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仁川アジア大会での記録業務について、日を追ってまとめました
第17回アジア大会 ソフトボール競技 公式記録員 4名
Chief Scorer 楽勝(JPN) Assistant Scorer BAE
CHO
WOOK(以上、KOR)
※PC担当は、上記メンバー以外のKIMほか数名(全員、KOR)
アジアソフトボール連盟の考え方や進め方大会公式HPにアップしたデータ「Starting Line-Up」「Play By Play」「Game Summary」がオフィシャル(公式記録)
打順表のチェックは、審判長や審判委員(ジュリー)がやってくれるので、チェック済みの公式記録員控えをもとにスコアカードへ記入する
読みにくい字や誤字もあるので、PC担当者が入力した「Starting Line-Up」をもとに記入した方が正確にできる
試合終了後、PC担当者が「Game Summary」をくれるので、自分の集計したものと突合する
「Game Summary」に間違いがあれば、赤ペンなどで修正して返却し、PC入力分の修正を依頼する
間違いがなければ、ボールペンで和名とローマ字名と(Chief Scorer )を記入して、PC担当者に手渡し
PC担当者が、Mr.SEE(アジアソフトボール連盟の役員で、マレーシアソフトボール連盟のプレジデント)に見てもらって、サインをもらえると
メディアに公表してくれるという流れ
ここまでを、試合終了から20分以内で進めるよう、ベンチューさん(アジアソフトボール連盟の会長)から言われた
アジア大会ではチャイニーズ・タイペイ式で記帳することとなっていたが、今回の韓国の記録員たちは補助的な役割をするように言われていたもよう
イコール、チャイニーズ・タイペイ式の記帳方法は知らなかった
しかしながら、前日用意してくれたスコアカードは韓国ソフトボール連盟のものだった
これでは私は書けないから、BAEとCHOの2人で交代で書いて欲しい
私はフルゲーム補佐すると話しておいた
ところが大会当日、しかも球場に到着したあと、Mr.SEEが手渡してくれたのがアジア大会用のスコアカード
となると、韓国の2人は書けない
そこで、Mr.SEEに
このスコアカードに韓国式で書いても良いか尋ねたところ
ダメとのこと
というわけで、私がすべての試合の公式記録を取ることとなった
予選リーグは1日4試合(4日目のみ3試合)毎試合の中盤以降に次の試合の打順表を審判長より手渡され
試合のスコアを取りながら、次の試合の準備も進めるといった感じ
スペース的にも広いと言える環境ではなかったが、「住めば都
」慣れとは恐ろしい
どーにでも出来てしまった
1日4試合の記帳も、初日は戸惑ったものの、2日目からは事前準備を前倒しで進めたことで、バタバタが回避できた
テント下は私を除いて全員韓国の方々
日本語が通じず通訳もいないので、私との会話のみカタコトの英語で
ほぼ通じ合うことができた
移動はバス
出発時間がホテルのロビーに貼りだしてあるので、これで時間を確認し
間に合うように準備する
ソフトボール競技の会場には、本大会のおみやげ売り場は無く
韓国の審判さんにメインスタジアムに連れてってもらった
毎晩、スコアカードの見直し(自主点検)を行った
Chief Scorer だったからか、シングルルームで
助かったカモ
グラウンドでのシートノックは無し
選手たちは、隣接するグラウンドでアップしてそのまま試合に入った
9月25日(木) 晴れ 競技役員会議と支給されるユニフォームなどの試着
事前にメールで依頼しておいたサイズで作られているので、具体的にはズボンのすそ上げのみを依頼した感じ
支給されたものは、大会でのオフィシャルウェア一式(バッグを除き、すべて361°製)
ポロシャツ2枚(オレンジ)
ズボン2枚(グレー)
ウィンドブレーカー1枚(オレンジ)
靴1足(グレー)
バッグ(GALAXY製・黒)
ウエストポーチ(グレー)
