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17日 ・小澤征爾指揮・新日本フィル ・指揮 アレクサンドル・ラザレフ 、日本フィル 

2009-01-18 | 京都市響  ・新日本フィル 

小澤征爾指揮 新日本フィルハーモニー特別演奏会  2FP・6-16・8,000円・

 新日フィルが一皮剥けたかな、昨年の日生オペラから、特に弦群の弾き込みに、音楽に対し積極的な自主性が増した感じで、音色が艶やかであり、厚みも増してきた様に聴こえますね・・木管は名手が多いし、今後もオケ軍団のレヴェルアップに期待します。
 ハイドン :協奏交響曲
ヴァイオリン:豊嶋泰嗣 とオーボエ:フアン=マヌエル・ルンブレラス の対話であったり、ファゴット:河村幹子 とチェロ:花崎 薫 の会話であったり、4種類異なった楽器の音色の対話とオケの旋律の会話とか・・非常に明るい旋律ですね、室内楽の原点を感じさせます・・

 面白い繋がりを感じました・・ モーツァルトは1778年にパリで、当時彼らの間で流行していた協奏交響曲を・・ハイドンは1791年の1月に初めてロンドンに訪れた。滞在中・・当時ロンドンでは協奏交響曲が流行しており・・10年以上時の流れが・・パパハイドンを慕ったモーツァルトでしたが・・繋がりを感じますね

曲目 ハイドン :協奏交響曲 変ロ長調 Hob.I-105
     オーボエ:フアン=マヌエル・ルンブレラス
    ファゴット:河村幹子
   ヴァイオリン:豊嶋泰嗣  チェロ:花崎 薫
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 協奏交響曲 変ロ長調 Hob.I-105 作品84は、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンが作曲したヴァイオリン、チェロ、オーボエ、ファゴットのための協奏交響曲。
 ハイドンは、マンハイム出身のヴァイオリニストで音楽事業家でもあったペーター・ザロモンの招きで、1791年の1月に初めてロンドンに訪れた。滞在中には1791年と翌年の1792年の2月から6月までの12回ずつザロモンが主催する演奏会にオーケストラでチェンバロ(またはピアノ)を担当して出演し、6曲の新作の交響曲やその他の新作と旧作をロンドンに紹介した(同じ時期に交響曲第90番、第91番、第92番の3曲も作曲している)。
 この協奏交響曲は1792年に作曲され、同年の3月9日に第4回ザロモン演奏会で初演され、成功をおさめた。そして次の3月16日の第5回演奏会でも再演され、さらに2回目のイギリス滞在の時の1794年2月24日の第3回ザロモン演奏会でもこの協奏交響曲がとりあげられた。当時としてはかなり歓迎されていた作品であったことが窺える。
 当時ロンドンでは協奏交響曲が流行しており、J.S.バッハの息子クリスティアン・バッハも協奏交響曲を作曲しており、ザロモンの演奏会に対抗するプロフェッショナル・コンサートでも協奏交響曲がとりあげられていたので、ハイドンもこうしたことに刺激を受け、ザロモンのヴァイオリンの腕前を生かすことにして協奏交響曲を書くことになったという。またハイドンは交響曲で特定の楽器を独奏風に使用することを好んでおり、また楽器の対比的効果にも関心を持っていたため、協奏交響曲を作曲するのに野心を燃やしていたといわれている。

 昨年、ウィーンフィルで2番を聴きましたが、好みは1番ですね、抵抗無く音楽に浸れる、音楽に惹きこまれます・・
 小澤さん、TVからですが、昨年のサイトウキネンのマーラー1番も名演でしたが・・・ブル1番も名演ですね・・P席は小澤さんの表情も見え、プラスαがありますね
 1番は初見で、ブラスの雄大な響きトランペット、トロンボーン、テューバと大健闘です、ホルン・井手、オーボエ・古部、フルート・白尾各氏と
 弦群のウネリ、音色の切れ味・・P席からで第1、第2ヴァイオリンの合奏力と低弦の支える音色も素晴らしいですね、私の好きな、ティンパニ・近藤氏の切れ味も良い・・大感動の演奏集団に変貌した
 
ブルックナー :交響曲第1番 ハ短調(リンツ稿ノヴァーク版) 開演 19:30

第1楽章は、ブルックナー習作期の作品「行進曲ニ短調」に似た雰囲気で始まる。またその後のホルンの合いの手は、やはり習作期の「序曲ト短調」に似ている。
第2楽章のみ、フルートが3本使われる。3本のフルートで作られる和音がちりばめられる。このほか、ファゴットに「旋律らしい旋律」が現れるのが、他の交響曲では見られない特徴である(概して彼の交響曲では、ファゴットは短く経過的な旋律を奏する役目が多い)。変イ長調
第3楽章は、複合三部形式のスケルツォ。粗野で原始的な音楽である。ト短調・3/4拍子であり、同じ調・拍子であるモーツァルトの交響曲第40番の第3楽章や、シューベルトの交響曲第5番の第3楽章に類似してると指摘される。
第4楽章は16分音符を用いた細かい動きが多用される他、金管楽器やティンパニも重要な活躍を見せる。
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指揮 アレクサンドル・ラザレフ
ロシアを代表する指揮者の一人。モスクワ音楽院でL.ギンズブルグに師事、同音楽院を首席で卒業。1971年にソ連国際指揮者コンクールで第1位、翌年にはベルリンでのカラヤン指揮者コンクールで第1位とゴールド・メダルを受賞。1987年から1995年にかけてボリショイ歌劇場の首席指揮者兼芸術監督を務める。両タイトルを一人の指揮者が兼任したのは30年ぶり。この間東京(1989年)、ミラノ・スカラ座(1989年)、エディンバラ音楽祭(1990、91年)、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場(1991年)などの演奏旅行では前例のないプログラムを実行し高い評価を得ている。グリンカ《イワン・スサーニン》、チャイコフスキー《オルレアンの少女》、リムスキー=コルサコフ《ムラーダ》など、同歌劇場における秀作は映像化されている。


