金森穣を直接見るのは今回が2回目。
前回の「人形の家」は非常に演劇的だったと思っていた。
それに対して今回はダンスというパフォーミングが主となる
のかな?と漠然と思っていた。
前回も思ったけれどダンスがパワフルだ。力わざとは違うけれど
とてもエネルギッシュ。ああいう風にくるくる舞われたら楽しそ
うに思うけれど、きっとわたしには出来ないことだ。
男性、女性、ジェンダーというものを考えた作品になるだろう。
途中、これっていいのかな?という表現もあった。
ある意味ではレイプともとれるような。しかしジェンダーという
もの、男性主導型の文化にとってはこれは日常茶飯事となるだろう。
それをあえて見せるという部分が面白い。
そして表情、人間くささを見せる男性ダンサーに対し女性は
無機的な表現となる。ここの対比がわたしにとってポイントとなる。
物質≠精神という感じ方をわたしは最近していない。
精神も心も物質のありようだとおもっている。またはその相互作用。
そこでこのダンス。身体を物質化する。この手法は金森がアフター
トークでも言っていた様にベジャールの下で始めて振付けたのが
ピエロであり、物質化する肉体表現であったというように繰り返
されるもののようだ。
それでも、コントロール下にあるはずの肉体。肉体といえども
物質であるというメタ。
ダンスは流れを作り、マネキンのような女性たちを制圧するように
すすみながらも、退化したようなダンスや摺り足で押し戻すような
動きを見せつつ、ひとつの逆転が起きる。
スーツを着た男性から服を剥ぎ取るとそこのあらわれるのはただの
マネキンと化した肉体(男性陣)
その直前にタバコをふかしながら男性を追う女性が転換の合図だ。
で、タバコは本物だったようで臭いがした。
肉体と精神、人間性、男性女性、ジェンダー。
これらの要素はこれからも続くのだろうか。
興味深い。
前回の「人形の家」は非常に演劇的だったと思っていた。
それに対して今回はダンスというパフォーミングが主となる
のかな?と漠然と思っていた。
前回も思ったけれどダンスがパワフルだ。力わざとは違うけれど
とてもエネルギッシュ。ああいう風にくるくる舞われたら楽しそ
うに思うけれど、きっとわたしには出来ないことだ。
男性、女性、ジェンダーというものを考えた作品になるだろう。
途中、これっていいのかな?という表現もあった。
ある意味ではレイプともとれるような。しかしジェンダーという
もの、男性主導型の文化にとってはこれは日常茶飯事となるだろう。
それをあえて見せるという部分が面白い。
そして表情、人間くささを見せる男性ダンサーに対し女性は
無機的な表現となる。ここの対比がわたしにとってポイントとなる。
物質≠精神という感じ方をわたしは最近していない。
精神も心も物質のありようだとおもっている。またはその相互作用。
そこでこのダンス。身体を物質化する。この手法は金森がアフター
トークでも言っていた様にベジャールの下で始めて振付けたのが
ピエロであり、物質化する肉体表現であったというように繰り返
されるもののようだ。
それでも、コントロール下にあるはずの肉体。肉体といえども
物質であるというメタ。
ダンスは流れを作り、マネキンのような女性たちを制圧するように
すすみながらも、退化したようなダンスや摺り足で押し戻すような
動きを見せつつ、ひとつの逆転が起きる。
スーツを着た男性から服を剥ぎ取るとそこのあらわれるのはただの
マネキンと化した肉体(男性陣)
その直前にタバコをふかしながら男性を追う女性が転換の合図だ。
で、タバコは本物だったようで臭いがした。
肉体と精神、人間性、男性女性、ジェンダー。
これらの要素はこれからも続くのだろうか。
興味深い。