老後の日々

果物に野菜作り等、
今では趣味にして気間々にやっています。

いくらあっても必要と思うお金

2007年03月12日 | Weblog
人生に必要なのは勇気と想像力と少しのお金。そう言ったのは、映画(ライムライト)で年老いた喜劇役者にふんしたチャップリン。しかし、最近この名文句とは裏腹に、沢山のお金にまつわるニュースが多い。なかでも、松岡農相の問題、農相の資金管理団体が議員会館に事務所を移転して以降、十一年間に計上した光熱水費は四千四百七十六万円。

議員会館は光熱水費が無料なのに、なぜ年に数百万円もの巨費が計上しているのか、適切に報告していると農相は言っているだけ、何が適切なのか、理解出来る国民が居るでしょうか。沢山のお金はあっても、国民にきちんと説明する勇気は持ち合わせて居ないのですか松岡さん。?

現実か夢か

2007年03月12日 | Weblog
人生の中で夢か現かハッキリしないことが起きる。昨夜見た夢に、私が20歳頃営業していた人の所に伺っている。なぜか身体がとても重い、夢に出る人は、当時営業していた人とはまったく違う顔の人なのに、とても気安く、今日はとてもしんどいので仕事は、休みを取って来ましたと自分は言っている。

そして、その方の営業種目とまったく違うものを頼んで集めた材料で完成出来た。本当のような夢である。こんな事があって、いつか読んだ本を思い出した。紹介してみよう、鄭の国の薪取りが鹿をたおし、芭蕉の葉を当てて隠した。ところが、うっかりして、その方向を見失い、いくら探しても見つからない。

とうとうあれは夢だったのかと諦めて家に戻った。ところが別の男が、これをかぎつけ、鹿をあっさりと横取りしてしまった。薪取りは、そのことを夢に見て、その鹿は自分が射殺して隠したものであるから、返してほしいと訴えたのである。裁判官は、話を聞いて、それは夢の中の話と、現実とが半々になってしまっているからと言う理由で、鹿を2人で二等分するように命じた。

現実と夢とが混線してしまうと言うことは、非科学的な事であると決めつけてしまうことではない。心に描いて強く望み、折りを重ねる内に、夢が現実になることもあり、人の(生)は無限の謎の中にある。