散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

節分

2010年02月02日 | ★メタ坊徒然草
昔から、誰の目にも見ただけで分かり易い、月の満ち欠けの周期を1か月として、月日の経つのを数えた。
新月を1日(朔月=ついたち=月立ち)とし、3日が三日月、15日が満月(望月=もちづき)、そして、再び月が隠れる29日又は30日を晦日(みそか・つごもり=月隠り)とした。
月の運行は、ほぼ29.5日が1サイクル、約354日が1年となる。
1か月を29.5日とすると生活に支障があるので、小の月を29日、大の月を30日と定め、太陽の1年365日との誤差11日を修正するため、大小の月の組み合わせと3年に1度、閏月を置くことにより、整合性をとった。
それでも、季節とのズレが大きく生じてしまい、農漁業など自然を相手に生業をたてる場合まど、さまざまな障害が発生するため、太陽の運行を日時計などで計り、1年のサイクルを二十四の節気に分けて、暦に表記して季節とのバランスも加えた。
それを、太陰太陽暦(旧暦)という。
つまり、陽の一番長いのが夏至、短いのが冬至、同じなのが春分、秋分。
そして、それぞれの中間を、その季節の始まりの日として、立夏、立冬、立春、立秋とした。
その季節の始まりの前日を、季節の分かれ目として「節分」といい、特に春の始まる立春は、春夏秋冬=1年の始まりの日として特に重要視され、節分というと立春の前日の代名詞のようになった。
旧暦の正月は、二十四節気の「雨水(2月19日頃)」の直前の朔日を元日としていたため、月の運行サイクル29.5日の誤差の範囲内で決定されることになり、新暦の1月22日~2月19日の範囲で毎年ずれることになる。

今の太陽暦(新暦)は、明治政府がグレゴリオ暦=西暦・1878年1月1日に当たる旧暦・明治5年12月3日を新暦・明治6年1月1日としたのがはじまりだ。
西暦はキリストが生まれた日を1月1日とする。

その結果、新暦1月1日を元旦として新年を祝うことになる。
旧暦の1月1日は「旧正月」と呼ばれる。
立春を旧正月の元旦に相応させると、新暦の元旦とは1か月余りの差がある。
門松に松竹梅を使うのも、旧暦なら梅が咲く頃であるからで、新暦では梅がまだ咲く季節ではないし、年賀のやりとりで「新春」とか「迎春」とか「初春」というのに違和感を感じるのも、春の到来を感じさせない新暦の元旦に、旧暦の習慣を持ち込んでいるからだ。
ちなみに、梅は温度差で蕾を持ち、咲く性質があるので、今は温度管理して正月用に咲かせて出荷するという裏ワザを駆使しているので、開花した梅には気をつけよう。

さて、節分に豆を投げるのは、中国から入ってきた宮中儀式「追儺(ついな)」が輸入されたことが起源だとされる。
追儺は「おにやらい」ともいい、西暦706年、諸国に疾疫が流行したので、旧暦12月晦日に禁中で行ったのが始まりと「続日本紀」にあり、「延喜式」にも記載があることから、すでに朝廷の年中行事となっていたと考えられている。
旧暦・大晦日の夜、禁中において、舎人(とねり)が勤める鬼を、黄金の四目の仮面をつけ、玄衣朱裳を着て、右に戈、左に楯を持った方相氏(ほうそうし)の合図で鬼を追い払う。
いずれにしろ、その宮中行事が民間に流布し、節分の夜、庶民は、新しい年を迎え、1年の邪気や悪気を払うため「福は内、鬼は外」と唱えながら豆をまき、門戸に柊の枝に鰯の頭を挿したものを置いて、魔除け、厄除けの呪としたのだという。
古くは、注連縄に柊と鯔(なよし=イナ)の頭を挿したともいう。
鯔は、ハク→スバシリ→オボコ→イナ→ボラ→トドと名が変わる出世魚だ。
そう考えると、公家の追儺が、武家の節分となり、出世に関わりのない庶民が鯔から手に入れやすい鰯の頭に替えたのではないかと推測も可能だ。

豆をまくのは、まめが「魔滅」に通ずるからだといい、柊(ヒイラギ)は葉のトゲ、鰯(イワシ)は臭いを、鬼が嫌うからだといわれている。

では、まく豆が、なぜ大豆なのだろう?
古事記に、黄泉国から逃げ帰るイザナギが醜女に桃の実を投げて難を逃れるシーンがあり、追儺では、桃の弓、桃の杖を使って鬼を追い払う。
一方、中国では、正月に悪病、疫病神を追いやる儀式として、麻の実、大豆をまく風習があり、大豆に呪力があると信じられていたといい、朝鮮でも、結婚式で豆を新郎に投げつけて、悪鬼を払うまじないをするという。
大豆は、古く中国で栽培された記録があり、のち朝鮮を経由して日本に伝播したとされる。
そうなると、大豆の伝播とともに、豆をまく風習が伝わったとみるのが自然な見方だともいえそうだがいかがだろうか?

