Adagioな毎日

ゆっくりとした時の流れを楽しみにながら毎日をつづります。

近江八幡を歩く

2016-10-21 21:26:18 | 

豊臣秀吉の甥、豊臣秀次がお城を築いた町、近江八幡。城掘の八幡堀と琵琶湖も繋がれ商いの町として

栄えていきました。 八幡城跡にお寺も多くて、古い街道、水郷、落ち着いた静かな町近江八幡を歩きました。

京都駅から、JR琵琶湖線快速米原行きへ乗って約45分で近江八幡駅へ到着します。

この日は晴れていて歩き日和でした。まずは八幡堀めぐりへ。街並みをゆっくり見ながら歩くのもいいですが、予約していたこともあり、バスで行く事に。長命寺行きバスへ乗り大杉町で降りるともう船乗り場すぐです。

いよいよ船の出発。

この日は10月中旬にしては少し暑さも感じましたが、さわやかな心地よい風を受けながら船は川を進んで行きました。

白壁の土蔵が続き、近江商人の町を漂わせてくれます。

コスモスがかわいく咲いていてゆらゆらと風に揺られていました。

春は桜、秋は紅葉が美しく、四季の良さを味わうことができます。春、秋は人がたくさん訪れるようです。

紅葉までまだちょっと早いこの日は、静かで水郷の情緒を存分味わうことができました。

乗船時間は約35分。船着き場付近には、絵を描く人達も多く趣のある風景でした。

降りてからロープーウェイで八幡城跡へ。上からは琵琶湖、近江八幡の町が見渡せます。

時代に翻弄された城主豊臣秀次は、この町を一望し、いろいろと思いにふけることもあったのではないでしょうか。

近江八幡の町を歩いていくと異国情緒あふれる洋館が近江八幡の古い町並みに馴染んでいたことは印象的でした。

近年建築設計など名を馳せたヴォーリスが設計した建物がこの土地に多く残されています。

旧八幡郵便局、ヴォーリス学園ハイド館、ヴォーリス記念館、近江八幡教会、メンソレータム記念館

など歴史ある古い建物のまま残っています。

明治38年滋賀県立商業学校に英語教師として来日。そして数々の建築設計をしたり、結核治療を目的とした近江サナトリウムを建てたりと、近江八幡の町の発展に大きく貢献した人でした。

一柳末徳子爵の三女の一柳満喜子と猛反対された末の結婚で一生を近江八幡で過ごしました。

「あさが来た」の廣岡あさ、廣岡家とも深く関わっています。

残念ながら、晩年一柳満喜子と過ごした家ヴォーリス記念館は予約が必要なため入ることはできませんでしたが、ヴォーリス学園ハイド館をゆっくりと見学をすることができました。

アメリカから渡日したときの2つの大きなスーツケースが展示されていました。もう2度とアメリカへは帰らない覚悟のため。とのことでした。

ヴォーリスは、伝統的な大丸心斎橋店、大同生命、同志社大学アーモスト館なども建築設計しており

そのころの写真が展示されていました。

近江八幡に大きく貢献し、この人なくしては今の近江八幡はなかったといわれるヴォーリス。また、近江八幡をこよなく愛した様子も伝わってきました。

昼食は、近江牛がたっぷり入ったおうどんと、近江八幡の名産、赤こんにゃくのおでんを食べました。美味しかった! またバームクーヘンが美味しいクラブハリエで、シフォンケーキを食べました。こちらもヴォーリスが設計した建物で庭も良かったです。 情緒ある近江八幡の町をゆっくり歩き、たっぷり町の雰囲気を味わうことができました。

 

 

 

 

 

 

 

 


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