老後の日々

果物に野菜作り等、
今では趣味にして気間々にやっています。

阿波の十郎兵衛

2007年03月18日 | Weblog

 

 

 

 

徳島に住んでいて徳島県と言えば貧乏県のイメージがあります。今も解消したわけではないのでしょうが、何でそのイメージを持ったかと言うと、子供の頃、路面電車が無いのは全国で徳島県と、後一県だけ、と言う事だったからだろう。作らないまま時代が過ぎて、道路のレール撤去費用を使わず済んだのもこの二県だけ、一喜一憂。さてこの徳島県、全国的に名の知られている事も沢山あります。

是非一度徳島にお出で下さいね。 そしてその一つ、阿波十郎兵衛、講演が今年も十郎兵衛屋敷後で始まっています。父の名は十郎兵衛、母の名はお弓、両親を探し歩く巡礼姿のお鶴、母と名乗れず泣く泣く追い返す母お弓、の物語をさまざまにアレンジしたもの、読、琵琶、舞踊、浪曲から落語、腹話術に仕立てたもの、音楽など、ギターを乗せての講談まで、なをも、原作とは違った。十郎兵衛に殺されたお鶴が息を吹き返し、親子で巡礼の旅に出ると言う改作まで出来ているらしいが。

他でも十郎兵衛が我が子と知らず。お金がほしさに、お鶴を殺してしまったと言う筋書きにもなっている。あまりにも有名な物語なので、涙を誘うためのものか、さなかではないが。こんな事は、この物語に限らず,歴史上の人物などでも少しずつシナリオが変わって行ってるもので、時がたつほど元はそのままでも色は変わると言う事でしょうか。ここで、この物語のあらすじを紹介してみます。阿波徳島家老(桜井主膳)の預かる重宝(国次)の名刀が盗まれ、家臣の(板東十郎兵衛)と言う、は名刀を取り戻すため、(錦十郎)と名を変え、盗賊の仲間となり、妻お弓と共に大阪の玉造に隠れ住んでいた。 十郎兵衛が留守の時、かわいい巡礼姿の子が訪ねてくる。身の上を訪ねると三才の時徳島に残してきた我が子お鶴。

その場で名乗り抱きしめたい思いにかなれるが、この子に難をかかる事を恐れ、涙ながらに追い返す。二度と会えないと思い後を追う母、お弓。この場面を阿波人形瑠璃、傾城阿波の鳴門、有名な一節だ。後に板東十郎兵衛。妻お弓も徳島に帰り現在の川内町に住む。 当時徳島は藍、製塩産業に奘励したため米不足となる。お米は外から買わなければならないのに、幕府は食料の買い入れを禁止していた。食料の輸入は密輸。板東十郎兵衛は密輸の検査役であり、川口裁判改め役であったのだが。部下の不正がばれて、今から三百年程前、元禄11年11月21日十郎兵衛の長男以下男子3人と共に処刑される。妻お弓と、娘お鶴は病死と記されている。   

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