「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

忘れられた英霊たち   ~ポート・ダーウィンの戦い 前編~

2015年02月02日 | 海上自衛隊
江田島の教育参考館、そして、


靖国神社の遊就館に行くと、


壁に大きな太平洋地図があって、(大和ミュージアムにもあったかな?)


その地図には、


戦いがあった場所に、


どの艦艇が沈んで、


何機の航空機が撃墜されて、


何人の戦死者が出たかが、細かく記されています。


私はその地図を、2年前に教育参考館で見初めて見ました。


その地図を見ていると、


オーストラリア北部沿岸でも、戦いがあったことが分かります。


ミッドウェーも結構な遠方で、


リムパックに行った海自さんが、


「こんな遠くまで来て諸先輩方は戦われたのか…と思った」


と言ってらしたのですが、


さらに遠い、南半球のオーストラリアまで南下して、戦っていたことに、


大きな驚きを禁じ得ませんでした。


そして、その時はまだ、


オーストラリアでどんな戦いがあったのか、


私は分かりませんでした。


もっと言うと、調べてみようというところまで、


その時は思いが至らなかったのです。







それからちょうど1年後、


梅崎艦長が、護衛艦はたかぜに異動されて約半年後、


はたかぜは、カカドゥ14という、


オーストラリア海軍主催の多国籍間海上共同訓練に参加しました。

【訓練・演習】豪州海軍主催多国間海上共同訓練カカドゥ14/日豪共同慰霊式/洋上慰霊祭(海上自衛隊)



この訓練の様子は、海上自衛隊公式FBページで頻繁にアップされていましたので、


私もいつも楽しみに拝見していました。


その中で私が気になったのが、


この動画の最期にある、日豪共同の洋上慰霊式です。


この時はまだ、この日豪共同での慰霊式の意味を、


私はよく分かっていなかったのですが、


あの地図の意味がなんとなく、おぼろげながら見えてきた感じでした。






話は変わりますが、


年末から年が明け、1月もすでに終わり、なんとなく自分が感じたことが、


今年は英霊顕彰に縁のある年になりそうだな、ということです。


そう思っていると、


この日豪共同慰霊式について、ぜひ多くの人に知ってほしい、と


梅崎艦長からメッセージを頂きましたので、


今週のラジオと今回のブログで取り上げることで、


1人でも多くの方にお伝えしたいと思った次第です。


そして、それについて資料を頂いたのですが、


読んでいくと、今まで知らなかったことが申しわけなくなり、


かつ、ご遺族の無念の思いがとても辛く伝わってきます。


多くの日本人が知らない戦いが、伝わっていない戦いが、そこにあります。


昭和17年2月19日、日本軍がオーストラリアに奇襲攻撃をかけたその戦いは、


第二の真珠湾とも言われていますが、


この奇襲攻撃を行った、日本の目的は、


連合軍によるインドネシアなどへの攻撃に、


ポート・ダーウィン基地の使用を遅延させることでした。


日本帝国海軍潜水艦による艦艇攻撃とともに


日本帝国海軍や日本帝国陸軍の航空機が、


1942年2月19日~1943年11月12日まで計64回にわたり、


オーストラリア本土、地域の主要空域、周辺諸島、


沿岸輸送ラインの船舶などを攻撃しました。


その中で、1942年2月19日の最初の空襲が最も大規模な空襲で、


日本軍の航空母艦4隻(赤城、加賀、飛龍、蒼龍)から艦載機188機が発進し、


ポート・ダーウィンの海軍基地と空軍基地を攻撃しました。


オーストラリアの艦艇だけでなく、アメリカ海軍の駆逐艦も撃沈、


破壊させています。


オーストラリア側犠牲者は243名、負傷者は350名でした。


約2年間続いたダーウィン攻撃に参加した日本将兵のうち、


少なくとも約500人が戦死していることが分かっています。


また、1942年1月20日に、


米駆逐艦「エドサル」、オーストラリア掃海艇デロレイン、カトゥーンバ、リスゴー


により伊号124号潜水艦が撃沈され、


第九潜水隊司令遠藤敬男中佐、岸上幸一艦長を含む80名全員戦死しました。


このように、日豪両国に多大な犠牲者を出した激しい戦いが、


このダーウィン周辺で行われていたのです。


ところで、かの真珠湾攻撃では


「リメンバーパールハーバー」という言葉が生まれていますが、


オーストラリアではどうなのでしょう?


戦後70年経った現在、


ダーウィン市民は、空襲により日本人に蹂躙されたとの意識は薄れてきており、


謝罪や戦後賠償を求めるような政治的な活動は、これまでなかったようです。


そればかりか、この地に移り住んで7年になる、


長崎県出身の平山幸子さんという女性は、この事を知ってから、


最初は自分が加害者国であるという罪悪感があったそうなのですが、


地元の戦争博物館を訪れた時に意識が変わったのだそうです。


そこでは、オーストラリアの主観だけでなく、


開戦に踏み切った日本の主張もきちんと紹介してあったり、


他にも、両国の軍服が一緒のケースに展示されていたりと、


とても冷静に歴史を見つめている内容でした。


どこかとどこかの国の戦争博物館とは、


ずいぶんと違いますね…と思わずにはいられません。


「リメンバー・ダーウィン」という言葉は存在しないのです。


その後、平山さんが思いきってダーウィンの戦没者慰霊式に、


日本人として初めて参加されました。


相当非難されることを覚悟されていたそうなのですが、


逆に励ましを受けたという平山さんは、


この日豪関係を成熟した大人の関係と表現されていて、


私はこの言葉にとても共感しました。


本当に、どこかの国とは…以下略。


その後、平山さんは日本側のご遺族にもこの慰霊際を伝えたいと、強く思われたのです。


そして、この平山さんの熱心な働き掛けで、


今回の、護衛艦はたかぜによる日豪共同の洋上慰霊式が実現したのだそうです。


はたかぜ艦上での洋上慰霊式は、出港前に行われました。






(写真:3枚とも海上自衛隊FBページより)


そして、帰国後、


梅崎艦長と平山さんは、この合同慰霊式を行った事を、


ご遺族の元に報告に回られたのでした。


…そこのことについては、


また後半でお届けいたします。






FMみね姉のひとりごと準レギュラー(?)


北海道のはなちゃんが、


ポート・ダーウィンの戦いについて分かりやすくまとめてくれました。


FMみね姉のひとりごとFBページにアップしておりますので、


ぜひ、ご覧くださいませ


放送は、明日2月3日(火)21:00~です。


今回は、なかなかお話が難しく、


いつも以上にカミカミで巧く話せておりませんが、


よかったら聞いてください