帽子(白・オレンジのツートン)
正装用ウェアとして・・・ジャケット1着(オレンジ)
ネクタイ1本(オレンジ)
ワイシャツ2枚(チェック柄)
スラックス1本(オフホワイト)
スカート1本(オフホワイト)・・・正装用を一度も着なかったのが残念
9月26日(金) 曇り時々雨 代表者会議(監督会議)と現地(球場)視察
前日支給された服装で参加(何を着るかは前日の帰りのバスで説明があった)
会場は、球場すぐ隣の施設(雨天
練習場もこの中だった)
会議は原則すべて英語
日本語への同時通訳は無し
ただ、それほど難しい言葉は使って
おらず、単語をつなぎ合わせると、概略は分かった(と思う)
会議が終わると、予選リーグ・15試合の先攻・後攻とユ
ニフォームのカラーを決めるコイントスが行われ、これに Chief Scorer として私が立ち合い、対戦表に書き込んでおい
たVisitor(ビジター)が先攻で、Home(ホーム)が後攻
本大会のソフトボール競技は、定められた6日間ですべてを終えなければならないことを全員で確認した
このあと、お弁当が出て
記録員のCHOらと一緒に、雨天練習場を見ながら食べた
おいしかった
アジアソフトボール連盟から、公式記録員用の半そでポロシャツ2着(ダークブルーとライトブルー)が支給された
球場を視察
人工芝で、水はけがものすごく良さそうな感じを受けた
記録員の座る席を確認
実際に座ってみたり
したちょうどリハーサル的な韓国チームの試合をやっていたので、CHOが韓国式のスコアカードを書いて見せてくれ
た韓国式の書き方を時間の許す限り、教えてもらった
金浦空港から現地入りした関係で、会場などに入る時に必要なADカードの有効化ができていなかったことから、どこに
入るにも手間取っていた(パスポートを見せて入れてくれたこともあった)が、ホテルに戻ると完成していたこれで入場
等に関する問題は無くなった
日本から持って行ったスコアリングマニュアル(5冊)をCHOらにプレゼントしたところ、大変喜ばれた
9月27日(土) 晴れ時々曇り 大会初日(予選リーグ4試合を記帳)
アジア大会用のスコアカードに
チャイニーズ・タイペイ式で書くこととなったため、この大会のすべての試合を記帳する
ことになったBAEとCHOには1試合おきに交代で Assistant をお願いした
昼食は2試合終わったあとの2時頃
3試合目の序盤のみ、AssistantのBAEとCHOに韓国式で書いておいてもらい、これを書き写す形を取った書き写す
のに、意外と手間取った(韓国式で書いてあったからかも)
ホテルに帰ってから、4試合分のスコアカードを見直し
HPにアップしたデータで修正が必要なものを発見したので、明日以降に申し出ることとした
実は・・・このスコアカード(A3サイズ)は、ホームチーム用(後攻)のみで
ビジター用(先攻)のスコアカードは用意されて
いなかった(確認したが、持っていないとのことだった)このため、審判員の名前を書く欄がなく、ランニングスコアも書け
ない状態だったため、ランニングスコアについてはフリーハンドで作ったまた、審判員の名前については、審判長から
一覧が出ていたため、省略したなお、これらは公式記録となる大会HPにはすべてアップされている
日本のチームリーダーである宇津木妙子さんより
私たちは日本を代表してきているので、行動には十分注意してほしい
旨の伝達があった
韓国の記録員はシャーペンを使わない
すべてペンを使い、間違った時は修正ペンを使っている
また、コピーはカラー
このせいか、私が書くシャーペンの字がコピーすると擦れてしまい、見にくかった
韓国の記録員と自責点がだいぶ違っていたため、なぜだろう
とスコアカードを見たら
前任投手の残した走者が、後任
投手の被安打などでホームインした場合、自責点は半分ずつだった
この部分については、韓国の記録員らに少しず
つ伝達していった
9月28日(日) 曇り時々晴れ 大会2日目(予選リーグ4試合を記帳)
自分のやるべきことがハッキリと理解できたので、この日からはスムーズに進んだ
