(1979年)アニメ『赤毛のアン』最終回
フジテレビ毎週日曜夜7時30分から放送されていた「世界名作劇場」シリーズのひとつ。
原作はカナダの女性作家ルーシー・モード・モンゴメリで、これは、いわゆるアン・ブックスの第一巻にあたる部分をアニメ化したものである。
リアルタイムで鑑賞した当時、それ程印象に残る作品ではなかったことを正直に告白する。
その前のペリーヌや次のトム・ソーヤー、更にはフローネの方を自分は気に入っていた。
放送された1979年1月から12月は、僕の場合小学1年の3学期から2年の2学期にあたる。
7歳の子供には前半は兎も角、後半の展開は理解しきれなかった。
エイブリー奨学金だのアベイ銀行の破産などと言われてもピンと来なかった。
分からないイコールつまらない、と僕の頭の中では処理された。
実際に原作を読んだのは随分遅く、世界名作劇場のアニメが全てだった僕は、その後更に物語が続いていくことを知って少なからず驚いた。
子供、それも女の子向けの児童小説だという別の思い込みも手伝い、作品を敬遠していた為、まさかあんなに奥深いストーリーだとは思ってもみなかった。
今でも子供向けの幼稚な作品だと先入観を持つ人はいるだろうが、そういう人にこそお薦めしたい。
アンは本来、大人向けの小説だと僕は考える。
昔の自分同様活字は苦手という方は、このアニメから入るのもいいだろう。
DVDが発売されているので、テレビの再放送を待たずとも今は容易に作品世界に触れてみることが可能だ。
僕のようにアニメから入った者は少数派だろうし、筋金入りのアン信者には邪道扱いされるかも知れないが、どんなかたちであれ、実際にそこに飛び込んでみるのが肝心。
僕も原作先行派に負けないくらいちゃんとアンの世界を受け止められたし、何より、触れもせず誤った認識を抱き続けることこそが不幸なのだ。
また、子供の時分に読んでそれっきりという方にも再読をお薦めする。
間違いなく昔とは違う視点で読み進める自分に気付く筈である。
さて、僕がこのアニメを薦めるもうひとつの理由は、原作本に忠実な姿勢でつくられてるからで、オリジナルのエピソードが過剰になることの多い名作劇場に於いて、この制作方針は実はとても珍しい。
だから、アニメを観終えた後、原作に目を通しても、ある種の失望に襲われる心配はない。
もっとも、全くオリジナルのエピソードが無いかというとそうではなく、ところどころに挿入されてはいるが、それらは原作の良さを引き出す為に注意深くはさまれており、そのどれもが成功している。
一例として、第44章「クィーン学院の冬」の回。
原作では第35章にあたる部分だが、週末毎の帰省を取り止め、試験勉強に打ち込む姿が描かれている原作に対し、アニメではミス・バリーの話からマシュウが発作で倒れたこと、以前から狭心症を患い度々そのような症状があらわれるにも関わらず、本人に心配させまいとの気遣いからマリラと共に黙っていたという事実を知ったアンが、居ても立っても入られず汽車に飛び乗り、グリーン・ゲイブルズへと向かうエピソードが展開する。
第44章は僕も大変好きな回で、アンが心からマシュウを愛していることが非常に上手く描かれている。
あのシーンがあるからこそ、例の第47章がより悲劇的に映るのであり、アンの哀しみが観る者に一層迫って来るのである。
原作では第36章で漸くマシュウの異変に気付くことになっているが、あの程度の描写では少々物足りなく思うぐらいそのエピソードは効果をあげている。
また、第50章(最終回)の手紙の演出も素晴らしい。
原作ではモンゴメリの地の文でアンの心象風景が描写されるが、ステラ・メイナードとステイシー先生への返事の手紙の中でアン自らが語りかけるように綴るあのオリジナルシーンの方が、より説得力があるように思う。
あのパートは、(僕の個人的な評価だが)原作よりアニメの方に軍配があがる。
このようにアニメ版『赤毛のアン』は、決して大袈裟でなく非常に完成度の高い作品だ。
当時観ていた人が懐かしがって鑑賞するにとどまる程度のアニメではない。
そして今時珍しい、家族が一緒になって観られる名作でもある。
原作共々、このアニメをより多くの人に知ってもらいたいと思う理由がここにある。
余談だが、2008年は小説『赤毛のアン』誕生100周年で、それを記念して、カナダでは『こんにちはアン』なる作品が出版された。
これは、グリーン・ゲイブルズのマシュウとマリラに引き取られる前のアンを描いた物語で、僕はまだ読んでいない。
アンに限らず、こういう後付けのストーリーはどうも読む気になれない。
作者バッジ・ウィルソンを責めるつもりは毛頭ない。
不朽の名作の前段階をかたちにする作業は、想像を絶するプレッシャーのもと行われたであろうし、それを完成させたこと自体は賞賛に値する。
けれど、仕上がった作品を好きになるかどうかは別。
はっきり言って、読むのが怖い。
これまで自分の心に築かれてきたアンの世界に影が差しはしないか、崩れはしないか、気を揉んでしまうのだ。
興味はあるから、時々読んでみたい誘惑にも駆られるが、実際に本に目を通すのは当分無理。
日本でもアニメ『赤毛のアン』放送30周年を祝い、BSでそれがアニメ化されたが、そちらも観ていない。
この目で実際に確かめるのは、原作同様もう少し先になるだろう。