またあの安倍晴明と源博雅が酒を飲みながら語り合う土御門の濡れ縁に戻ってきました。『陰陽師 第7巻 太極ノ巻』の収録作品は「二百六十二匹の黄金虫」、「鬼小槌」、「棗坊主」、「東国より上る人、鬼にあうこと」、「覚(さとる)」、「針魔童子」の6編。
相も変わらず晴明と博雅は濡れ縁で酒を飲み、誰かの依頼で奇怪な事件の解決に出かけていくパターンですが、事件はいつも違った趣を持ち、マンネリのようでいて決してマンネリ化しないシリーズだな、と7巻まで読んで思っています。
晴明と博雅のやり取りがまた深くて面白いです。博雅は直感的に真理をつかみ取り、それに心を動かされて「不思議だなあ」と思ったことを言うのに対して、晴明は「呪だ」「空だ」と陰陽道や仏教の概念を使って、つまり理屈で物事を説明しようとし、いつも博雅の素直な感動を台無しにするところがまた味わいがあっていいですね。
「二百六十二匹の黄金虫」には6巻の「むしめずる姫」の露子姫が再登場してその鋭い観察眼と記録の綿密さを発揮します。その真相は般若経の文字が読んでもらいたくて経典から飛び出して黄金虫となって別の経を唱えている僧の気を引こうとした、なんとも不思議な、(ありえないけど)なんとなくかわいらしいと思える動機で、思わずふふっと笑ってしまいました。
「鬼小槌」はなんだか因果な話ですが、最後に晴明が「誰も気にしてなかったから」と問題の鬼小槌をちゃっかりがめてきていたのが可笑しかったです。
「棗坊主」は日本昔話の類型のように思いました。
「東国より上る人、鬼にあうこと」では清明が陰陽師らしい活躍をしてます。
「覚(さとる)」は鬼ではなく妖物で、人の心を読晴明むというか食べるというちょっと不気味なやつ。これも陰陽師の退治話ですね。
「針魔童子」は播磨に関係する話なので、晴明のライバル(?)の堂満が当然登場します。ここでも晴明は陰陽師らしいことをしてますが、人が悪いというか、利用された博雅がちょっと気の毒というか。でも最後にみんなで酒を飲んで、「博雅よ、それを飲んだら笛でも吹いてくれぬか」でなんとなく全部うやむやに丸く収まってるのがおおらかでいいですね。
書評:夢枕獏著、『陰陽師』1~4巻(文春文庫)
書評:夢枕獏著、『陰陽師 第5巻 生成り姫』(文春文庫)
書評:夢枕獏著、『陰陽師 第6巻 龍笛ノ巻』(文春文庫)