効率よく記帳や集計を進めるための
コツを徐々に掴んでいった
韓国の記録員たちは、本当にボックスオンリー
縦計はイニングごと行っていたが、横計は打点程度で、他はほとんど手
つかずこのためか、集計にものすごく時間がかかっていると思う
アジア大会のスコアカードは、イニングの上の部分に補殺・刺殺・失策について数字を書くスペースが設けられていたため
これを活用し、イニング毎写し書くことができたこれも集計をスピーディーに進めるための効率化策の一つ
この日は、
サイン(集計とPC分との突合、修正、完成)までを最短11分
韓国の方々が、よくお菓子を配ってくれた
でも、日本のモノじゃないので、食べるのを躊躇することも多かった
そんな中
時々食べたお菓子が、ものすごくホッとさせてくれたお菓子ってこんなにおいしかったっけ
って思うくらいに
9月29日(月) 雨のち曇り時々雨 大会3日目(予選リーグ4試合を記帳)
朝から雨が降り続き、試合開始の目途が立たない状態であったため
この時間を使って、この日予定されている4試合の
スコアカードの準備をできるところまですべて行った
雨が止んだところでグラウンド整備が始まった。整備がほぼ終わった頃、再び雨が降り出し
このあたりから、Mr.SEEや
ベンチュー会長らが記録のテントの前で話し合いを始め、前振り(選手紹介や国歌斉唱)なしで試合を開始させることを決
めたようだったこのあと、再度敷いたカバーを片付けると、ホームベース後方付近にいる審判のところへ両チームの監
督が呼ばれ、何やら話して散会すると10時過ぎ頃、いきなり試合が始まった
審判員や役員さんの動きに注意
こんな時に限って第1試合が2時間を超え、この日は試合と試合のインターバルはほぼ無い状態での4試合となった
バックスクリーンの表示を担当する隣の席の韓国の方が、韓国の海苔巻きを私の分も作ってきてくれたので、この日は席
を空けずトイレ以外はほぼ座りっぱなしで記録をとった
寒めの一日だったが、支給されたウィンドブレーカーを着て凌ぐことができた
9月30日(火) 晴れ 大会4日目(予選リーグ最終日・3試合を記帳) 日本チームは全勝でファイナルへ
昨日までの1日4試合から解放され、今日から1日の試合数が減ることもあり、気持ち的には余裕があったものの・・・
2試合目のAssistantをしてくれたBAEがお弁当食べて帰ってきたところ(3試合目の1回表裏終了)で交代Assistant
の2人に任せて、お昼をいただき戻ってくると、2回裏に7点、3回裏に6点が入るという大変なことになっていて
この
スコアの確認や、記帳作業に大変な時間がかかってしまった
スコアを完全に仕上げてからPCとのチェックをすると、大変な時間になってしまうと思い
ボックスを完成させたところで
チェックを入れ、サインした
この日の試合で、控えが1人足りない(打順表に書いてない)というケースがあった
確認するため、審判長のジミーに話に
いくと、PC担当者がスタートリストを作成する際に気付き、PC担当者が持っていた打順表の控えにボールペンで書き加え
られていたこの大会では、1チーム15人となっているため、結果的には追記を有効とした
役員さんたちも記録が片付くのを待ってくれていて
PC担当者も残ってくれていたため、このタイミングで初日のスコアの
修正について話し合い翌日、修正をかけることが決まった
この日の夜、ベンチュー会長の声掛けで
役員や競技役員ら全員で、ホテル近くのお食事処(韓国料理)に足を運んだ
10月1日(水) 曇りのち晴れ 大会5日目(セミファイナル・2試合を記帳) 日本チームは勝ってグランドファイナルへ
この日は2試合
第1試合の開始が10時で、ホテルの出発時刻が予選リーグの時より1時間遅れて8時出発
遅刻
者が出たコトもあり、通勤時間帯と重なって渋滞にハマり球場への到着が試合開始の30分前くらいとなったため、審判
の方々は、着替えなどでバタバタだったらしい私は、いつも通りの出発時刻と思って間違えて朝から準備していたため、
逆に時間ができたホテルで事前の準備ができたため、問題なく試合に入ることができた
