夜中函館を出発じゃなくて青森到着。
目が覚めたらこの朝日だった。
きっとどこにいてもこのお日さまは毎日変わらないで上り、夜がふけるだろうと思う。
宮城に行くのだから、ほんの少しでも被災地の様子を知りたいと思った。
何もできるわけじゃないけれど、この目で確認することって大切だと思うからだった。
本当は石巻に訪ねたかったのだけれど、時間がなく途中で断念。
本来の目的を経て
帰りに、仙台空港あたりへ。
あの日大勢の人達が津波から逃れるために閖中(ゆりあげ中学校)を目指して走りました。
街の復興も大切なことです。
でもたくさんの人たちの命もここにある事を忘れないでほしい。
死んだら終わりですか?
生き残った私たちに出来ることを考えます。
津波のことは忘れても、亡くなった仲間のことは忘れないでほしい。
中学生の叫びでしょう。
後輩たちは、黒板に「3.11 卒業おめでとう」と書いていました。
門のところの時計は地震の起きた時間で止まっていました。3時前です。
グラウンドの時計は、多分津波が来た時間で止まっているのだと思います。
4時10分前でした。
その地域に入った時に、色はすべてグレーで、まるでモノクロの写真を見ているように感じました。
校舎の中は、泥だらけ。
たくさんの人の足跡。
生き延びた人の証。
近くのコンビニの人からは、すっかり様変わりしてしまって・・・と聴きました。
土台も流された家、土台だけ残っている家。
中身のない家。
なんとか修繕された神社、お寺。
集められた墓石たち。
そして、何でもなかった地域にひっそりと建てられた仮設住宅。
両側には、幸せそうに立っている家。
たまらないだろうなと、私は感じました。
それでも今を生きる。
そんなふうに私は感じてきました。