老後の日々

果物に野菜作り等、
今では趣味にして気間々にやっています。

ゆとり教育見直し

2007年03月15日 | Weblog
振り返ってみると我々の子供の頃、戦後は随分ゆとり教育だったですよ。小学校で片道4キロの道、今日は行きたくないとか、朝遅くなってしまって叱られそうだと思えば、人の目を避けて川に降りる、大きな石の影で一日を過ごして、誰かが帰り始めると、見られないように、もっともらしい顔で家に帰る、ただ学校に行かない時は、一番に帰ってくる子より見られないために、まだ先に帰るのだから、親が感付いてないはずはない、お弁当を持たせて学校に行かせているのに、行かないのなら、家で仕事をするようにと言っていたが、それも度を重ねると親も諦めるのか、少しでも早く帰ってきて仕事をさせれば良いと思い始めたのか、早く帰るとただ笑っているだけ。 

さすがに学校は出席日数が半分以下になると、もう一年行くことになっていたらしいが、そこまでさぼるのには其れなりの度胸が必要で、成し遂げた人はいなかった。詰め込み教育が良いか、ゆとり教育が良いのかは、私には分りませんが、今の大人達、あまり好き勝手な発言はやめてほしいと思う。数年前ゆとり教育が必要と言い切った先生方、今こそ表に出て反省面なり今後の発言のあり方を討論してほしいのだが、あの時の顔ぶれは今? 何より迷惑しているのは子供達ではないのか。

教育に従事する人達、確かに詰め込み教育は大変。辛い事も伴う、自分の時間も取れない、そこで逃げ出したのがゆとり教育と思われても仕方がない。どんなことがあっても、子供はどんな環境の変化でも、10人が10人とまで言わないまでも、その環境に合わして生きていこうと努力しているのに、大人の考えで簡単に変化を造られたのではたまったものではない。厳しい事より、楽なことは馴染やすい、

授業時間10%増、春休み、夏休みは一週間ほど短縮、小、中学での七時間目授業の導入、二学期制、早朝十分間授業を正規授業に組み入れ、土曜日を活用した補充学習なども具体例として揚げている。また、小学校階段から英語教育に積極的に取り組む、義務教育で英語の授業を充実させる必要性について認識が一致と言っている。この時期こそ日本人として基本知識をしっかり教えるべきではないのか。ゆとり教育の後だけに、違ったところに歪みが出なければ良いのだが。ニートと呼ばれる人達が増えそうな気がする。

人間の目は前しか見られない

2007年03月15日 | Weblog
今朝こちらに来る時、橋のむこうは交差点。右折する車のために50メートルほどの車道がある。その車道が途切れる所、信号待ちのため停車、信号が変わり車が動きだす、二台前の車、前があいているのに動かない。何かしている様子でもない、ハンドルを持っているのは50歳過ぎだろうか、良い車だ。すぐ前の車がイライラを感じているのが解る。

私も右折、その頃になって二台前の車に指示器が点く、見るとその車の右側は車一台入るベースはある、もう少し早く右に寄っていれば直進車は動ける、その為の右折よう車道なのだが。そして信号が変わり右折車が進んで行く、其の車は私の前を走っているが、交差点に来た時は完全に赤信号なのに、大回りをして信号を抜けてしまった。18前後の人なら、この若僧めなどと思っても人生の数多い体験の一つとして見る事も出来ようが。、、、