(1960年)銀色夏生誕生日
彼女の詩はどれも、日常のありふれた言葉で綴られる。
いかにも辞書で調べたと云わんばかりの気取った言葉遣いをしない。
若い頃はその自由な作風に惹かれ、彼女の詩集は長らく愛読書のひとつだった。
また『つれづれノート』というタイトルの日記風エッセイも、詩集とは違う独特の魅力を放ち、毎回続編の発売を楽しみに待っていた。
その『つれづれノート』は、一旦終了してから数年後に執筆が再開されたが、新刊は以前のように面白く読めず、それどころか内容に腹を立てるようにすらなった。
巻を重ねる毎に違和感は増し、今では完全に心が離れている。
実際読んだ人なら分かると思うが、あの育児放棄とも言える生活スタイルには、どうプラスに解釈しても反感を抱かざるを得ない。
いくらいい詩や文章を書いても、ああいう価値観の中から生まれたものだと思うと、受け付ける気持ちになれないのだ。
『つれづれノート』を敬遠するようになってからも、詩集だけは変わらず読み続けていたが、気付けば最近のより昔の、初期の頃の作品にしか手にしなくなっていた。
残念ながら、僕の中で彼女は、過去の思い出と化している。
昔好きだったものが好まざるかたちで変貌していくのは、悲しい。