『五木寛之の百寺巡礼』を往く

五木寛之著「百寺巡礼」に載っている寺100山と、全国に知られた古寺を訪ね写真に纏めたブログ。

80 詩仙堂

2024-04-30 | 京都府

古寺巡り 詩仙堂

日本の心を映す情緒あふれる山荘跡

 

 

詩仙堂は、徳川将軍家の家臣であった石川丈山が寛永18年(1641)に隠居のため、59歳の時に造営した山荘。丈山は寛文12年(1672)に90歳で没するまでここで詩歌三昧の生活を送った。後に寺院化されると、丈山にちなんで寺名は丈山寺とされた。

詩仙堂の中心となる建物は凹凸窠(おうとつか)と呼ばれる。凹凸窠とはでこぼこの土地に建てられた住居の意味であり、建物や庭園は山の斜面に沿って作られている。丈山は建物や庭にある10個の要素を「凹凸窠十境」と見立てた。現在では凹凸窠の中にある36詩仙(大陸の詩家36人)の肖像を掲げた詩仙の間にちなんで詩仙堂と呼ばれている。

詩仙は日本の三十歌仙にならい、丈山は林羅山と意見を交わしながら漢、晋、唐、宗の各時代から選出した。肖像は狩野探幽によって描かれ、詩仙の間の四方の壁に掲げられている。

詩仙堂は、お寺という感じは、ほとんど見ることはなく武家や武将などの邸として見学した方がわかりやすい。もともと石川丈山の山荘だからなおさらのことである。それでも正式な仏間があり、寺としての形態も保っている。

 

参拝日   令和6年(2024)3月1日(金) 天候曇り

 

所在地   京都府京都市左京区一乗寺門口町27                         山 号   六六山                                       宗 派   曹洞宗                                       本 尊   馬朗婦観音(めろうふかんのん)                           創建年   寛永18年(1641)                                 開 基   石川丈山                                      正式名   六六山詩仙堂丈山寺凹凸窠                              文化財   詩仙堂(国指定史跡)   

 

 

境内案内図                           (詩仙堂説明書より)

 

 

石川丈山肖像画                       (詩仙堂説明書より)

 

 

 

山門。 小有洞と名付けられ杉皮葺きの屋根の門は、詩仙堂の入り口。

 

 

 

 

 

扁額の小有洞の字は石川丈山の直筆。 字は薄くて読めないかもしれない。

 

 

 

門を潜り竹垣に囲まれた参道を進む。

 

 

老梅関という中門。 かっては老梅の樹が会ったことから名づけられた。撮った写真を見てみると門の中に人の顔が入っている。正面の窓が目で、踏み石が唇、手前の平井氏は首に見え、なんとも滑稽な場面である。

 

 

 

 

 

 

門から入り正面の建物は、玄関から右手になり仏間と六畳間、八畳間がある。

 

 

玄関。 蜂要と名がついているらしい。通常は出入りができない。玄関は3階建とし「嘯月楼(しょうげつろう)」という。その右手 (西側) には瓦敷の本堂と庭見の間の六畳、八畳の書院がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

老梅関を後ろから見る。

 

 

間取り。   参拝時に間取りをスケッチしたもの。

 

 

 

 

参拝者の入り口。

 

 

詩仙の間の前室から拝観入り口方向を見る。

 

 

玄関口を見る。

 

 

 

詩仙の間の前室で4畳の広さ。

 

右の額は「六勿銘(ろっこつめい)」として六つのことを厳守するよう自分に言い聞かせていたという。意は、右から火の用心、戸締り用心、早起き、粗食、倹約、清掃・・・を怠るなということのようだ。

 

本堂。  正面の内陣に本尊の馬朗婦観音が安置されている。中国の説話に登場する三十三観音の一つ。中国の唐の時代の伝説で観音菩薩が美女に変化して法華経をよく読誦する者に嫁するといい、馬氏の息子が目的を達したという故事による。外陣には賽銭箱。 

 

 

詩仙の間の廊下側に掲げられた扁額 詩仙堂の字は石川丈山の筆。

 

 

詩仙の間。 凹凸窠(おうとつか)とも呼ばれていた4.5畳の部屋。小壁には狩野探幽の筆の36詩仙の肖像画が掲げられている。現在掲げられている肖像画は複製である。

 

 

 

 

 

 

 

正面の壁に掲げられた扇のかたちは、伏見桃山城の欄間彫刻の一部で左甚五郎の作と言われる。天井材はアンぺらという太い葦のような材を編んだもので、簾などにも使用される。

 

 

 

詩仙の間から見た庭園。

 

 

詩仙の間から至楽巣側の廊下の透かし彫り欄間。

 

 

至楽巣は読書の間とも呼ばれ、6畳二間で構成。

 

 

 

 

至楽巣の扁額は、石川丈山の筆による。

 

 

至楽巣の方向を見る。

 

 

 

 

 

 

詩仙の間から書院方向を見る。

 

 

 

書院。  詩仙堂といえばこの部屋から庭の眺め。 奥に8畳間と手前に6畳間の二間続きの部屋。 

 

 

 

奥の8畳間には床の間。 福、録、寿 の掛け軸は石川丈山の筆。

 

 

 

そして庭園を見る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

百花塢(ひゃっかのう)の庭園。  庭園造りの名手でもある丈山自身により設計された唐様庭園は、は四季折々に楽しむことができ、特に春(5月下旬)のサツキと秋(11月下旬)の紅葉が有名。縁の前に大きく枝を広げた白い山茶花も見所のひとつで、百の花が愛でるられると名が付けられた。

 

 

大きく刈り込んだ皐月と白砂が特徴。

 

 

 

 

 

年代を感じさせる柱は杉柱。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

書院前の庭園の隅にひっそりと穴あき石の手水鉢。

 

 

 

 

 

 

建物から出て庭園に向かう途中の木の根の張りを見る。

 

 

 

茅葺屋根は、詩仙の間と至楽巣の建物。 軒先は瓦葺。

 

 

 

至楽巣の正面。

 

 

詩仙堂の建物は、瓦葺部分と萱葺き部分で構成されている。玄関から西半分は瓦葺。詩仙の間など東側は萱葺きとなっているが庇側は瓦葺きである。

 

嘯月楼(しょうげつろう)。 本堂の上層階部分で、3階建てとなる。2階は14畳の畳敷き部屋、3階は5畳敷きの部屋で、四方に窓が設けられている。東側は丸窓で雨戸の開放は跳ね上げ式。この嘯月楼と詩仙の間は石川丈山が建てたもので、書院や至楽巣はその後に増築された。   

 

 

三階部分。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嘯月楼と書院の外観。    軒先の雨樋は竹を使用。

 

 

回遊式庭園。書院の前の枯山水の庭園の先の少し下がったところに位置し、戦後に詩仙堂の住職等によって整備されたそうである。

 

 

 

中心に池があり、初夏には菖蒲や紫陽花が花をつけ、秋には紅葉が彩る。

 

 

 

 

 

残月軒。 茶室で昭和初期に建てられた。

 

 

境内の石垣。

 

 

帰り際に見た、参道の石畳。

 

 

参道の竹林。

 

 

案内図

 

 

御朱印

 

 

詩仙堂 完了

 

(参考文献) 詩仙堂HP フリー百科事典Wikipedia 京都社寺案内HP ほか

 

 


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