花便りが聞かれるようになりました。
今年は暖冬で開花が早まるかと思いきや、3月になって寒くなり、平年とあまり大きな差はなくなりそうですね。
何となく辻褄を合わせる自然は偉大だ!
というわけで、桜の季節限定でデザインを換えてみました。
桜と言えば思い出すのが「花咲じいさん」。
枯れ木に花を咲かせるのだから、もう少し早い季節の話でしょうが、こういう昔話には、ご先祖様たちが自然との付き合いの中で得た、生活の知恵、哲学が詰まっているようです。 それをエコロジカルに解釈してみました。
「花咲じいさん」といえば、「ここ掘れワンワン」のわんちゃん。
この犬、川上から流れてきた木の根っこから出てきたって、知ってました? 川から流れてきたのは桃太郎だけじゃなかったんですね。 どちらも川上の異世界、霊的な世界から来たということでしょうが、桃太郎が入っていたような実が沢山なっていた木の根っこなら、もしかして桃太郎よりわんちゃんの方が格上?
木の根っこから出てきたということは、この犬、一種の自然神、植物の精のようなものではないでしょうか。
だから、裏の畑で「ここ掘れワンワン」と掘ってみたら大判小判がザクザク、というのはわかり易いたとえ話で、自然の声(摂理)に従って田や畑を耕し作物を育てれば、豊かな恵みを得られるということでしょう。
それを意地悪じいさんは、自然の声を無視して目先の利益を追求し、自然を破壊し資源を枯渇させてしまう。 それが犬を殺してしまうという事です。
意地悪じいさんが掘って出てくるのは瓦や瀬戸欠け、いずれも人工物、つまりは産業廃棄物ですね。
正直じいさんは、犬が死んだのを悲しんで丁重に葬ってやります。 お墓に植えた苗木がみるみる大きく成長したというのは、この犬が植物の精だったことを思えば不思議はありません。 自然の再生、生命力を表しています。
その木で臼を作りお餅をつく。 自然の恵みは様々な形で活用できます。
ここでも意地悪じいさんは、自分の思い通りにならないからと臼を燃やしてしまいます。 燃やすしか能がないなんて、どっかの国のゴミ処理みたい。
正直じいさんはその灰も無駄にしません。 木の灰が肥料になり、おかげで美しい花を咲かせることは説明するまでもありません。 そのほかにも、アク抜きや洗濯など、いろんな事に使ったようです。
ところが、同じ灰でも怖いものもあるのです。 ダイオキシンとか、核廃棄物の死の灰だとか。 ま、昔はそんなものなかったでしょうが、燃やすものによっては危険なものもあり、何処にでも撒いてはいけないということは経験的にわかっていたのかも知れません。 そこまで考えなくても、ものは使いようで役にも立てば害にもなったのでしょう。
欲を出さず、自然と調和して生きる。 そんな生き方を教えてくれる昔話ですね。
そんなことを考えながら、本格的な春が待たれる今日この頃です。
今年は暖冬で開花が早まるかと思いきや、3月になって寒くなり、平年とあまり大きな差はなくなりそうですね。
何となく辻褄を合わせる自然は偉大だ!
というわけで、桜の季節限定でデザインを換えてみました。
桜と言えば思い出すのが「花咲じいさん」。
枯れ木に花を咲かせるのだから、もう少し早い季節の話でしょうが、こういう昔話には、ご先祖様たちが自然との付き合いの中で得た、生活の知恵、哲学が詰まっているようです。 それをエコロジカルに解釈してみました。
「花咲じいさん」といえば、「ここ掘れワンワン」のわんちゃん。
この犬、川上から流れてきた木の根っこから出てきたって、知ってました? 川から流れてきたのは桃太郎だけじゃなかったんですね。 どちらも川上の異世界、霊的な世界から来たということでしょうが、桃太郎が入っていたような実が沢山なっていた木の根っこなら、もしかして桃太郎よりわんちゃんの方が格上?
木の根っこから出てきたということは、この犬、一種の自然神、植物の精のようなものではないでしょうか。
だから、裏の畑で「ここ掘れワンワン」と掘ってみたら大判小判がザクザク、というのはわかり易いたとえ話で、自然の声(摂理)に従って田や畑を耕し作物を育てれば、豊かな恵みを得られるということでしょう。
それを意地悪じいさんは、自然の声を無視して目先の利益を追求し、自然を破壊し資源を枯渇させてしまう。 それが犬を殺してしまうという事です。
意地悪じいさんが掘って出てくるのは瓦や瀬戸欠け、いずれも人工物、つまりは産業廃棄物ですね。
正直じいさんは、犬が死んだのを悲しんで丁重に葬ってやります。 お墓に植えた苗木がみるみる大きく成長したというのは、この犬が植物の精だったことを思えば不思議はありません。 自然の再生、生命力を表しています。
その木で臼を作りお餅をつく。 自然の恵みは様々な形で活用できます。
ここでも意地悪じいさんは、自分の思い通りにならないからと臼を燃やしてしまいます。 燃やすしか能がないなんて、どっかの国のゴミ処理みたい。
正直じいさんはその灰も無駄にしません。 木の灰が肥料になり、おかげで美しい花を咲かせることは説明するまでもありません。 そのほかにも、アク抜きや洗濯など、いろんな事に使ったようです。
ところが、同じ灰でも怖いものもあるのです。 ダイオキシンとか、核廃棄物の死の灰だとか。 ま、昔はそんなものなかったでしょうが、燃やすものによっては危険なものもあり、何処にでも撒いてはいけないということは経験的にわかっていたのかも知れません。 そこまで考えなくても、ものは使いようで役にも立てば害にもなったのでしょう。
欲を出さず、自然と調和して生きる。 そんな生き方を教えてくれる昔話ですね。
そんなことを考えながら、本格的な春が待たれる今日この頃です。
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