少し時間が経ってしまいましたが、ブダペスト(現地の発音はブダペシュト)の印象を忘れないうちに記しておきたいと思います。
ブダペストへは女同士で週末を利用して7月31日から8月3日まで行ってきました。
今回の小旅行は初日に写真撮影に気を取られている間に財布を取られて、散々でしたが、幸い現金の持ち合わせがさほどなく(120ユーロ位)、もともと連れが現地での費用を持つということだったので(私はホテル・飛行機代を負担)、旅行自体は問題なく続行することができました。更に幸いだったのは50ユーロをフォリントに両替した後、フォリントは別のお財布に入れていたこと、パスポート及びブダペストカードやホテルの部屋のキーもバッグの別のポケットに入れてあったことでした。身分証明書や免許証は財布と一緒に紛失しましたが、パスポートがあったため、取りあえず自分の身分を証明することができて、警察でも帰りの飛行機でも事なきを得ました。
この初日のトラブルのせいで、ただでさえ短い旅行の貴重な半日を潰してしまったので、まだ見たりないという思いでいっぱいです。そもそも見るものが多すぎて、3-4日ではとても消化しきれない感じで、じっくり堪能したいなら1週間は欲しいところです。そういうわけでブダペストは再チャレンジすることに決定しました。
セチェンニ橋周辺。この橋のブダ側にある環状交差点あたりでお財布が取られたと思われる。
ブダペシュトの街の印象は素晴らしく、夜景は今まで見た中では一番きれいでした。さすが「ヨーロッパの真珠」とうたわれるだけのことはあります。ドナウ川を挟んで、一方は宮殿やマチアス教会をはじめとする教会を擁する城壁に囲まれた高台のブダと平地のペシュトの市街地という地形は、少しドイツのハイデルベルクに印象が似ています。このハイデルベルクも美しいと評判ですが、格と規模が全然比較になりません。やはり、オーストリア・ハンガリー帝国に君臨したハプスブルク家の財産を投入して、権力誇示のために作られた街と、たかが神聖ローマ帝国の一選帝侯の領土では比べること自体おこがましい、という感じですね。日本のレインボーブリッジとお台場に至っては「ごみ」です。
ブダ側のマティアス教会 マティアス教会に隣接する漁師の陵堡 漁師の陵堡から見下ろしたドナウ川と国会議事堂
ペシュト側でガイド付きの観光ウォーキングをしました。英語の分かる方はこちらのビデオをご覧になってください。Szabadság Térという公園前での説明です。その公園から歩いて5-6分くらいのところにハンガリーの国会議事堂があります。ヨーロッパで2番目に大きいと言われるもので、イギリスのバッキンガム宮殿を手本にしたという話ですが、ガイドさんの話によると、ハンガリーの国会議事堂の方が美しい、そうです
ハンガリー国会議事堂。
夜景の素晴らしさを堪能するにはナイトクルーズ、特にディナークルージングがお勧めです。混んでいてなかなか乗船できない場合もありますので、前もってネットかツーリストインフォでチケットを買っておいた方がいいでしょう。新婚旅行とかできたらロマンチックだろうなあ、と思いつつ女二人でナイトクルーズした光景をご覧ください。
ペシュト中心から英雄広場までの大通りは「東のシャンゼリゼ」と言われるそうですが、はっきり言ってパリのシャンゼリゼよりも綺麗です。道幅はシャンゼリゼほどありませんが、ごみが落ちていない、排泄物のにおいがどこにもしない、という衛生面で優れているばかりでなく、並木と格式高いブティックやレストランの絶妙なハーモニーで、全体的の上品です。またそのすぐ下を走るヨーロッパ最古の地下鉄は古いだけにあまり地下深くなく、駅構内も小さくて一車両分しかないので、地下鉄もいまだに一両編成、という愛嬌があります。無理に拡張工事をして現代化を図ろうとしないところがいいな、と思いました。
「東のシャンゼリゼ」
地下鉄M1のBajczy-Zs駅 1車両のみの車内
英雄広場
ハプスブルク家支配以前のハンガリーはトルコ支配下にあり、様々な温泉施設にその名残を残しています。さすがにそのずっと以前のローマ帝国時代のお風呂は残っていないようですが、ローマ人たちもブダペストの天然の温泉を堪能した、という話です。私達が行ったのは英雄広場からも近いセチェンニ浴場です。セチェンニ浴場は20世紀初頭に建てられたヨーロッパ最大のスパ施設で、豪華なロココ調の建物はさながらお城のようです。
ハンガリー人は自称フン族の子孫ということですが、中央アジアの騎馬・遊牧民族の特徴をまだ外見的に持っているのかと言うと、そうでもないです。全体的に小柄で、肌は明るい色ですが、白人ほど血管が透けるような白さではなく、髪や眼の色も暗い色の方が若干多い感じがしますが、金髪碧眼の人ももちろんいます。
3日やそこらでハンガリーの人たちを深く知ることは勿論できませんが、接することのできたハンガリー人たちは概ね親切で愛想がよかったです。でも、イタリア人やトルコ人のような馴れ馴れしさというか押しつけがましさはなく、つつましやかな印象を受けました。でも、うちには強い民族意識と反骨精神を秘めているのかも知れません。社会主義政権下でも他の社会主義圏の国々とは違った独特のものがあったようで、俗に「グーラシュ社会主義」と揶揄されていたとか。
ブダペストは第2次世界大戦の際に町の約80%が破壊されたそうですが、社会主義政権下で大した経済力もなかったはずなのに、重要文化財のほとんどを戦後に再建したそうで、そこにしたたかな文化的エネルギーを感じます。東西ドイツ統一までろくに歴史的遺産の再建復興をせずに、ブロックのような団地や新たな社会主義的モニュメントを立てていた東ドイツとは実に対照的です。
ブダの丘の上にそびえる王宮は1905年の形態を復元したものです(写真)。戦略的な立地からすでに1400年にはゴシック様式の城砦がその場所に立っていました。現在みられるような広大壮麗な王宮はマリア・テレジアによる拡張工事によるものです。
王宮近くに小さなお土産屋さんの並ぶ市場がありました。日曜でも観光客向けに開いてました。唐辛子が鈴なりに展示されているのにはちょっと衝撃!
ブダペシュト最後の晩に行ったレストランは"Matyas Pince" というエリザベート橋の近くのレストランで、ジプシーオーケストラの生演奏が聞けるところです。演奏は地下で行われますので、席に案内される際には演奏が聴きたい旨を伝えておくとよいでしょう。多少観光客向けになり過ぎて、地元の良さというのが出ていないのかも知れませんが、料理はハンガリーの物価にしては高くても美味しかったですし、ジプシーオーケストラの演奏もなかなか良かったです。リーダーのヴィルモス・ラカトス氏はRajkoという音楽学校を卒業し、そこで教師を務めたり、パリやフランクフルトのオーケストラで演奏していたこともある人で、ジプシー音楽独特の「泣くような」バイオリンの演奏が素晴らしい。リクエストにもこたえてくれます。
レストランの地下 ヴィルモス・ラカトス氏 前菜セット グーラッシュ・スープ
音は悪いですが、生演奏の様子はこちら。
本当に女同士で行くにはもったいないくらいロマンチックな気分を味わえる街です。建物の建築様式が19世紀末から20世紀初頭のものが多いため、同じハプスブルク帝国の支配下にあったプラハと印象が被る感じがしますが、個人的にはプラハやウィーンよりもブダペシュトの方が美しいと感じました。