243 日時 2010年5月3日 13:00~13:45 ホールC ・8-25・3,000円安い
:ヘンデル(1685-1759)アリアの数々を聴くのは、贅沢でした・・全曲聴きたいですね
マリア・ケオハネ・ソプラノ・・調子が良かったのでは、高音声域が素晴らしい、声質が厚いし、劇性も兼ね備えていて、素晴らしい歌唱ですね・・
リナルドより「涙の流れるままに」・・このアリアは以前韓国ドラマの中で耳にしたのですが・・生聴き出来ました・・生は良い
小編成のアンサンブルが見事ですね・・歌手と共振して、メリハリもあって、活き活きした演奏でした・・
リストの弦楽も静かな旋律が・・瞑想状態でした・・
2番も木管が無い分・・弦群の合奏も静かに時が流れる印象が、ピアノ演奏もあくまで静かな流れが・・・ウトウト感も・・これも良しですね・・
リスト・弦楽のための「夕べの鐘、守護天使への祈り」(「巡礼の年 第3年」より)
ショパン(ワルター編曲):ピアノ協奏曲第2番
曲目ヘンデル:ヘンデル(1685-1759)
同年生まれのバッハと並ぶバロック音楽の巨匠。多数のオペラやオラトリオをのこす。「ハレルヤ・コーラス」で知られるオラトリオ「メサイア」は特に有名。代表作の多くは後年帰化した英国で書かれた。
オペラ「ファラモンド」HWV39より「ふたつの風に翻弄され」
ヘンデル:オペラ「アルチーナ」HWV34より「ああ私の心よ」
ヘンデル:オラトリオ「復活」HWV47より 序曲
ヘンデル:オラトリオ「テオドーラ」HWV68より「わが嘆きの暗闇で」
ヘンデル:オペラ「ジュリオ・チェーザレ」HWV17より「嵐の海で難破した小舟は」
ヘンデル:オペラ「アグリッピーナ」HWV6より「胸さわぎが私を苦しめる」
ヘンデル:オラトリオ「メサイア」HWV56より「シオンの娘たちよ、大いに喜べ」
ヘンデル:オペラ「リナルド」HWV7より「涙の流れるままに」・・
私を 泣くがままにさせて 過酷な運命ゆえに そして自由を 慕い焦がれるままにさせて 悲しみが 私の苦悩の縄を 断ち切ってくれますように どうかお願いですから(訳・三澤寿喜)
出演者
マリア・ケオハネ [ソプラノ]マリア・ケオハネ
スウェーデン出身。時代はバロックから現代まで、ジャンルは室内楽からオペラ、オラトリオまで、幅広いレパートリーを誇る。バーバラ・ヘンドリックス、スウェーデンの古楽グループ「ドロットニングホルム・バロック・アンサンブル」と幾度も共演。室内楽にも力を注いでおり、スウェーデンのゴッテンブルグ・バッハ・アンサンブルから定期的に招かれ演奏を重ねている。イタリア、フランス、ウクライナ、アメリカ合衆国など世界各地から招かれ演奏を行っており、これまで、ヤコブ・リンドベルイ、著名なバロック・トランペット奏者ニコラス・エクルンドらと共演。エクルンドとは、ガルッピ、ツィアーニ、ヴィヴァルディの珍しい作品を集めたCDを録音している。2005年、ヘンデルのオペラ<リナルド>のアルミーダ役によりロイマート賞を受賞。
リチェルカール・コンソートフィリップ・ピエルロ [指揮]
245 日時 2010年5月3日 16:30~17:15 ホールC 2F14-10・3,000円・妥当な額
曲目リスト(1811-1886)
ドイツの作曲家だが、生地ハンガリーを祖国として終生愛していた。悪魔的な超絶技巧をもつピアニストとして、ショパンと同時期のパリでも活躍した。今日ある「リサイタル」の形の創始者でもある。
:弦楽のための「夕べの鐘、守護天使への祈り」(「巡礼の年 第3年」より)
ショパン(ワルター編曲):ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 op.21
(ピアノ・弦楽合奏版)
出演者ブリジット・エンゲラー [ピアノ]
オーヴェルニュ室内管弦楽団
アリ・ヴァン・ベーク [指揮]
