(1989年) 東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の容疑者が別の事件で逮捕される
いわゆる宮崎勤事件が、この別件逮捕を契機に解決へと向かう。
「おたく」が今なお負の印象を以って見られがちなのは、この宮崎の事件の影響が大きい(部屋を埋め尽くすビデオや書籍の山は、おたくの象徴としてしばしば映し出された)。
彼の犯行は、単に許せないとか気持ち悪いという感情を生み出すに止どまらず、何かとんでもない犯罪行為をしてしまいかねない危険な存在としておたくのイメージを世間一般に広め、誤解される契機ともなった。
事件そのものの残虐性は当然責められるとして、この偏見を定着させるきっかけをつくったという点でも彼の罪は深い。
未だ犯人逮捕はおろか、特定さえされていない頃、日テレの番組内で小林完吾キャスターがカメラに向かって犯人に自首するよう訴えかけていたシーンを思い出す。
あの切実な呼び掛けも、結局彼に通じることはなかった。
(1999年)全日空61便ハイジャック事件発生
犯人は機長を刺殺後、自ら機体を操縦していたことが後に判明。
所詮は素人、海に突っ込んでいたかも知れないし、繁華街や住宅街に墜落していた可能性もある。
ひとつ間違えば大惨事になっていたのだ。
今考えただけでも背筋が凍る。
犯人は精神的病を患っていたが、事件の重大性を鑑み、マスコミ各社は実名での報道に踏み切った。
これを契機に、たとえ病気であっても全ての事件が実名で報道されるようになるかと思ったが、あくまで例外的処置に過ぎず、今に至るも匿名報道は続けられている。