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1月17日(土)          サントリーホール2F・P4-25・3,500円妥当な額
モーツァルト :ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲
 お二人のソロの対話が素晴らしいですね
今井信子 漆原朝子 今井さんは大分前に一度聴いていますが、何十年前かな。漆原さんは初めて聴きます・・高音が綺麗な響きですね、其れを支える低弦の今井さんが、時には姉妹であったり、兄弟であったり、時には恋人関係であったり・・声楽の二重唱を聴く思いですね・・悩み、喜び、未来の話をしている様な・・
 オケ編成もホルン2本、オーボエ2本と弦のみと小編成ですが、音楽は喜怒哀楽、人間の感情が含んでいる様な感じです・・白眉な演奏ですね

 日本フィルはサントリーで聞くのは何十年振りかも、
今回は昨年プロコ7番を聞き逃したので、聴きに、曲想は諦め、達観、全曲を通じ闇美な旋律を・・長い人生の追憶でしょうか・・・

モーツァルト :ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲
1777年から1778年にかけてパリを訪れ、マンハイム楽派の影響を受けたモーツァルトは、1778年にパリで、当時彼らの間で流行していた協奏交響曲を書いている[1]。 その後、1779年にザルツブルクに戻ってから書かれたもう1曲の協奏交響曲がこの曲である[2]。
協奏交響曲は、独奏楽器がオーケストラと渡り合う協奏曲とは違う性格を持ち、複数の独奏楽器がオーケストラと協調的に響きを作る性格を持つ。しかしこの協奏交響曲の独奏パートは高く評価され、今日ではヴァイオリン・ヴィオラの名手による二重協奏曲として演奏される傾向にある。
この曲では、モーツァルトは独奏ヴィオラは全ての弦を通常より半音高く調弦すること(スコルダトゥーラ)を指定している。独奏ヴィオラのパート譜は変ホ長調の半音下のニ長調で書かれている。弦の張力を上げることにより華やかな響きとなり、更にヴィオラが響きやすいニ長調と同じ運指になることで、地味な音色であるヴィオラがヴァイオリンと対等に渡り合う効果を狙ったのである。
華やかに上昇するヴァイオリン、静かに深い世界へ向かうヴィオラという2つの楽器の性格はうまく使い分けられ、華やかながらも必ずどこかに陰影を帯びたモーツァルトの芸術性がうまく表現された名曲になっている。

日本フィルハーモニー交響楽団第607回定期演奏会
曲目 プロコフィエフ :交響曲第1番 「古典」
モーツァルト :ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲
プロコフィエフ :交響曲第7番 「青春」
指揮 アレクサンドル・ラザレフ
  漆原朝子(Vn)、日本を代表する国際的ヴァイオリニストの一人である漆原朝子は東京藝術大学付属高等学校在学中に第2回日本国際音楽コンクールにおいて最年少優勝並びに日本人作品最優秀演奏賞を受賞し、一躍内外の注目を集めた。東京藝術大学に入学した翌年、文化庁芸術家在外研修員としてジュリアード音楽院に留学。ヴァイオリンを徳永二男氏、ドロシー・ディレイ女史らに師事。 
 1988年、NHK交響楽団定期公演でのデビューに引き続き、ニューヨークでリサイタル・デビューを行い、ニューヨーク・タイムズ紙で『1920年代の巨匠を思わせる演奏』と高く評価され、翌年のケネディ・センターでのリサイタルでは、ワシントン・ポスト紙に『恐るべき才能』と絶賛された。
 さらにマールボロ音楽祭では、リチャード・グード等との共演に加えて、往年の巨匠ルドルフ・ゼルキンに認められて共に演奏する。尚、この演奏会はゼルキンにとって生前最後の公演となった。
 今井信子(Va)今井 信子(いまい のぶこ、1943年3月18日 - )は東京都生まれのヴィオラ奏者。1983年から2003年までドイツ国立デトモルト音楽大学の教授を務め,現在は、ジュネーヴ音楽院とアムステルダム音楽院の教授を務めている。ヴィオラらしい暖かみのある落ち着いた表現が魅力で、各国で演奏活動を行っている。1988年以来、アンドレア・グァルネリ(1690年製作)を弾いている。
 6歳でヴァイオリンを始める。桐朋学園大学で齋藤秀雄に室内楽を師事する。1964年、桐朋学園オーケストラのアメリカ・ツアーでコンサートミストレスを務め、そのままアメリカに残り、タングルウッド音楽祭で小澤征爾指揮ボストン響のリヒャルト・シュトラウスの「ドン・キホーテ」を聴いたことをきっかけにヴィオラに転向する。1965年、イェール大学大学院に入学。1966年、ジュリアード音楽

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