『子どもたちは夜と遊ぶ』は、「生き別れの双子の兄と再会したいがために殺人を繰り返す秀才大学院生のお話」と言ってしまえば身も蓋もないのですが、最初のとっつきにくさを克服してしまえば、本格ミステリー的謎解きの楽しさがあり、また、主人公・木村浅葱の清算な過去、絶望と復讐心、双子の兄への憧憬などが切々と綴られているために、「猟奇殺人鬼」では片づけられない闇の深さがあります。
海外留学をかけた論文コンクールで最優秀賞を取った「i」とは誰なのか。優秀賞に甘んじざるを得なかった木村浅葱はその正体究明に乗り出し、いくつかのハンドルネームのうち、「θ」に「i」からコンタクトがあり、「θ」のデータがすべて盗まれてしまうのですが、その後「i」は双子の兄の「藍」だと告白します。そして、浅葱が兄「i(藍)」に会うための条件として、合計8人の殺人ゲームが持ち掛けられます。交替で各4人ずつ殺す計算で、一方が殺人を済ませたら、次に殺す対象のヒントを他方に与え、他方はそれに答えなければならないというゲームです。
最初に行方不明になった高3男子のところに残されたメッセージは「つれられていっちゃった」。次回へのヒントは「春「」秋冬。足りないのは?」。θはそれに答えて森本夏美という女性を殺し、「赤い靴」というメッセージを現場に残し、またiに次回へのヒントを送る、という具合に続いていきます。このゲーム感覚の連続殺人に身震いするとともに、どこに行きつくのか先が気になってしょうがない面白さがあります。
浅葱のライバルであり、友達でもある狐塚孝太を示唆する「次回のヒント」が「i」から来た時の浅葱の葛藤、無意識のうちに好きになっていたその妹の月子(孝太の妹であることは明かされていません)への渇望と失望など、「感情のある人間らしさ」が垣間見られる一方で、関係ない人は殺してしまえる分裂症的行動もなかなか読ませます。
難点を言えば、月子と孝太のエピソードの比重が大き過ぎ、本筋がなかなか見えてこないことですね。大人になり切れない20歳過ぎの大学(院)生たちの青春群像小説っぽいところがいいか悪いかは評価が分かれるのかも知れません。私はこの作品はミステリーに絞って、青春群像的な部分は登場人物のキャラクター設定が了解できる程度まで削ぎ落とした方がすっきりしていいのではないかと思いますが。
結末は、「i」の正体など、もろもろの謎は解決しますが、「その後」が気になってしまう終わり方で、『子どもたちは夜と遊ぶ・アフター』がそのうち書かれるのではと疑いたくなる感じです。