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きょうの潮流

2017-08-06 | コラム

72年前の光景が目に焼き付いています。血を流し、ぼろぼろの姿で家の前を歩いていく人たち。一人の女性が缶詰を開けてくださいと。当時、母の陰から見ていた3歳の目には幽霊のように東京大空襲を機に一家で広島に疎開してきた箕牧智之(みまきとしゆき)さん。あの日、爆心地から20キロほど離れた自宅前でピカッと光ったことを覚えています。翌日、母に連れられ広島駅で働いていた父を捜しに市内に入り、被爆しました数年後、原因不明の病を患い、高熱にうなされ生死の境をさまよいました。長期の休学を余儀なくされたことも。そうした体験を長年、国内外で証言し続けました父親が被爆2世の弘中孝江さんは昨年、胎内被爆者の伯母から聞いた話にはっとしました。米国が被爆者を研究対象にした検査を受けたことがある、ほんとうに悔しかった―。その言葉に、身内には被爆者がいて自分は被爆3世なんだと、改めて自覚したといいます高校の時に民青に入り、原水爆禁止世界大会に参加。歴史を学び、全国の仲間に励まされながら広島から平和を発信してきました。箕牧さんも弘中さんも、人類が初めて到達した核兵器を禁止する条約の交渉の場にいました「大きな前進。生きている間に廃絶を」。被団協の代表理事を務める75歳の箕牧さんは直接の被爆体験を語る最後の世代として。「ヒバクシャ国際署名を広げ、日本政府と核保有国を追い詰めたい」。31歳の弘中さんは日本共産党員として。世代をこえ、ともにめざすは核のない世界です。

 

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