川瀬有希の時の旅


「今日は何の日」と題し、過去のその日に起こった出来事を、自由気ままに語るブログです。

2013(平成25)年5月の出来事

2013-05-31 22:00:00 | 2013(平成25)年

(5月23日)相澤秀禎死去

芸能事務所サンミュージックの創業者にして会長。
膵臓癌の為、都内の病院で亡くなる。
享年83。

現在はお笑い芸人を主軸とした事業展開が目立つが、一昔前まではアイドル歌手を多く抱える事務所だった(勿論、今もいない訳ではない)。
70年代なら桜田淳子、80年代なら松田聖子・早見優・酒井法子らの活躍が記憶に新しい。
なかでも松田聖子は、一事務所の顔という枠に止まらず、今なお全世代を代表するトップアイドルとしての地位に君臨していると言っても過言ではない。
同事務所最大の成果とも言えるだろう。

相澤氏はスカウト活動を重視し、数あるタレント候補の中でも、これはと思う逸材はわざわざ自宅に住まわせ、日々家族のように接し、育成に努めた。
先に触れた松田聖子や酒井法子がそうだった。
そしてもう一人、そうやって手塩にかけ、育て上げたアイドルがいる。
それが岡田有希子だ。
ポスト聖子を担うエースとして、事務所をあげて力を注ぎ、実際人気を得、そのプロジェクトは成功したかに見えた。

が、1986(昭和61)4月8日、悲劇が起こる。

彼女は事務所の屋上から飛び降り、自らの手でその人生の幕を閉じてしまったのだ。
18歳の短すぎる生涯、更には現役の人気アイドルの投身自殺という前代未聞の衝撃は、世の中にも大きな影響を及ぼし、その後暫くは後追い自殺を連鎖させ、社会問題にまで発展した。
大事に育てたいわば「我が子」の予想だにしない最期に、相澤氏も言葉では言い表せない程のショックを受けたことは想像に難くない。
事務所には今も、自筆サインが記されたユッコの写真が飾られている。
それには、〈遺影を掲げる〉という以上の意味が込められていると思われる。

さて、ユッコの自殺の原因は諸説語られるが、現在に至るも真相は判っていない。
相澤氏は生前、遺書はなかったと話していたが、その代わり、亡くなる前日まで綴られた日記が存在することは、インタビュー等で明らかにしていた。
真実を知る有力な手掛かりになるであろうその日記を、相澤氏は決して公にすることはなかった。
事あるごとに、自分の目の黒いうちは、と口にしていたが、結局氏は、墓場まで持っていってしまった。
事務所関係者も遺志を継ぎ、恐らく今後も陽の目を見ることはないものと思われる。
それはつまり、彼女の死の真相を永遠に闇に葬り去ることを意味する。

ユッコの一ファンとして、相澤氏には愛憎相半ばするところがある。
大切に育て上げたことは事実だ。
亡くなって以降も、誰より愛してくれたことも間違いない。
けれど、ああいう末路を彼女が迎えたこと、その最期を回避させることが出来なかった、守りきれなかったのも事実だ。
その哀しい結末を否定し得ない以上、僕はどうしても相澤氏を赦すことが出来ない。
いや、「赦す」というのは語弊がある、言い換えるなら、「受け入れる」ことが出来ないというのが適切か(感謝する気持ちも一方ではあるから)。

今頃あの世で、相澤氏はユッコとどんな会話を交わしているだろう。


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