なお、中国や朝鮮では、大豆を雑穀として分類するのに対し、日本では穀類とは別に豆類として分類する。
これは、主食を米とすることで、大豆は副食(おかず)として扱ったためではないか?
年貢にしても、のちの地租制度の小作料にしても、納める対象が米だった時代、大豆を田の畦や法面に植えて雑草扱いにし徴収を免れたと聞いたことがある。
ゆえに、庶民の主食とされる米以外の穀類=麦・粟・稗とともに大豆が備蓄できる食糧と考えられ、結果、豆まきに使われ、余裕があれば、僧への喜捨作物となり、精進料理の主役となりえたのかもしれない。

それから、大豆は「畑の肉」と称されるほどの栄養価がある反面、連作障害や、卵や牛乳とともに三大アレルゲンの一つとなっている。
節分では、年男が豆を投げ、厄年にあたる人が年の数だけ豆を食べると厄払いになると信じられていたわけだから、人によってはアレルギーショックが起こり、七転八倒することもあったに違いない。
そんなとき「腹の虫が苦しんでいるとか、棲んでいた鬼が出る」と噂したんだろうか?
ちなみに、大豆は陰陽五行説、木火土金水の「金」にあたるので、その障りを鎮めるため「火」で煎ったものを豆まきに使うといわれている。
ひょっとして、生豆をまいてそこらじゅうに連作障害が起きてはかなわないというのが真相なのかもしれない?

東京近郊では、わざわざ豆殻の付いた大豆の枯れ枝を添えるが、私が古老から聞いたところでは、柄のついた小笊を添えたり、戸口を入った土間に目籠を伏せて置いた。
これは、

人の体の中に「三尸の蟲(さんしのむし)」がいて、庚申(かのえさる)の日の夜に体から抜け出し、その人の行いを天帝(閻魔大王)に報告することにより、その人の寿命が決まるという中国道教の教えが民間に広まり、終夜寝ずに会食談義を行って体の中から虫が出るのを防ぐ「庚申待ち」という信仰が流行った。
その証左として、集落単位に道端や神社の一角に庚申塔が残っていることでわかる。
腹の虫、弱虫、虫酸が走る、虫がいい、虫の知らせ、という言葉からも、虫は腹中にいる身近な存在だった。
つまり、人がなぜ病を得て、なぜ死ぬのか、原因がわからなかったから、虫が病を起こし、天帝が寿命を決めると信じた。

この庚申待ちの流行が原因で、一向に虫からの報告のない天帝が、配下の一つ目小僧(鬼)に、大晦日の夜、人間界に出かけて、調べてくるように命が下る。
人間界にやってきた一つ目小僧は、一軒一軒家を訪ねてまわる。
一つ目小僧は、ひと目その姿を見れば、その人の一年の行いを見抜いてしまう能力を持っていた。
そこで、豆まきをし、門戸に柊と鰯を飾り、戸口に目籠を置き、大晦日であれば終夜寝ずにいた。
これは、
のぞき見てまわる一つ目小僧に対して、豆をぶつけて追い払い、柊のトゲで目が刺さって見えなくなるように、鰯は目刺しを使うことで恐怖心を与え、たとえのぞかれても、一つ目小僧よりも目の数が多い化け物(目籠のこと)を見て驚かせ、それでも、うっかり寝て隙をみせないようにする。
という、二重三重の構えで、1年の厄を祓い、新年を迎えるおまじないみたいなものだ。

今も大晦日には、除夜の鐘を聞きに出かけ、初詣を神社で済ませて、早朝帰宅すると、お節料理を食べて、お屠蘇を飲むというのも、その名残りと思われる。

またある意味では、江戸時代、様々な支払い=借金が、年払いで、年末に掛け取り(借金取り)が各家に回ってくるのを、なんとか凌ごうとする落語があり、一つ目小僧は、それをダブらせるような話でもある。

さて、情報収集を終えた一つ目小僧は、罪業を書き込んだ閻魔帳を集落ハズレにある道祖神塔に閉まって、天帝のところへ戻らず、正月をマイホームで迎えるべく帰っていく。
地獄も、亡者への責め苦を1日(朔日・元日)から15日(望日)までお正月休みとなる。
地獄の釜の蓋が再び開く日、亡者が家族のもとから帰ってくる日は、16日。
当然、一つ目小僧も道祖神から閻魔帳を取りだして、天帝のところへ16日に出勤し、その年に寿命を迎えるべき人の報告をする。
そこで一計を案じた人々は、14日夜から15日昼までに、道祖神を広場に据えて、正月飾りや書き初めの反古紙、お札などを積み上げ、火をかけ、閻魔帳ともども燃やすのが、各地にある左義長やどんど焼きといわれる行事だという説がある。
故に、庚申塔と道祖神は、たいがい同じ所に並んでおり、道祖神は黒焦げていたりして摩滅も激しいのだ。