第1試合終了後、これまでの公式記録のHPアップ済分について、修正が必要な部分の訂正を行った
第1試合が10時プレイボール
第2試合は14時プレイボールだったため、今日は普通にお昼をとることができた
セミファイナルということもあってかチームの力が均衡してきており、また、私自身にも時間的余裕ができたこともあり、PCの
集計よりも先にスコアカードの集計ができた(第2試合)
試合終了後、審判員・記録員のみで焼肉を食べに行った
宗教などの関係で、お肉が食べられない人がいたため、刺身
(ローフィッシュ)はデリバリーで対応した
焼肉も刺身も冷麺もみんなおいしかった
10月2日(木) 曇り時々雨 大会6日目(ファイナル・グランドファイナル・2試合を記帳) 日本チーム優勝
この日の第1試合は9時30分の予定だったが、昨日の通勤渋滞を鑑みて
ホテルの出発は7時になり
おかげで現地
には、8時前に到着しかし、その道中の路面が濡れていた
この日も天候との戦いになりそうだと思った
その第1試合(ファイナル)で、いきなり雨による中断となった
かなり激しい雨だったため、テントを少し前方に出してもらい
吹き込みを防ぐとともに、用意していったタオルやビニール袋のカバーなどでスコアカードが濡れないよう工夫した
こ
の間にトイレに行けたのはラッキーだった40分強の中断ののち、試合は再開
12時過ぎに試合終了となった
20分
以内にサインができた
14時30分プレイボールの決勝(グランドファイナル)は、審判員4名と記録員2名(Official 1名、Assistant 1名)の全員が
女性という顔ぶれになったPL・中国
1B・香港
2B・マレーシア
3B・タイ
OfficialScorer・日本
Assistant・韓国
なにか上層部での計らいがあったのではないかと推察される
第2試合も、雨による中断があったが
今回は7分程度の短いものだった
実はこの日、審判のジャッジなどで記帳に悩むモノもあったが
審判員らと相談し、記帳した
決勝(グランドファイナル)が終了し、公式記録にサインをしたあと、審判と記録の合同ミーティングが開催された
このあと、表彰式の最後の方だけ(君が代が流れていた頃)だったが、見に行けた
この日の夜は、韓国の審判長さんたちに日本からの3名が招かれ
食事を共にした
おいしかった
ホテルに帰ってから、Mr.SEEと(通訳の人を通じて)コンタクトをとり
ホテルロビーにて、すべてのスコアカードの受け渡し
を行い本大会の記録業務を完了した
大会を通じて感じたこと
韓国におけるソフトボールのチーム数は、子どもから大人までを含めて国全体で20~30チーム程度とのこと
野球は強い
が、ソフトボールはまだまだ普及途上と感じたこのようなことから、アジア連盟に委員会のない(らしい
)公式記録員へ
の伝達事項や記録の方法などについて伝わっておらず、本大会でチャイニーズ・タイペイ式の記録を書くことも伝わらなかっ
たのではないかと思う(推測)
すべての試合の記録をとることとなったため、正確に記帳することはもちろん
ヒットやエラー、フィルダースチョイスの判定
について、正確にスピード感を持って対応することが、コミュニケーションの向上や信頼関係にも繋がったと思うしバックス
クリーンの「H(ヒット)E(エラー)F(フィルダースチョイス)」への反映もスピーディーに出来たと思う
初日は、選手交代の伝達が難しかった
日本もしくは韓国のかたがプレートの時は伝達がスムーズに行えたが、他の国の
かたからの伝達は難しくまた、ホワイトボードへ記入するマジックも細かったらしく、見えにくかった
それでもこれは、日
を追うごとに慣れていった放送・PC担当・アシスタントスコアラー・スコアボード担当らと協力して乗り切った
記帳や集計、点検、チェックなどを効率よく進めるため、どうすれば正確なものを時間内に完成させることができるかを常に
頭に入れながら、アイデアを出し1試合1試合を工夫しながら改善していった
審判員は15人中5名が女性で、記録員は男女2名ずつだった
