第10番 東大寺
日本が日本となるための大仏
参拝日 平成28年(2016)6月23日(水) 天候曇り時々小雨
所在 奈良県奈良市雑司町406-1 山号 なし 寺名 東大寺 宗派 華厳宗 寺格 大本山 別称 金光明四天王護国之寺 本尊 廬舎那仏 創建年 8世紀前半 開基 聖武天皇
東大寺は、華厳宗の総本山で、聖武天皇と光明皇后の皇子の慰霊のために建立された金鐘山寺を前身とする。天平13年(741)に大和金光寺と改称して総国分寺となり、天平19年(747)ごろから東大寺の寺号が用いられるようになった。参拝の中心は「奈良の大仏」として知られる本尊の廬舎那仏座像。像の高さは14.7mで金銅仏像としては世界最大級を誇る。ほかにも二月堂や法華堂、南大門など多くの国宝、重要文化財の宝庫となっている。
境内案内図
奈良県庁の屋上から東大寺~若草山を見る
依水園からみた東大寺と若草山 南大門の屋根が見える
南大門の前の通り
南大門【国宝】 高さ25mにも及ぶ国内最大規模の門である。近くに立てば圧倒的な存在感で、鎌倉時代の大仏様式と呼ばれる建築様式を反映させた繊細さを感じさせる。天平時の創建であるが、平安中期の応和元年(962)の台風で倒壊し、その後鎌倉時代の正治元年(1199)に、東大寺中興の祖と言われた重源上人が指揮をする中で復興された。 多くの円柱や貫と言われる柱を巡らし、内部は天井がない吹き抜けのようにすっきりとした構造。見た目はシンプルであるが、実用的な観点からは地震にに強い構造で現在まで立派な姿を残している。
扁額は「大華厳寺」
円柱は長さ24mで縦に3本ずつ計18本で大き建造物を支えてる。
金剛力士像【国宝】 左に阿形像。右に吽形像。 8.4mの巨大像で鎌倉時代の建仁3年(1203)運慶や快慶などの仏師によってつくられた。
吽形像
南大門から中門にかけては幅の広い参道である。この広い道を修学旅行の生徒たちが埋め尽くす。
エサが欲しい鹿の群れが観光客にじゃれつく。
鏡池
中門【重要文化財】 享保元年(1716)頃の建立とされる。朱色の門で東大寺にしては目立つ外観。大仏殿を取り囲む回廊の中心で、大仏殿の正面に位置しており大仏殿に参拝の正式な参入門として用いられてきたが現在は閉められている。参拝には左側の専用の入り口を使用する。
大仏殿【国宝】 中門左端の拝観入口から大仏殿を参拝する。
大仏殿は東大寺の金堂である。奈良時代に創建されてから二度の火災に遭い、現在の建物は江戸時代の広慶上人によって再建された。消失前の天平、鎌倉時代の大仏殿は間口11間ほどあった。現在の建物は7間に縮小されたが、それでも世界最大の木造建築物。
八角灯籠【国宝】 東大寺創建当初のもの。再度にわたる兵火にも難をまぬがれた。宝珠・笠・火袋・中台・竿・基壇からなり、火袋の大きいのが特色。火袋の四面には音声菩薩が、扉の四面には雲中を走る四頭の獅子が、それぞれ菱格子の透し地に浮彫りされている。
柱は欅材で檜板で周りを囲い銅輪と鉄釘で締めている。木造工法では世界最大の建物である。大仏殿には屋根が二層になっている、下の屋根は裳階で雨風除けのため装飾である。
外側正面にある唐破風という曲線のある飾り屋根があり、その下の「観相窓」を開くと、外から大仏の顔が見える。
堂内の内陣 6月の奈良は修学旅行生のオンパレード
広々とした堂内。「少し空いたかな・・・」
廬舎那仏座像【国宝】 正面に奈良の大仏は、東大寺のご本尊となる。
大仏の一番美しいポジションは、この角度だと言われる。
大仏の右手は「畏れることはない」という意味。左手は「人々の願いを叶えよう」という意味を表している。
創建当時の東大寺の模型 二つの大きな七重の塔があった。
径1.2mの柱に空いた穴は、大仏の鼻の穴と同じ大きさで縦37㎝、横30㎝。潜り抜けると無病息災などの御利益を得られる。
鐘楼 ひときわ天空にそびえる鐘楼。 承元年間(1207~1211)に再建されたもの。重さ26.3トンを支える構造は太くて頑丈。
梵鐘【国宝】 高さ3.86m。径2.71m。 東大寺創建時の鐘。毎日夜8時に突かれ、日本三大名鐘の一つ。
三月堂への階段
三月堂 法華堂【国宝】 東大寺建築のなかで最も古く、寺伝では東大寺創建以前にあった金鍾寺の遺構とされる。旧暦3月に法華会が行われるようになり、法華堂、また三月堂ともよばれるようになった。礼堂は入母屋造りで、正堂は天平初期の建築だが時代の異なる建築が高い技術によって結ばれ、調和の取れた美しい姿を見せる。
二月堂【国宝】 この堂で修二会(しゅにえ)が旧暦の2月に行なわれることから名が付けられた。寛文7年(1667)の修二会中に堂内から出火、焼失し、現在の建物はその2年後に再建。修二会の行事で、毎年3月1日~14日まで行われるお水取りは、長い伝統行事で1270回以上を誇り、多くの参拝者が訪れる。回廊を赤々と燃える松明が駆け巡り、終盤は数本の松明から滝のように火の粉が落ちる模様は壮観。参拝者は火の粉を浴びて無病息災を祈るのである。
二月堂は24時間いつでも訪れられる貴重な場所で、ここからの眺めは素晴らしい。
二月堂から奈良市街を見渡す
二月堂の階段を下る
校倉造りで知られた正倉院宝物殿 大仏殿の北側に位置する。
正倉院 奈良時代や平安時代の官庁や大寺には、重要なものを納める正倉が設けられていた。この正倉が集まっている一画を正倉院と呼ばれた。あちらこちらに置かれ焦燥は、歳月の経過と共にいつした滅んで、わずか東大寺内の正倉が1棟当時のままで残り、これが正倉院宝庫である。 管轄は宮内庁。
正倉院からの帰り道から大仏殿付近を見る。 さすがこの辺りに観光客は見当たらない。
若草山のすぐ近くを通り春日大社に向かう
案内地図
ー百寺巡礼からー
千二百年以上の前の日本人が、燃え上がるようなエネルギーを持っていたからこそ、東大寺造営というとてつもないプロジェクトが実現した。国家創成期の日本人が持っていたエネルギー。それを思うと熱いものがこみあげてくる。これほど巨大なものを創った奈良時代の人びと、いにしえの日本人のすがたから勇気を与えられたような気がする。
御朱印
(参考文献) 東大寺HP Wikipedia 百寺巡礼第1巻奈良(講談社文庫)
東大寺 終了