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08年 連ドラ・・篤姫 09年連ドラは

2009-01-12 | ・ エンタメ


篤姫
 篤姫 宮崎さん上手いですね10代から40代と台詞の声が10代では高い声の台詞回しと40代での低音アルトまで下げた台詞が演技に成長が観れますね・・

 和宮役の堀北さん女優として一段アップの演技力ですね、イノセントラブの中で素晴らしい、感情表現、演技でした・・

 男優では内野刑事役が断トツの演技力ですね、二宮・三兄弟の長男役が、大野・魔王の弁護士役・・良かったです・・
 人気では上地・・シロトマルダシ演技?も何か憎めない、素の演技も光っていた

篤姫 誕生と輿入れ
天保6年12月19日(1836年2月5日)、鹿児島城下に生まれる。嘉永6年(1853年)、従兄である薩摩藩主・島津斉彬の養女となり、同年8月21日に鹿児島を陸路出立し熊本を経由して江戸藩邸に入る。安政3年(1856年)に右大臣・近衛忠煕の養女となり、その年の11月に第13代将軍・徳川家定の正室となり、年寄の幾島を伴って大奥に入った(輿入れの経緯・詳細については後述)。なお、家定に嫁いで以降、生涯を通して故郷・鹿児島に戻ることは無かった。
波乱の大奥
しかし安政5年7月6日(1858年8月14日)に家定が急死し、同月16日(8月24日)には斉彬までもが死去してしまう。篤姫の結婚生活はわずか1年9ヶ月であった。家定の死を受け篤姫は落飾し、戒名は天璋院殿従三位敬順貞静大姉、通称天璋院と名乗る。同年12月、従三位に叙位。
 家定の後継として、家定の従弟で紀州藩主だった徳川家茂が14代将軍に就任することとなった。その後さらに幕府は公武合体政策を進め、文久2年(1862年)には朝廷から家茂の正室として皇女・和宮が大奥へ入る事になる。薩摩藩は天璋院に薩摩帰国を申し出るが、天璋院自身は拒否して江戸で暮らすことを選んだ。
 和宮と天璋院は「嫁姑」の関係にあり、皇室出身者と武家出身者の生活習慣の違いもあってか不仲だったが、後には和解したと言われる。このあたりの事情について勝海舟が『海舟座談』で述べている。また、天璋院が自ら擁立する予定だったにも関わらず、第15代将軍・慶喜とも仲が悪かったことが勝の談話などからうかがえる。慶応2年(1866年)の慶喜の大奥改革に対しては、家茂の死後「静寛院宮」と名乗っていた和宮と共に徹底的に反対している。

慶応3年(1867年)に慶喜が大政奉還をするも、その後に起きた戊辰戦争で徳川将軍家は存亡の危機に立たされた。その際、天璋院と静寛院宮は、島津家や朝廷に嘆願して徳川の救済と慶喜の助命に尽力し、これを実現した。そして、江戸城無血開城を前にして大奥を立ち退いた[1]。慶応4年(1868年)4月に新政府から従三位の位階を剥奪されている。

明治維新後
 規律の厳しかった大奥とは違った自由気ままな生活を楽しみ、旧幕臣・勝海舟や静寛院宮(和宮)とも度々会っていたという。また、徳川宗家16代・徳川家達に英才教育を受けさせ、海外に留学させるなどしていた。
 明治16年(1883年)11月13日、徳川宗家邸で脳溢血で倒れる。意識が回復しないまま、11月20日に49歳(満47歳9ヶ月15日)で死去した。死後、新政府から従三位の位階を再び贈られている。
 墓所は、徳川将軍家の菩提寺である上野の寛永寺。夫・家定の墓の隣に埋葬されている。
堀北 真希・和宮和宮

生い立ち
弘化3年(1846年)閏5月10日、京都御所の東に隣接する橋本邸において仁孝天皇の第8皇女として生まれる。 母は典侍・橋本経子(観行院)。閏5月16日、異母兄・孝明天皇より和宮の名を賜る [2]。 父・仁孝天皇は和宮の誕生に先立つ1月26日に崩御しており、和宮は勅命により橋本邸で養育された。
嘉永4年(1851年)7月12日、孝明天皇の命により有栖川宮熾仁親王と婚約。
降嫁
安政5年(1858年)6月28日、幕府が勅許を得ずに日米修好通商条約を調印したことに怒った孝明天皇は譲位を表明(その後、8月7日に翻意)し、8月8日には幕府に攘夷を進めるよう命じる内勅を水戸藩に下した。これに対して大老・井伊直弼の主導する幕府は尊皇攘夷を唱える志士や大名・公家への弾圧(安政の大獄)を行う。
 こうした状況下で、朝幕関係を修復し国論の統一を図る公武合体策の一環として14代将軍・徳川家茂の御台所として皇女の降嫁が画策された。ただし当初の候補は和宮ではなく、この年に生まれた孝明天皇の皇女・富貴宮であったとされる。

