かしら)や鳶の職人さんたちは交代で店番をしながらうちの店でコーヒーを飲んで世間話をしたりしていた。店先を借りる挨拶がわりにとみかんが箱でとどけられたりした。鳶の頭の小屋にはご祝儀のお酒を持ってくる人もいた。
鳶の職人さん達は商店街の門松を立てたりもした。東京の私の地元あたりは高い竹を家の両側に立て、その脚元に松をくくる。そして両側の竹と竹の間にしめ縄を吊るす。
それが通りにズラッと並んでる様子は壮観で風情があった。雪の正月など、その竹に積もった雪がなんとも美しかったものだ。
今は商店街もそんな風習はないな。
今や商店街でも門松など立てる商店はちらほら…。昔気質のご主人が居るところくらいかな。ウチも地元の鳶の職人さんが跡継ぎが無くて絶えてしまって以来やめてしまった。ああいうのはご祝儀の意味も含めて、日頃からいろいろお世話になっているからこそお願いする…という意味合いがある。
そういう人間関係が廃れることから行事みたいな風習は消えて行くのだろう。
お正月が嫌いになってから、暮は出来るだけ普通に過ごしたいと思っている。パーティ気分で、浮かれずに、ただ普通の月末・月初め…というように。お金のやりくりに苦労した経験を積んだ結果、私は、正月は世間の片隅でひっそりとやり過ごすのがよくなった。
すっかり寂しくなってしまったなぁ。
写真はミニ葉牡丹のブーケ風。葉牡丹はなぜか好き。
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