第46番 建長寺
中国僧が武士に伝えた禅
参拝日 平成29年(2017)2月2日(水)天候晴れ
所在地 神奈川県鎌倉市山ノ内8 山 号 巨福山 宗 派 臨済宗建長寺派 寺 格 本山鎌倉五山第一位 本 尊 地蔵菩薩 創建年 建長5年(1253) 開 山 蘭渓道隆 開 祖 北条時頼 正式名 巨福山建長興国禅寺 別 称 巨福山建長禅寺 建長僧堂 札所等 鎌倉二十四地蔵九番十一番 鎌倉三十三観音霊場第二十八番 文化財 (国宝)絹本淡彩蘭渓道隆像、大覚禅師墨蹟法語規則、梵鐘(国文化財)山門、法堂、絹本著色釈迦三尊像ほか
北鎌倉の円覚寺を参拝し、総門をでて鎌倉街道を挟み斜め前の東慶寺とその隣の浄智寺を参拝し、ここから600m先の建長寺に向かう。1年半ほど北鎌倉に住んでいたこともあるが、建長寺に行ったことはあると思うがほとんど記憶がない。建長寺を参拝した日は、翌日の節分に向けてその準備が行われていた。こちらの寺も鎌倉の山あいの谷戸に造られた寺で境内の両側には山が迫っている。入り口にあたる総門の傍には中高一貫校の鎌倉学園があり、建長寺の経営なのであろう。
建長寺は、建長5年(1253 )に鎌倉幕府第5代執権北条時頼が中国(宋)の高僧蘭渓道隆を迎えて創建した、日本最初の禅宗専門道場。創建当初は中国の径山万寿寺と同じく主要な建物が一直線に並ぶ伽藍配置であったといわれるが、大地震や火災の被害にたびたびあい、そのつど再建されて、現在の堂宇はほとんど近世の再建・移築になるもの。正中2年(1325)と嘉歴元年(1326)には、建長寺造営再建のため中国(元)に貿易船を派遣して、その費用にあてたりしている。寺宝としては、蘭渓道隆像(絵画)などの国宝をはじめ数多くの文化財があり、中でも建長7年(1255)に北条時頼がつくらせた梵鐘は、その美しさが関東一と言われている。
境内案内図
鎌倉街道に面した天下門
かって、総門の前には東西の外門があった。大正の関東大震災で倒壊したのち昭和59年(1984)に再建された。「天下禅林」の額を掲げているため
扁額「天下禅林」とは、人材を広く天下に求め育成する禅寺という意味。
総門は昭和15年(1940)に京都の般船三昧院に天明3年(1783)に建立されてものを移築した。巨福門と呼ばれる。扁額「巨福山」は第10世一山一寧の筆で、巨の字に点がが加えられ、百貫の値を添えたものといい、この点を「百貫点」と呼ばれる。
総門を入り境内を見る
三門【国重要文化財】 総門を入り最初の堂宇。現在の三門は安永4年(1775)に開山の蘭渓道隆の五百年忌にあたり、二百一世萬拙碩誼によって再建されたもの。
三間二重門としては東日本最大。扁額は「建長興国禅寺」と書かれ、建長寺の大工河内長兵衛棟梁がこの額を掲げるために唐破風とした。
仏堂【国重要文化財】 三門の先に当寺の本堂となる仏堂がある。桁行3間、梁間3間、一層、裳階付き、裳階には正面唐破風付き、銅板瓦棒葺き寄棟屋根。もとは徳川秀忠夫人の霊屋として、江戸の初期に芝の増上寺に建てられていたものを、正保4年(1647)の霊屋の建て替えに際し、当寺に譲渡され移築されたもの。
中央の三間には三つ折りの扉。両端に火灯窓。唐破風兎毛通しは猪目懸魚。
軒下には組み物がびっしり。
仏殿内部 木造伽藍神像【国重要文化財】5体が安置されている。伽藍神はもともと道教の神であるが、鎌倉時代以降に宗代中国の影響を受け、禅宗が取り入れて伽藍の守護神にした。仏像5体は建長5年(1253)の創建時のものか、あるいは永仁元年(1293)の火災の後に制作したものと思われもので、作風は中国・南宗彫刻の影響を受け5体揃っているのは日本最古。
いまは色あせているものの、壁・天井には絵が描かれ漆を施され、彫刻が組み込まれた内陣は、徳川二代将軍秀忠の正室の霊屋として、かなり豪華に造られたのではないかと思われる。
天井には立派な天蓋が。
ご本尊の地蔵菩薩坐像は、応永21年(1414)の火災後に再興されたものと考えられている。一般に鎌倉の禅宗のお寺の多くは釈迦如来をご本尊にしている。この場所が地獄谷と呼ばれる刑場跡あったことから、亡者追善供養の意味も込めて地蔵菩薩にしたものと思われる。