男女の割合的にはほど良いのではないかと感じていた
が、アジア連盟としては、女性にもっと頑張って外に出てきて欲しいという考え方だったらしい(推測)
韓国の人たちはとても親切で、フレンドリーで、本当に良くしていただいた
”スポーツは国境を越える”というが、まさしくそ
のとおり感謝に堪えません
日本流「ぼやき」は重要
サードゴロでファーストフォースアウトなら「5,3」を英語で言った
試合進行と同時入力のPC
担当者との整合率も上がった
「何があっても想定内」という考え方で入れば、笑顔で乗り切れると思った
男女や年齢に関係なく、言いたい事や伝えて
おきたいことなども、ほぼ伝えられたと思う日本語英語で笑われちゃったこともあったが、通じると嬉しい
イザとなったら日本式で押し切ってもイイと言われており
日本からルールブックと競技者必携、スコアリングマニュアルを
持ち込んだアウトの機会やコールドゲーム、投球回数などでの勝ち投手の決定方法などで、最終確認ができた
日本リーグや国内の国際大会など、行ける範囲で現地に出向き
最新の国際情報などを得るチャンスを作ると良い
また、資料に目を通すことも大事だが、実際に書いてみて分からない部分や相違点から入っていった方が覚えやすいか
もしれない(人それぞれやり方覚え方が違うしね)今回の私の場合、岐阜で大垣カップがあったので見に行ったところ
テンポラリーランナーや自責点の考え方などに関する最新の情報を直接入手できた
渡航1か月前の8月24日、オランダ・ハーレムで開催された世界選手権のテレビ放映があったので
それを見ながら記帳し
集計したものを、同大会の公式HPの記録と照らし合わせ、自分の理解を深めるとともにチャイニーズ・タイペイ式の理解
・消化具合を確認できた
市内リーグのスコアカードを見て、チャイニーズ・タイペイ式に書き換える練習は、時間を問わず1人でできる
経験値を
積むのには持ってこいだったこれまでに行かれた方々も、こんな練習をしていたとのこと
ちなみに私が書いたのは、
50枚程度がんばった
持ち物は・・・ 順不同です
パジャマ(寝る時はいつもの格好で寝たかったから
)
下着類(5~6セット・洗濯して回しました)
タオル(殆ど使わず
)
ホームウェアっぽいもの(ホテルとかで着る。ジャージやポロシャツとかで十分)記録のズボン(1本)
上着(ジャンパー)
ハンカチ靴(予備)
靴下(5~6足)
液体蚊取り(当時、韓国ではデング熱が流行っているとのことで)
虫よけスプレー
(スプレーと言ってもポンプ式のもの)薬類(風邪・痛み止め・胃・下痢止め・アレルギー・絆創膏・テーピング・湿布・ウナ)
マスク日焼け止め(一応
)
洗面用具(歯ブラシ・歯磨きチューブ・石鹸・シャンプー・洗顔フォーム・くし・ブラシなど)
ビニール袋ポケットティッシュ
生理用品(念のため
)
充電器類(スマホ・カメラ)
乾電池
USBメモリ
目覚まし時計
ソーイングセットはさみ
爪切り
化粧品類
ピンセット(よくトゲが刺さるもんで
)
電圧変換器
延長コード(タコ足)
うめぼし(バーバの手作り)
揚げ塩ピーナッツ(大好きなもの
)
飴いっぱい
ようかん
作業用手袋
おみやげ類
(おつまみ系8セットピンバッジ52個(大会初日ですべて無くなった
100個くらい持ってった方がいいカモ
)日本の
スコアリングマニュアル5冊(前回のアジア大会でも、喜ばれたとのことだったので)
洗濯洗剤&吊るすものや紐とか
洗濯ばさみなどパスポート
日ソからの書類各種(航空券含む
)
ADカード
カメラ
お買い物バッグ
ガム・フリスク
ぢべたぐらし(マンガの本)
帽子
日焼け腕カバー
お財布(日本円用とは分けて持ってた方が
)
保険証(国内用)
運転免許証(国内用)名刺
辞書&電子辞書(実はあんま使ってない)
油性マジック
スーツケースの重さを測れるの
ノート眼鏡(予備)
ペットボトル&カバー
携帯電話やスマホの国際ガイドブック
重宝したものは、油性マジック
帽子
日焼け止め
携帯電話やスマホの国際ガイドブック
