☆愛猫ココノスケ親ばか日記♪

約15年間家族の心を支え続けたキジネコ
ココ嬢の声はもう聞こえないけど
飼い主が思い出を綴ります

異界への旅

2015年10月25日 | 美術館・文学館
先日、桜木町の方へ出かけた帰りに
ふと「柳田国男展」へ行こうかなと思いつきました。
何しろ出不精な私「ついで」を利用しないと
行きたいところもスルーしてしまい勝ちです。

桜木町駅前から出ている小さい赤いバスの
「あかいくつ号」に乗って神奈川近代文学館へ。



車内には観光案内テープが流れます。
観光バスではないですが、一般のバスより安く(100円均一)
降りたい停留所でボタンを押して降りることができます。

「馬車道」や「元町商店街」や「中華街入口」を通り過ぎ
「港の見える丘公園前」で降りて、少し歩きます。


上の矢印のところが、その文学館です。
この地図は実はスカーフのような風呂敷のようなものの一部で
ン十年前のものなので、色あせて見づらいです、ごめんなさい。

この文学館のそばには
猫好きで有名な「大仏次郎記念館」があります。


柳田国男は「遠野物語」など日本の伝説や昔話を研究して
民俗学を確立した人です。
河童の話や座敷わらしなどの話をたくさん収集しました。
私も遠野物語のお話が好きでテレビの「日本昔ばなし」にも
いくつか登場しました。

折口信夫や森鴎外などの作家とも交流があったようです。
それにしても、昔の人は手紙などをきちんとちゃんと
保管しておくんですね~。

彼の遺品の中に椰子の実がありました。
♪名も知らぬ~ 遠き島より流れ寄る 椰子の実ひとつ~♪
の歌詞で有名な歌ですが、
あれは島崎藤村が作詞したと言われています。
実は、柳田国男がこの椰子の実を海岸で見つけ
それを持って、島崎氏にいろいろ想いを語ったところから
島崎氏がインスピレーションを受けて歌詞を創ったというのが本当らしいです。

今なら何か問題が起こりそうですが、
昔の人は懐が大きいというか、鷹揚ですね。

いろいろ観てみると、
柳田氏は、幼い頃からかなり幻想的な不思議なお話が好きなようです。
だから民俗学まで辿り着いたのでしょうけど。

晩年は、散歩をしながら
自分のお墓の場所を探索して回ったようです。
富士山が見える場所がいいと言って
川崎の某場所に決めたといいます。

「死後もこの日本の素晴らしい自然の中に居たい」
と言い残したようです。
それは、彼のみならず日本人ほとんどの想いを
代弁しているように思えます。




帰りは、遠くにベイブリッジを眺めつつ
冷たい海風に当たりながら
異界から常世に戻りました。


帰宅してから上の2冊の本を出してみました。
一冊が柳田国男の「遠野物語」(新潮文庫)
もう一冊が内藤正敏の「遠野物語の原風景」(ちくま文庫)
後者は、物語が生まれる背景・・・宗教や産業など
山伏や鉱山、気候、風習などを掘り下げてあるので
よりリアリティを持って作品に迫ることができます。

また読んでみようと思います。
脳内で、異界への旅、ふたたび・・・(@_@;)




コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 季節は巡る | トップ | こたつを出しました »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おつかれさまでしたー。 (トラネコ)
2015-11-03 10:55:21
柳田國男はすごーく気になっていつつ、
明治期の文章が苦手でなんとなーく
手にとっていない。。。
なので、遠野物語もなんとなーく手をつけていない。
工芸品としての民芸は大好きなんですが。。。
食わず嫌いはいけませんね。
反省、反省。
返信する
トラネコさん (ココの母)
2015-11-03 17:02:53
トラネコさーん、こんにちは~。
コメントありがとうございます。

もともと、河童伝説や座敷童などのお話が好きで、それが「遠野物語」の中にあると知り、読んでみました。
私も、この時代の文語調や旧仮名使いの文章がちょっと読みにくいとは感じましたが、ひとつひとつのお話が短いので、わりと理解し易かったですよ。
(私の頭でも・・・(笑)
それに、現代語版(あるのかな?)よりも、臨場感があり、雰囲気があって引き込まれます。

三島由紀夫に「これぞ文学だ」と言わしめたお話は短いながら、正に『戦慄』してしまいました(死んだおばあさんが歩いて、着物の裾が当たった坪がくるくる回るというお話)

あ、長々とすみません。
(遠野物語は半分が解説です、新潮文庫版)
返信する

コメントを投稿