天井は格天井に黒漆塗りに飾り金物を取り付け、鏡板は金箔にし絵が描かれている。
小壁には金箔の下地に絵を描き、欄間は鳳凰の透かし彫り。
仏堂と法堂
法堂 当初の法堂は建治元年(1275)に当寺を開基した鎌倉幕府第5代執権の北条時頼13回忌の際に建立されたが、現在の堂は文化11年(1914)に再建されたもので、関東では一番大きな法堂。
参拝当日は節分の一日前の日で、紅白の幕を垂れるなど節分祭の準備中。正面に見えるのは唐門のある方丈。
唐門 方丈の正門で屋根が唐破風になっている。元々は徳川家の菩提寺、増上寺の二代将軍徳川秀忠正室の御霊屋の中門を、正保4年(1647)に当寺に移築した。平成23年(2011)に保存修理が完了し、前面に飾り金具が取り付けられていた華美な姿に復元された。
方丈「竜王殿」 過去に何度か罹災し復興を繰り返した。嘉永18年(1641)に再建されているが、大正12年(1923)の関東大震災で倒壊したため、総門と同じく昭和15年(1940)に京都の般舟三昧院から移築されたもの。般舟三昧院に享保17年(1732)に建立されたもの。
方丈の内部
懸魚いろいろ
庭園 開山の蘭渓道隆の作庭と言われる。正面の建物は客殿の得月楼で、平成15年(2003)に建築。「得月」とは、月の景趣を十二分に楽しむという意味。
正面の池は「心字池」と呼ばれ、池の形が心の字になっている。
方丈の入り口側から法堂、仏堂方面を見る。
修行道場のある崇高山門 これより奥は拝観禁止エリア。
梵鐘 【国宝】 茅葺の鐘楼に国宝の梵鐘が吊られている。 梵鐘は建長7年(1255)に関東の鋳物師の筆頭だった物部重光によって鋳造された。建長寺創建時の貴重なもので、高さ208.8㎝、口径124.3㎝の大きさを誇る。梵鐘には開山の蘭渓道長の銘文が刻まれている。最後には『建長七年卯乙二月二十一日 本寺大檀那相模守平朝臣時頼 謹勧千人同成大器 建長禅寺住持宋沙門道隆 謹題都勧進監寺僧琳長 大工大和権守物部重光』とある。具体的な重さは判らないが相当の重さがあり、それを支える鐘楼の柱の太さも見事なもの。
鐘楼から三門を見る。
境内から総門を見る。
案内図
五木寛之著「百寺巡礼」よりーーー『よく座禅をすると無念無想になると聞く、しかし、その経験が無い私は、いったいどうやったらそうなれるのかわからない。吉田管長にたづねると、こんなふうに教えていただいた。「たとえばですね、無地の公案というのを最初にやらせるのです」 公案というのは、いわば課題のことだ。たとえば、昔の人が語ったむずかしい言葉を課題として与え、そのことについて考えさせる。「無字というのは、何もないということです。座禅によって、自分が無になりきってしまう。頭で考えることではなく、体がそうなるように指導していくわけなんです。結跏趺坐をして、姿勢をまっすぐにして、精神を統一させる。結跏趺坐というのはしっかり胡坐をかくことですね。人間の体はふしぎなもので、姿勢をまっすぐにしていると、体全体で呼吸できるようになって、自然と一体になれるものなんです」 しかし思い描いてみるものの実際にはむずかしいだろう。率直にそう言うと「一度、やっていただくとよくわかります」とのことだった。禅は、言葉よりまづ実践なのだそうだ』
御朱印
建長寺終了
(付録)北鎌倉のお寺
東慶寺 臨済宗円覚寺派のお寺。北条時宗夫人が出家して開山した北条氏ゆかりのお寺は、明治時代の終わりごろまで女性の縁切り寺、掛け込み寺として多くの女性を救ってきた。現在は花の寺として知れ渡る。
東慶寺の梅
浄智寺 鎌倉五山第四位の寺。その権威により大いに栄えた寺であったが、いまは方丈など一部の建物を残すのみ。
浄智寺で見かけた前撮り花嫁・花婿
浄智寺から建長寺に向かう鎌倉街道には横須賀線の踏切が横たわる
終了
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