『慈悲の瞑想』に続いて、アルボムッレ・スマナサーラの『現代人のための瞑想法―役立つ初期仏教法話〈4〉』を読んでみました。
本書では、心を落ち着かせるためのサマナ瞑想と悟りに導くヴィパッサーナ瞑想が分かりやすく紹介されています。
慈悲の瞑想がサマナ瞑想の一種であることを知りました。
心を落ち着かせるのであれば、写経や読経、ひいては音楽やスポーツなどの没頭できるものなどもサマナ瞑想の一種と言えるそうで、なかなか目から鱗が落ちるようなステイトメントでした。
つまり、難しく考える必要はないということですよね。
ヴィパッサーナ瞑想にしても、思考=妄想=悪という価値観の元に思考をしないように、ただあるがままを観察する(または念じる)のが基本で、日常生活のどの瞬間でもやろうと思えばできるという言葉には驚きました。
確かに今ここでしていること、たとえば「息を吸います」「お腹が膨らみます」「息を吐きます」「お腹が縮みます」などという観察をしていちいち心の中で唱えていれば、邪念というかありがちな悩みなどの思考が入る余地がなくなります。
そして、不思議なもので、そのような思考をしない時間が増えると心が穏やかになるのですね。
さすがに上級者向けのヴィパッサーナ瞑想で「無」を体験するというのは想像しがたいですが。
とりあえず簡単なところ、できるところから実践していきたいと思いました。