ゴトウヒラタの戯言

RICOH CX6で撮影。十字架の島、上五島の蟲。

受難-福見天主堂(教会)

2006年01月15日 02時07分36秒 | 教会、天主堂

 福見教会は現在、浜串小教区の巡回教会だが、本家浜串教会より有名かとおもわれる。


 福見(ふくみ)天主堂

 大正2年(1913)4月29日献堂式

 
 
 旅行ガイドなどに載っている写真はこんな感じだろうか。

 
 僕がブログで新上五島町の教会群を紹介するにあたり、困ってしまったのがここ福見。資料ごとに教会を建てた年代が違うのだ。
 この看板が正解なのだろうか。

 福見のキリシタンがカトリックに帰依したのは明治11年(1878)。ある資料によると明治11年4月10日に最初の教会建設とあるが、設立の間違いかと思われる。(元々教会とは共同体を意味し、建物の事ではなかった。)
 また、明治36年3月25日大改築と記された資料もある。

 
 前側はレンガだが、

 
 後ろ側はコンクリートに赤いペンキを塗っただけ。

 
 レンガ造りの教会には珍しい折上天井だが、
 
 オリジナルはコウモリ天井だったというのが、専門家の大方の見解。

 とにかく謎の多い天主堂なのだ。

 

 テレビの時代劇で、「おぬしも悪(わる)よのー」と悪代官がよく登場するが、五島列島にも悪代官はいたようである。

 
 弾圧時代、福見を仕切っていた代官は地下者(ジゲモン-先住民)と結託し
 「明日、パッタリン(キリシタンの事)を捕らえに役人がやってくるから逃げたほうがいい」
と、デマを流した。
 
 拷問の凄まじさを伝え聞いていた福見のキリシタン達は、慌てふためき着の身着のまま時化た海へ舟を漕ぎ出した。
 
 ジゲモン達はもぬけの殻になったキリシタンの家屋、農耕器具、牛、田畑全てを強奪し、代官は彼等から賄賂を受け取った。
 

 旧若松町と旧奈良尾町のキリシタンへの拷問、弾圧、差別は凄まじく、あまりの酷さに耐えかねて神道祭(しんとうさい)に改宗した者が多いが、

 福見のキリシタン達は、デウスやサンタマリアを捨てられない理由が出来てしまった。


 時化た海へ舟を出したキリシタン達は転覆遭難し、行方不明者多数。
 
 犠牲になった同胞の為に、祈りを捧げなければ・・・。


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新上五島町(長崎県)の教会

         
         
      
                
   
      
         
         
          
   福見天主堂          
         鯛ノ浦天主堂
   
   


 廃墟になった教会

          
   

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