(1908年)美人コンテストで末松ヒロ子が一等になる
時事新報(当時の新聞社)が写真コンテストを開催(「良家の淑女写真コンテスト」という大会名が、何とも明治な趣き)。
学習院に通う16歳の女学生・末松ヒロ子が一等に選ばれた。
当時学習院の院長は、厳格を絵に描いた乃木希典。
校風に合わないことを理由に、彼女は退学処分の憂き目にあう。
厳し過ぎるというか、前時代的な展開にさえ映るが、現在でも、例えば学校に内緒で芸能活動をする(した)ことがばれたら、最悪退学になるケースがあることを考えると、基本的には今と何も変わらない。
なお、この話には後日談があり、コンテストには本人でなく義理の兄が応募したことが後に判り、色々思うことがあったのだろう(自らの意思によらず行われたことなのに、責任だけは本人が負う羽目になった理不尽さを不憫に思ったのか)、乃木は彼女の縁談をまとめ、仲人まで務めあげたという。