(1942年)海軍省が九軍神を顕彰
真珠湾攻撃で戦死した特別攻撃隊員九人をこの日海軍省が顕彰、彼らは「九軍神」と呼ばれた。
しかし、実際に攻撃に参加したのは十人で、生き残り、捕虜となった酒巻和男(太平洋戦争に於ける日本人捕虜第一号)の存在は、大本営によって隠蔽された。
戦陣訓の有名な一節「生きて虜囚の辱めを受けず」的価値観が支配的だった当時の日本では、彼の行いは極めて不名誉とされたからだ。
実際捕虜となれば、本人はもとより、その親族も国賊的扱いを受け、大変な苦労をすることになる、当時はそんな時代だった。
酒巻氏は戦後間もなく帰国。
その後は不当な視線に晒されることもなくなったというが、本人にしか分からない煩悶、心に負った傷が生涯癒えることは決してなかっただろう。