8月は、鎮魂の月。
今年は、新型コロナウィルスのおかげで、鎮魂でさえ自粛か縮小することになりました。
近親者でも集まることがはばかれます。
檀那寺ではなく、宗旨自由の霊園では見知らないお坊さんと法事もできません。
また、檀那寺といえども、檀家を集めての法要もできないとなると、寺の経営はどうなってしまうのでしょう?
いわゆる「新しい生活様式」とひとことで片付けていますが、人類と感染症との闘いの歴史の中では、ペスト、コレラ、インフルエンザ(スペイン風邪)と百年周期でパンデミックが起こり、そのたびに大きな変革を伴っています。
振り返ってみると、お年寄りは元気だったから病院に来ていたんだと、病院の待合室に人影が少ないのを見て思いました。
AIとか、ロボットとか、いろいろ人が関わらないプランが取りざたされています。
でも、感染者を救うのは「人」です。
感染症を封じ込めるのは、ワクチンなのか、お札なのか、それとも・・・
霊園には、墓参者向けのお札が置いてありました。
今日は「長崎原爆の日」、恒久平和とともに多くの「祈り」が届くことを願います。
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