『五木寛之の百寺巡礼』を往く

五木寛之著「百寺巡礼」に載っている寺100山と、全国に知られた古寺を訪ね写真に纏めたブログ。

番外 瑞鳳殿

2023-08-30 | 宮城県

古寺巡り・ 番外編 瑞鳳殿

伊達政宗公の遺命により、その翌年に造営された霊屋。桃山文化の遺風を伝える豪華絢爛な廟建築。

瑞鳳殿という名の由来は。 『瑞』という文字は、伊達政宗の法名『瑞巌寺殿貞山禅利大居士』の中にあり、『鳳』という文字は古来、中国で尊ばれた想像上の瑞鳥、鳳凰を表したものと推定される。『殿』という文字は、一般に社寺などの建物を表す。

 

参拝日   平成30年(2018)6月20日(水) 天候曇り 時々小雨

所在地   宮城県仙台市青葉区霊屋下135

 

瑞鳳殿は、伊達藩の藩祖伊達政宗公の霊を祭った霊屋。 仙台藩の初代藩主の伊達政宗は、生前ホトトギスの初音を聞き遺骸を経ヶ峯に葬るよう遺言し嘉永13年(1636)に没した。政宗の後を継いだ第2代藩主の忠宗は政宗の遺言に従い、嘉永14年(1637)に政宗の御霊屋を経ヶ峯の東部に建立して「瑞鳳殿」と命名した。昭和6年(1931)に桃山建築の絢爛豪華な特徴をもった霊廟として国宝に指定されたが、昭和20年(1945)太平洋戦争の仙台空襲によって全ての建物が焼失。             現在の建物は5年の歳月をかけ昭和54年(1979)に再建されたもの。

 

 

境内案内図。

境内案内図

 

 

瑞鳳殿入り口

 

 

瑞鳳殿の参道の途中の瑞鳳寺は、「正宗山瑞鳳寺」といい伊達藩の藩祖伊達政宗公の菩提寺として寛永14年(1637)に二代目忠宗公によって創建された。ご本尊は釈迦、文殊、普賢の三体で平泉毛越寺より遷したもの。

 

長い階段を上る。 この石段は仙台藩62万石にちなみ62段となっている。石段の両側の杉の樹齢は400年を超えるといわれる。

 

 

門前の瑞鳳殿の名が刻まれた石碑。

 

 

手水舎

 

 

涅槃門  創建時に再建されたもので、扉や垂木に施された金の装飾がよく映えていた豪華な門の造りである。

 

造作には、樹齢数百年の青森ビバに黒漆を施し、梁には金箔の上に唐草模様の透かし彫りが張り付けられている。使われている材は楠木だが、焼失前は白檀が使われていた。白檀は日本には自生しないため、南方からの輸入によるもの。

 

 

横の破風には最強の守護獣と言える牡丹の彫刻。

 

 

外側の破風の彫刻は、内側の牡丹の彫刻を背にした唐獅子。

 

 

 

 

 

門扉の「菊紋」は当時、豊臣秀吉から伊達政宗が拝領したもの。

 

 

涅槃門を内側から見る。

 

拝殿。拝礼のために整えられた施設で、焼失前の拝殿は瑞鳳殿の床面と同じ高さになっている。現在の拝殿は瑞鳳殿がよく見えるよう簡略化されている。

 

正面扉を開けると、橋廊下、唐門を通して瑞鳳殿内に安置された政宗の御木像に拝礼することができる。

 

 

拝殿を振り返る。

 

扁額「瑞鳳殿」は、再建に当たって寄贈されたもので、創建時の扁額の文字・材料と同じものが使われ、文字は真珠の粉末、地のピンクは赤サンゴの粉末で制作された。創建時の扁額は書家佐々木文山に書かせたもの。

 

 

 

 

 

唐門 瑞鳳殿の入り口。

 

 

唐門の上梁の意匠。

 

 

瑞鳳殿全景(ネットから引用)

 

 

瑞鳳殿の本殿を横から見る。

 

瑞鳳殿の正面。桃山文化の遺風を伝える豪華絢爛な廟建築は、焼失以前の瑞鳳殿を範とし、昭和54年(1979)年に再建された。平成13年(2001)に、仙台開府四百年を記念して大改修工事が実施され、柱には彫刻獅子頭を、屋根には竜頭瓦を復元し、創建当時の姿となった。

 

 

装飾された建物の詳細をみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

殉死者供養塔 江戸時代の初期、死んだ主君のあとを追って切腹する「追腹」が多く行われ、伊達政宗の死去に際しては、石田将監ら直臣15人とその家士5人が殉死している。ちなみに殉死者と呼ばれるのは、生前に主君から許可を受けた者のみであり、許可を得ずに勝手に切腹した者たちは殉死者とは認められなかった。

 

 

 

 

 

感仙殿、善応殿への廟門。

 

感仙殿 二代藩主伊達忠宗公(1599~1658)の霊屋。寛文4(1664)年に四代藩主伊達綱村公によって建立さた。瑞鳳殿と同様に本殿、唐門、拝殿、御供所、廟門などの建築からなる華麗なものだった、明治初年に廃仏毀釈の影響を受け、本殿以外は取り払われた。

 

 

本殿は、昭和20年(1945)の戦災で焼失。た。
現在の霊屋は瑞鳳殿に続いて再建が進められ、昭和60年(1985)に完成。

 

 

 

 

 

 

 

善応殿 三代藩主伊達綱宗公(1640-1711)の霊屋。享保元(1716)年、五代吉村公の時代に竣工。しています。昭和20年(1945)の戦災で焼失し、昭和60年(1985)感仙殿とともに再建された。

 

 

 

 

本殿、唐門、拝殿、廟門等からなり、先の瑞鳳殿、感仙殿よりは簡素な装飾であったものの、落ち着いた佇まいの風情ある霊屋と伝えられている。

 

 

廟門を廟内側から見る。

 

 

感仙殿、善応殿の階段。

 

 

瑞鳳殿の帰りに青葉城の見学。

 

 

青葉城から見た小雨に煙る仙台市街。

 

 

案内図

 

瑞鳳殿 終了

 

 

 


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