 本木、大河食った!「天地人」11月で終了 1月9日8時4分配信 サンケイスポーツ
 NHKは8日、制作中のスペシャルドラマ「坂の上の雲」第1部(全5回)を、11月29日~12月27日の毎週日曜午後8時からの“大河ドラマ枠”で放送すると発表した。これに伴い4日から放送が始まった大河ドラマ「天地人」は、11月22日が最終回となる。11月中に大河が終了するのは“1年もの”としては史上初めてだ。
 あれっ、打ち切り!? 4日放送の初回で平均視聴率24.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)の好発進を見せた俳優、妻夫木聡(28)主演の「天地人」。だが、11月中に放送が終わることが明らかになった。
 理由は「坂の上の雲」の放送が大河枠で決定したためだ。11月29日と12月6、13、20、27日に「坂の-」第1部計5回を放送(各回1時間半)することを、8日に同局内で開いた会長定例会見の中で発表した。
 同局の担当者は「できるだけ多くの人に見ていただくため」、この時間帯での放送を決めたと説明した。また同局関係者は「『天地人』の放送が始まる前からこの方針は決まっていた。急に『天地人』を短縮したわけではなく、ことさらに軽視しているわけでもない」と話している。
 「天地人」の放送回数は計47回に。08年「篤姫」や07年「風林火山」は50回、06年「功名が辻」や05年「義経」は49回放送。通常より2~3回分少なくなる形だ。
 「坂の-」は司馬遼太郎さんの長編小説が原作。07年11月にクランクインし、同局が「空前のスケールで制作中」と認める超大作だ。現時点までに18都府県やロシア、中国、英仏でロケを行っている。
 第1部は日清戦争がクライマックスで、ほぼ撮影済み。第2部の計4回は10年秋、第3部計4回は11年秋と3年がかりで放送する予定だ。



NHK






イノセント・いのせんと innocent
 無実、無邪気、天真爛漫な人、純潔な、純真な、無垢な、無害な、無罪の、無辜の、などを意味する英単語。
 英単語の意味としては,どちらかというと「見下し語」である。「ナイーブ」と意味が似ている。






 山田太一氏最後の連ドラ『ありふれた奇跡』初回は12.5% 1月9日10時21分配信 オリコン
 脚本家・山田太一氏が約11年ぶりに連続ドラマの脚本を手がけ、仲間由紀恵と加瀬亮が主演するフジテレビ開局50周年記念ドラマ『ありふれた奇跡』の初回視聴率(8日放送)が12.5%だったことがわかった。
 昨年12月に行われた制作発表会見で、山田氏が最後の連ドラ脚本と発言したことでも注目された同ドラマ。山田氏にとっては、1997年に放映されたドラマ『ふぞろいの林檎たちIV』以来の連ドラ脚本となり、約4年ぶりにフジテレビの連ドラに主演する仲間、そして映画シーンで広く活躍しながらも今回が初の連ドラ主演となった加瀬など、数々の話題性も後押しし、好スタートをみせた。
 『ありふれた奇跡』は、孤独と絶望を抱えながら生きる男女がささやかな希望を見出すまでを描く。歌手のエンヤが自身初となるテレビドラマの主題歌を担当している。
連ドラ 新春の・・・
テレビ朝日
日テレ
フジTV
TBS
浅野妙子 脚本家

宮崎あおい、アフリカ・ルワンダで慈善活動(サンケイスポーツ) - goo ニュース 
 世界の貧困や環境問題に関心が深く、これまでもインドやバングラデシュ、モルディブなどを訪問。写真集の印税をNGOに寄付するなど慈善活動を行ってきた。それを知った制作サイドが、「過去の哀しみを背負いながらもたくましく生きるルワンダの人々と
「篤姫」から「兼続」へ…大河の主役交代(読売新聞) - goo ニュース
「篤姫」最終回28・7%、平均視聴率は過去10年で最高(読売新聞) - goo ニュース 同番組では11月30日放送分の29・2%に次いで2番目。全50回の平均視聴率は24・5%で、過去10年の大河ドラマでは、2002年の「利家とまつ」の22・1%を抜いて、最高となった。


商道
 商道・サンド・・人間道理・・人は正しい道は・・人を残す事が、人材育成
物欲 権力欲 名誉欲鼎(かなえ、てい)

三つの欲は、己を成長させ力も・・己を滅ぼす力にもなる
 かなえ・・鼎"との文字が記されていた。
一方、義州に現れたタニョンを目撃したチャン・ソクチュは
物欲 権力欲 名誉欲鼎(かなえ、てい)は中国古代の器物の一種。土器、あるいは青銅器であり、竜山文化期に登場し、漢代まで用いられた。通常はなべ型の胴体に中空の足が3つつき、青銅器の場合には横木を通したり鉤で引っ掛けたりして運ぶための耳が1対つくが、殷代中期から西周代前期にかけて方鼎といって箱型の胴体に4本足がつくものが出現した。殷代、周代の青銅器の鼎には通常は饕餮紋などの細かい装飾の紋が刻まれており、しばしば銘文が刻まれる。
鼎はもともとは肉、魚、穀物を煮炊きする土器として出現したが、同時に宗廟において祖先神を祀る際にいけにえの肉を煮るために用いられたことから礼器の地位に高められ、精巧に作られた青銅器の鼎は国家の君主や大臣などの権力の象徴として用いられた。
著名な鼎
司母戊大方鼎 - 史上最大、最重量の鼎で、青銅器のトップと言われている。
世紀宝鼎 - 1995年に国際連合成立50周年を記念して国際連合に贈られた鼎。
大克鼎 - 西周末期の鼎。
九鼎 - 鼎の軽重を問うの故事で知られている。
鼎に関する言葉
鼎の足が3本であることから、3という数を表すことがある。
鼎談(ていだん) - 3人で談話すること。
鼎立(ていりつ) - 3つの勢力が並び立つ状態のこと。
また鼎が権力の象徴として用いられたことから、「鼎の軽重を問う」という故事成語が生まれた