高校時代の友人がね、今月、入籍するそうで。それは、とっても御目出度い事柄なわけだけれども。ついに、未婚なのはわたしだけになってしまって。なんだか唐突に、超漠然と。これから寂しい人生を送るんだろうなぁ、わたし…。なんて思ったらば。
連休中だからこそ、ガックリきてしまいまして。ちょっぴり涙し、ちょっぴり憂鬱であります。
というのもですよ。特に連休だからといって、出掛けるわけでもなく。家のことっていったて独り暮らしでさ、しかも、散らかってるのが居てられない人なので、休みだからこそお部屋は整然としてるし。
趣味のヨガに毎日通う「ヨガ・サマディー」って、実はとっても幸せなことなのかもしれないけれど。自分に寄り添い過ぎててね、わたしの場合、自分との距離が近すぎるのよね、それは、距離をとる他者が居ないってだけの話でもあるんだけど。
とっても矛盾してるけれども、寂しいからといって誰かとお付き合いをするとか、はたまた結婚なんて大それた岐路には、とてつもなく立てずに居てて。なので、とにかく自分で食べていくことを考えると、気が遠くなるわけね。
でもね。ここで、これまたよく考えるとさ。わたしは自分のね、今のお仕事がしたいからこそ大学だって大学院にだって進学したわけで。そこにお給料が見合ってるのかっていう問いは、当初から無視してからこそある意味、半ば奉仕化してたり我慢強く居なきゃやってられない現実があるわけだけど。
こないだ、たまたまヨガの帰りに古い友人から電話がかかってきてね。近況報告なんかをしてみてさ。
「あいも変わらず、わが道を邁進しておりますね」
って一言が、ナンだか嫌味か憐みのように聞こえたのね。一時の、自分探し的な放蕩というか浪費というか、そんな時期はとうに過ぎて、今は進むというよりも、進めないから止まるしかないみたいな停滞期というかね。自分にはそんな風に感じられるのよね。
でも、やっぱり。周りの多くは。好きなことをやってきて、好きなことで生活して、好きな趣味をもって、それって幸せじゃないって言うわけで。
それは、ホントに幸せなのかもしれないけども。悲しいかな、そこに満足は出来ないのね。
で。ナニが言いたいのか解らなくなってきちゃったけども…。
人の幸せとか、満足ってさ。ある程度一定量の決まりがあるんじゃないかと思うのよね。どこで幸せを感じるかは、その人次第なんだろうけれども。その方向に向かう決定は、その時々、己の責任に於いてgoが出されるわけで。
で。どっちを選択したとしても、どっちにも失うものはあるはずで。どちらかに迷った時、ああしておけばよかったとか、あっちにしておけばよかったとか。やっぱり、失った時間や事柄に憂いたりすると思うわけ。でもね、現実として今をどうにか乗り越えなきゃいけないから、人間は前を見て歩き続けるのだと思うのだけれども。
そこを独りで歩くか、2人で歩くかは。これって、かなりの大幅な差異があると思うんだよねぇ…。
じゃ、お前、結婚しちまえっ!って言われても。それは、じゃ、そうしようとは簡単に言えない次第でね。だからこその、この自分の揺らぎは堂々巡りのね、自分の幸せ尺度に対する我侭だと自覚してたりさ。
きっとね。わたしって貪欲な人間だから。「究極、こう!」みたいな極みを自分にも課してて←意味不明なんだけど、でも、そんな感覚ってあると思うんだわ。独りで居ることを好んでいるからこそ、独りの生活にあれやこれやと好きなことを持ち込んで、益々、エンパワーされていくんだけども。逆に、2人になったら窮屈でね、1人用の生活スタイルで2人が生きられるわけがないのよね。
こんなことをブツブツと言ってるあたりで終わってまして(笑)。
だからこそ。だからこそ。わたしはね、皆を頼りにしてるのね!ホント、わたし、腹黒く、そして狡猾で、しかも他人には結構クールに接してて、決して性格良いとは言えないけれど。でもね、長いこと友達で居てくれる皆さんに、これからも末永くよろしくお願いしますと声を大にして言いたい!
というか、叫びたい!って思う深夜なのでした…。