その昔、豆まきでまいた豆は、鬼を払うことでケガレを持つため、拾うことなく投げっ放しにした。
また、家に近づく乞食を、鬼や厄に見立てたのか、施行をするとその一年の厄を落とし、福を招くともいわれたので、節分の夜は乞食は大活躍したらしい。
現代では、社会制度も発達して「乞食」といっても何のことかわからなくなってしまった。
だから、魔も邪もケガレさえも昔話となり、豆まきも今の生活環境にあわせて変化している。
大豆ではなく落花生をまくというのも、小袋分けされた炒り豆をスーパーマーケットで売っているというのも、家のまわりや部屋が汚れず拾いやすいようにという配慮からだ。
つまり、今の節分は、バレンタインデー同様、業界の利益に繋がるようにイベント化されつつある。

よく見かける「恵方巻」という海苔巻きもそう!
起源は定かではないらしく、一地方の風習にヒントを得た大阪の海苔問屋が海苔の消費を盛り返そうと考え、全国に広めたものだという。

さすがアキンド魂には「鬼」が入っている。

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5 コメント

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すばらしい! (酔華)
2010-02-03 05:50:06
素晴らしいレポートでした。
よく、こんなことまで知っていますね!
いろいろなことが良く分かりました。
ほかにもいろいろな薀蓄を語っておられるので、
それらをまとめて、メタ坊ちゃま版ウィキペディアを作ったらどうですか。

ところで「福は内、鬼は外」でいいんですか?

鬼は外~!を先に言うと聞かされていました。
鬼を出してからでないと、福を入れられないという話でした。
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次元転換 地球の終焉 新宇宙の出産 (sanaru21)
2010-02-03 18:23:21
鬼とは元津の神々様です。
「鬼は外、福は内」と踊っている人はどうなるのでしょうか。鬼退治と称して中津神と人間(じんかん)は多くの神様(人神)を殺してきました。末代詫びても許されない業罪です。
福を取り入れるなら、鬼も取り入れたらいかがでしょうか。それでプラスマイナス、ゼロです。宇宙はゼロで成り立ったいるのですよ。
このこと深く深く理解できれば、そして実践できれあば、宙舟に乗舟できるチャンスはあるでしょう。後、数年で地球の終焉です。
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かけ声 (管理人)
2010-02-03 20:45:43
-酔華さん-
いろいろと違いがあるとは思っていましたが、
改めて調べてみると多様です。
カミさんは東京育ちで、
「福は内、鬼は外」でした。
私は横須賀育ちで、
「福は内、福は内、鬼は外」でした。
それも「福」はやさしく声を出し、
軽く握った豆を横投げ、
「鬼」は目一杯叫んで、
鷲掴みにした豆をオーバスローで投げます。
投げたら即、戸を閉めます。
明日、まわりの人に確認してみます。
こういう違いって、面白いですよね。
返信する
ようこそ (管理人)
2010-02-03 21:47:06
-sanaru21さん-
お立ち寄りありがとうございます。
いろんな話があっていいと思います。
「哲学は相対真理」
「宗教は絶対真理」
だそうです。
人それぞれに、いろんな考え、いろんな意見があります。

以前、明智光秀が築城したという亀岡市の亀山城に行ったおり、大本のお払いを受け神域に入ったことがあります。
艮(うしとら)の金神が、三千世界の立替え立直しをするというお話でしたが、丑寅は鬼門を司っている訳で、帰神して角が取れ「艮」になったと聞いたような記憶があります。

また、日蓮宗の題目曼陀羅には、鬼子母神がいて、仏に帰依したために角が取れ「鬼」には角が書かれていません。

何度もいいますが、
宗教は絶対真理です。
信じたものは、何ものにも否定されません。
それだけに、信ずる者の精神的支柱となるものですから、人間を否定するもの、暴力的・破壊的な宗教は相容れないものと思います。
そして、
何人にも心の安寧をもたらすものが真の宗教であると考えます。
ですから、日本人の多数が、生まれるとお宮参りをし、クリスマスにはケーキを買って祝い、初詣をし、死ねば僧侶に引導を渡してもらうという行動を、喜んで受け入れるべきだと私は思います。
終末を唱えて不安を煽るよりも、終末が来ないように努力しているさまざまな人、平和な日常を営み続ける人を称えるべきでしょう。
きっと、sanaru21さんも、そのお一人なんだと思います。
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鬼福か福鬼か (管理人)
2010-02-05 02:01:12
いろんな人に聞いてみると、
圧倒的に「鬼は外、福は内」でした。
それも、代々引き継がれているというものではなく、
ほとんど「豆をまく習慣が無い」が多数を占めています。
ではなぜ「鬼は外、福は内」かというと、
幼稚園や保育園、小学校で、そう習ったからだそうです。
実家の父に「なぜ、福、福、鬼なのか?」聞いた際、
すでに家の中に福の神が存在するので、
いなくならないよう重ねて繰り返し、
外から鬼が進入しないように、
中を伺っている鬼に向かって豆をまくと聞きました。
川崎大師の豆まきは「福は内」のみで、
鬼へのメッセージは無いそうです。
そういう人も一部おりました。
もう民俗に関する慣習をデータでとることができない時代になってしまったことを痛感しました。
寂しいです。
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