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ジョルジュ・サンド(George Sand、1804年7月1日 - 1876年6月8日)はフランスの女流作家であり、初期のフェミニストとしても知られる。本名をオーロール・デュパン(Amandine-Aurore-Lucile Dupin)、デュドヴァン男爵夫人(Baronne Dudevant)という。
生涯
1804年パリで軍人貴族の父と庶民の母との間の婚前妊娠子として生まれた。彼女の曽祖父には軍事思想家のモーリス・ド・サックスがいる軍事貴族の家系である。父が早く亡くなったため子供時代はアンドル県ノアンにある父方の祖母の館で過ごし、この田舎での生活はのちに 『魔の沼』 『愛の妖精』 などの田園小説のモチーフとなった。1822年にカジミール・デュドヴァン男爵(Baron Casimir Dudevant)と結婚しモーリス(Maurice、1823)、ソランジュ(Solange、1828)の1男1女を産んだが間もなく別居し、多くの男性と恋愛関係をもった。
1831年にジュール・サンドー(Jules Sandeau)との合作で処女作 『Rose et Blanche』 を書き、これ以後「サンド」のペンネームを使うようになった。その後 『アンディアナ』 で注目され、また男装して社交界に出入りして話題となった。1833年から1834年にかけて詩人のアルフレッド・ド・ミュッセと、またその後医師パジェロ、音楽家フランツ・リストとも関係をもった。さらにフレデリック・ショパンとは1838年(マジョルカ島への逃避行)から
1847年までノアンで同棲したが、彼女の子供たちをめぐるトラブルなどから別れた。
1840年代には政治志向を強め、民主主義・社会主義の思想を懐いてアラゴ、カール・マルクス、ミハイル・バクーニンら政治思想家・活動家と交流した。1848年の2月革命に際しては政治活動に参加したが、その後ノアンに隠棲し執筆に専念した。
その後も女性権利拡張運動を主導するとともに文学作品を書き続け、ヴィクトル・ユーゴー、ギュスターヴ・フローベール、テオフィル・ゴーティエ、ゴンクール兄弟ら多くの文学者と友情を結んだ。
:ヘンデル(1685-1759)アリアの数々を聴くのは、贅沢でした・・全曲聴きたいですね
マリア・ケオハネ・ソプラノ・・調子が良かったのでは、高音声域が素晴らしい、声質が厚いし、劇性も兼ね備えていて、素晴らしい歌唱ですね・・
リナルドより「涙の流れるままに」・・このアリアは以前韓国ドラマの中で耳にしたのですが・・生聴き出来ました・・生は良い
小編成のアンサンブルが見事ですね・・歌手と共振して、メリハリもあって、活き活きした演奏でした・・
リストの弦楽も静かな旋律が・・瞑想状態でした・・
2番も木管が無い分・・弦群の合奏も静かに時が流れる印象が、ピアノ演奏もあくまで静かな流れが・・・ウトウト感も・・これも良しですね・・
リスト・弦楽のための「夕べの鐘、守護天使への祈り」(「巡礼の年 第3年」より)
ショパン(ワルター編曲):ピアノ協奏曲第2番
曲目ヘンデル:ヘンデル(1685-1759)
同年生まれのバッハと並ぶバロック音楽の巨匠。多数のオペラやオラトリオをのこす。「ハレルヤ・コーラス」で知られるオラトリオ「メサイア」は特に有名。代表作の多くは後年帰化した英国で書かれた。
オペラ「ファラモンド」HWV39より「ふたつの風に翻弄され」
ヘンデル:オペラ「アルチーナ」HWV34より「ああ私の心よ」
ヘンデル:オラトリオ「復活」HWV47より 序曲
ヘンデル:オラトリオ「テオドーラ」HWV68より「わが嘆きの暗闇で」
ヘンデル:オペラ「ジュリオ・チェーザレ」HWV17より「嵐の海で難破した小舟は」
ヘンデル:オペラ「アグリッピーナ」HWV6より「胸さわぎが私を苦しめる」
ヘンデル:オラトリオ「メサイア」HWV56より「シオンの娘たちよ、大いに喜べ」
ヘンデル:オペラ「リナルド」HWV7より「涙の流れるままに」・・
私を 泣くがままにさせて 過酷な運命ゆえに そして自由を 慕い焦がれるままにさせて 悲しみが 私の苦悩の縄を 断ち切ってくれますように どうかお願いですから(訳・三澤寿喜)
