形の無いものを無くす事って出来るのかなアー。難しいですね、虐めもその一つだと思います。ある県の調査では、小学生39%、中学生35%が虐めを受けた経験がある、又現在も小学生26.8%、中学生18.4%が虐めを受けているとの結果です。そして誰にも相談したことがないと言うのも、小、中学生合わすと92%と言う数字になっています。ここに子供が虐められた事があるかとの保護者えの調査では、子供との意識のずれがかなりあるようです。
子供が虐めに遭っていても気づかない親であったり、教訓の言葉が虐めと受け止めてしまうお子さんも居たりするようです。もう60年も昔の事なんですが私が小学校に入ると間もなく先生の差別が始まりました。女の先生でしたが、みすぼらしい私は特に嫌だったのかも知れません。父は私が3歳の時軍隊へ5歳の時亡くなりました、義務教育を受けている4人の子供、同じ仕事をしても男性の6割程度、母一人の働きでは食べるだけでやっと。
教科書も無料などと言うのは随分後の事。あの時の先生でなくても確かにみにくい人の子、だったと思う。それだけなら他の学級にも居たはずだし。そして前向きな母に育てられた私、落ち込む事もなかったと思うのですが、皮肉なことに耳が不自由だった。これもずーと後になって検査で分ったことなのだが、生れ付き音が伝わる細胞が崩れていて、音として聞こえても、言葉としてまとまらない、何度言われても分らない馬鹿だったので、
2年生から先輩が卒業する中学3年になるまで虐めが続けられました。長い期間だったので洋々な事がありました、特に五年生の時の事は辛くて死にたいと思ったこともありましたが、育ててくれた母や姉達を残して死ぬ事は虐め以上に辛いことで、これは出来ませんでした。短い期間でしたが戦時中、長男は家族や地域の人を守らなければならないから、しっかりしなければ駄目だと言われて来たからかも知れませんが?
今虐めに関してはいろんな所で各先生方が議論をされています。虐めもここまで拡大したのかと言うのが実感です。確かに、態度を変えたり、勇気を出せば解決するような事も沢山あるようです。虐められる側にも問題があるとおっしゃる先生方の言葉はここを見ているのでしょうが、この言葉にも問題があるのではないでしょうか?
学校や人の見ている所でいじめは起きない、本人に何の責任も無いことさえある。と言って人に相談しろと言われても出来ないこともある。私も状況から親には話せなかった。人の心が作る無形の問題、ここまで広くなった今、無くすことなど考えても無理だと思う。少しでも少なくする事を真剣に考えてほしい、其れには、健康な身体に健全な精神が宿る、の言葉通り、どんなことがあっても絶えられる精神力を養うこと。
それに自由と平等と権利だけが先走りしている現代だから。自由と平等と権利には責任が伴うことをしっかり自覚してもらわなければ。未成年だ、責任能力が無かった等々、その言葉の影に解決できる問題が潜んではいないだろうか。議論している大人達、子供の事を本当にわかろうとしているのか名文句の競い合いでは困る。
そして今虐めにあって苦しんでいる人がいたら伝えてあげたい。どんなに辛いことがあっても、どんなに苦しくても、死を選ぶことは大変な間違いです。楽を選んで苦しい時に死ねば苦しみもそこでとまってしまう。解決にはならないのです。耐え抜いてください、苛める側より幸せです。後に分ります。耐え抜いた時、身に付いた精神力は誰にも真似の出来ない貴方だけの宝物になります。幸せにつながるものです。
日記@BlogRanking
子供が虐めに遭っていても気づかない親であったり、教訓の言葉が虐めと受け止めてしまうお子さんも居たりするようです。もう60年も昔の事なんですが私が小学校に入ると間もなく先生の差別が始まりました。女の先生でしたが、みすぼらしい私は特に嫌だったのかも知れません。父は私が3歳の時軍隊へ5歳の時亡くなりました、義務教育を受けている4人の子供、同じ仕事をしても男性の6割程度、母一人の働きでは食べるだけでやっと。
教科書も無料などと言うのは随分後の事。あの時の先生でなくても確かにみにくい人の子、だったと思う。それだけなら他の学級にも居たはずだし。そして前向きな母に育てられた私、落ち込む事もなかったと思うのですが、皮肉なことに耳が不自由だった。これもずーと後になって検査で分ったことなのだが、生れ付き音が伝わる細胞が崩れていて、音として聞こえても、言葉としてまとまらない、何度言われても分らない馬鹿だったので、
2年生から先輩が卒業する中学3年になるまで虐めが続けられました。長い期間だったので洋々な事がありました、特に五年生の時の事は辛くて死にたいと思ったこともありましたが、育ててくれた母や姉達を残して死ぬ事は虐め以上に辛いことで、これは出来ませんでした。短い期間でしたが戦時中、長男は家族や地域の人を守らなければならないから、しっかりしなければ駄目だと言われて来たからかも知れませんが?
今虐めに関してはいろんな所で各先生方が議論をされています。虐めもここまで拡大したのかと言うのが実感です。確かに、態度を変えたり、勇気を出せば解決するような事も沢山あるようです。虐められる側にも問題があるとおっしゃる先生方の言葉はここを見ているのでしょうが、この言葉にも問題があるのではないでしょうか?
学校や人の見ている所でいじめは起きない、本人に何の責任も無いことさえある。と言って人に相談しろと言われても出来ないこともある。私も状況から親には話せなかった。人の心が作る無形の問題、ここまで広くなった今、無くすことなど考えても無理だと思う。少しでも少なくする事を真剣に考えてほしい、其れには、健康な身体に健全な精神が宿る、の言葉通り、どんなことがあっても絶えられる精神力を養うこと。
それに自由と平等と権利だけが先走りしている現代だから。自由と平等と権利には責任が伴うことをしっかり自覚してもらわなければ。未成年だ、責任能力が無かった等々、その言葉の影に解決できる問題が潜んではいないだろうか。議論している大人達、子供の事を本当にわかろうとしているのか名文句の競い合いでは困る。
そして今虐めにあって苦しんでいる人がいたら伝えてあげたい。どんなに辛いことがあっても、どんなに苦しくても、死を選ぶことは大変な間違いです。楽を選んで苦しい時に死ねば苦しみもそこでとまってしまう。解決にはならないのです。耐え抜いてください、苛める側より幸せです。後に分ります。耐え抜いた時、身に付いた精神力は誰にも真似の出来ない貴方だけの宝物になります。幸せにつながるものです。
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