持ってかなかったけど、持ってった方がいいと思うモノは、ろうそく
支給されたズボンのチャックがちょっと引っかかる感じ
だったので、ロウソクでスムーズにできるとストレスが少ないあと、サングラス
日差しがまぶしい時があった
醤油や
インスタントみそ汁インスタントカップラーメン
ふりかけ
毎日の食事にちょっと飽きてきたころ、宮城の遠藤さんが
おすそわけしてくれたんだけど・・・スゴくホッとした間があったっけ~
ホテル周辺にコインランドリーなどは無かったものの
一日に3つまでなら無料で洗濯してくれるってことだった
朝、洗濯
に出すと、翌日帰ってくるまでには部屋に戻っていたこのサイクルを上手に使い、スコアラーチームの服装は私が決定
記録員たちに指示を出した
フェイスブックやラインで繋がることができたため、USBメモリは使わずじまいだった
ちなみに今でも交流がある
行く前に、大会のオフィシャルウェアは何をどのくらい支給してもらえるのかが分かっていれば、もう少し荷物を減らせたと
思いますが韓国の大会組織委員会側もバタバタだったらしく、そういった返事はもらえなかった
最後に・・・
日本のスコアカードは、一つの打順のところに4人まで書けるようになっているが
アジア大会用のスコアカードは、3人
TM(テンポラリーランナー)を採用したこともあり、キャッチャーの打順が厳しいカモと思っていたところ・・・最後の最後
決勝でその悲劇は起こってしまったキャッチャー峰のところにTMで坂元が入り
次の打席、TMで山田が入り
ここで3人
の枠はMAXこのあと代打で佐藤がコールされ
書くトコなーい
でも、書かなきゃならない
仕方がないので、直前の
打順の一番下の行に書いて、ボックスは本来書く場所(峰の打順)に記入横計は名前を書いた行に記入し、ユニフォーム
ナンバーをメモしておきましたTMの制度は、まだ始まったばかりだと思うので、書き方は工夫次第って部分もあると思い
ますが ・・・せめて4行くださいっ
英語はそれほど喋れるわけではないが、良好なコミュニケーションを維持したかったので
顔を見ては、自分から挨拶したり
話しかけたりした代表者会議では、分かる単語を拾って繋げたら、ほぼ理解できた・・・と思う
なのでヒアリングは重要
だと思った会議で喋ったのは
オーダー表を試合開始何分前に持ってきてもらうか
ということを、司会者側から振られ
た時だけ30分前か45分前かと聞かれ、最終的に45分前に設定してもらった
日本戦は(自国チームなので)記録できないと思い込んでいたものの
記録をとることになった
一番いい席で日本の国際
試合を見れるなんて、夢のようと思いながらも立場上、表立っての応援はできない
心の中で応援していたつもりだった
が、先制点をとった時や追加点をとった時など思わず手を叩いてしまった
3回くらい叩いて、あ
ダメだった
と思って
素知らぬふりしたことが何回かあった自分の心に正直だもんで・・・すみませんっ
静岡県ソフトボール協会HPに、レポートをアップしていただいてありますそれと、本ブログのカテゴリー「仁川アジア大会」を参考にしていただき
4年後のアジア大会、もしくはもっとすぐに来るかもしれない国際大会へ
派遣される方々のご参考にしていただければと思います
大会期間中につけていた日記も参考にしましたので、ほぼすべて書き出したハズです
最後の最後に・・・今回の派遣に際し、ご支援いただいたすべての方々そして、大会期間中にさまざまな形で支えて下さったすべての方々に対し、心より御礼申し上げます
本当にありがとうございました
オリンピック競技に
野球とソフトボールを復活させよう
バックソフトボール&ベースボール
再び野球とソフトボールがオリンピック競技として採用されるよう復活へ向けた取り組みや活動を続けよう
平成20年(2008年)9月15日更新BACKSOFTBALLオリンピック競技復活へ向けて
~坂井アニからのメッセージ~
読売新聞
子どもの目標の場に
静岡新聞
中日新聞
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