出演者
マリア・ケオハネ [ソプラノ]マリア・ケオハネ
スウェーデン出身。時代はバロックから現代まで、ジャンルは室内楽からオペラ、オラトリオまで、幅広いレパートリーを誇る。バーバラ・ヘンドリックス、スウェーデンの古楽グループ「ドロットニングホルム・バロック・アンサンブル」と幾度も共演。室内楽にも力を注いでおり、スウェーデンのゴッテンブルグ・バッハ・アンサンブルから定期的に招かれ演奏を重ねている。イタリア、フランス、ウクライナ、アメリカ合衆国など世界各地から招かれ演奏を行っており、これまで、ヤコブ・リンドベルイ、著名なバロック・トランペット奏者ニコラス・エクルンドらと共演。エクルンドとは、ガルッピ、ツィアーニ、ヴィヴァルディの珍しい作品を集めたCDを録音している。2005年、ヘンデルのオペラ<リナルド>のアルミーダ役によりロイマート賞を受賞。
リチェルカール・コンソートフィリップ・ピエルロ [指揮]
245 日時 2010年5月3日 16:30~17:15 ホールC 2F14-10・3,000円・妥当な額
曲目リスト(1811-1886)
ドイツの作曲家だが、生地ハンガリーを祖国として終生愛していた。悪魔的な超絶技巧をもつピアニストとして、ショパンと同時期のパリでも活躍した。今日ある「リサイタル」の形の創始者でもある。
:弦楽のための「夕べの鐘、守護天使への祈り」(「巡礼の年 第3年」より)
ショパン(ワルター編曲):ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 op.21
(ピアノ・弦楽合奏版)
出演者ブリジット・エンゲラー [ピアノ]
オーヴェルニュ室内管弦楽団
アリ・ヴァン・ベーク [指揮]
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ジョルジュ・サンド(George Sand、1804年7月1日 - 1876年6月8日)はフランスの女流作家であり、初期のフェミニストとしても知られる。本名をオーロール・デュパン(Amandine-Aurore-Lucile Dupin)、デュドヴァン男爵夫人(Baronne Dudevant)という。
生涯
1804年パリで軍人貴族の父と庶民の母との間の婚前妊娠子として生まれた。彼女の曽祖父には軍事思想家のモーリス・ド・サックスがいる軍事貴族の家系である。父が早く亡くなったため子供時代はアンドル県ノアンにある父方の祖母の館で過ごし、この田舎での生活はのちに 『魔の沼』 『愛の妖精』 などの田園小説のモチーフとなった。1822年にカジミール・デュドヴァン男爵(Baron Casimir Dudevant)と結婚しモーリス(Maurice、1823)、ソランジュ(Solange、1828)の1男1女を産んだが間もなく別居し、多くの男性と恋愛関係をもった。
1831年にジュール・サンドー(Jules Sandeau)との合作で処女作 『Rose et Blanche』 を書き、これ以後「サンド」のペンネームを使うようになった。その後 『アンディアナ』 で注目され、また男装して社交界に出入りして話題となった。1833年から1834年にかけて詩人のアルフレッド・ド・ミュッセと、またその後医師パジェロ、音楽家フランツ・リストとも関係をもった。さらにフレデリック・ショパンとは1838年(マジョルカ島への逃避行)から
1847年までノアンで同棲したが、彼女の子供たちをめぐるトラブルなどから別れた。
1840年代には政治志向を強め、民主主義・社会主義の思想を懐いてアラゴ、カール・マルクス、ミハイル・バクーニンら政治思想家・活動家と交流した。1848年の2月革命に際しては政治活動に参加したが、その後ノアンに隠棲し執筆に専念した。
その後も女性権利拡張運動を主導するとともに文学作品を書き続け、ヴィクトル・ユーゴー、ギュスターヴ・フローベール、テオフィル・ゴーティエ、ゴンクール兄弟ら多くの文学者と友情を結んだ。