『五木寛之の百寺巡礼』を往く

五木寛之著「百寺巡礼」に載っている寺100山と、全国に知られた古寺を訪ね写真に纏めたブログ。

85 山 寺 

2024-05-20 | 山形県

百寺巡礼第61番 山寺

一人の僧がもたらした千二百年の法灯

 

 

 

 

一 日一万円乗り放題というJR東日本のキャンペンの切符を入手し、朝7時32分発の東北新幹線に乗り込んだ。こんなに朝早いのに新幹線は満席である。大宮からノンストップで9時04分に仙台駅に着き、仙山線に乗り換えて10時13分に山寺駅に着いた。3月の中、昨日まで雪が降っていたようで雪はまだ残っているが、天候は晴れて寒さはなく、いい参拝日であった。

山寺は、正しくは宝珠山立石寺という。「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」 という松尾芭蕉の句でも知られている寺。貞観2年(860)に清和天皇の勅願のよって慈覚大師が開いた天台宗のお山。この地を訪れた慈覚慈覚大師は、土地の主より砂金千両・麻布三千反をもって周囲十里四方を買い上げ寺領とした。堂塔三百余をもってこの地の布教に勤めたと言われる。開山の際には本山延暦寺より伝教大師が灯された不滅の法灯を分けられ、また開祖慈覚大師の霊位に捧げるために香を絶やさず、大師が当山に伝えた四年を一区切りとした不断の写経行を護る寺院となった。その後鎌倉期に至り、僧坊大いに栄えたが、室町期には戦火に巻き込まれ衰えた時期もあった。江戸期になると、千四百二十石の朱印地を賜り、堂塔が再建整備された。

正面の大きな建物は、根本中堂で、延文元年(1356)に初代山形城主・斯波兼頼が再建した。入母屋造・5間4面の建物で、ブナ材の建築物では日本最古といわれ、天台宗仏教道場の形式がよく保存されている。堂内には、慈覚大師作と伝える木造薬師如来坐像が安置され、伝教大師が比叡山に灯した灯を立石寺に分けたものを、織田信長の焼打で延暦寺を再建したときには逆に立石寺から分けたという、不滅の法灯を拝することができる。

元禄2年(1689)には俳聖・松尾芭蕉が、奥の細道の紀行の際この地を訪れ、冒頭のの名句を残した。

 

参拝日    令和6年(2024)3月11日(月) 天候晴れ

 

所在地    山形県山形市大字山寺4456-1                         山 号    宝珠山                                      院 号    阿所川院                                     宗 派    天台宗                                      寺 格    関東祈祷所                                    本 尊    薬師如来                                     創建年    伝・貞観2年(860)                                開 山    伝・円仁                                     正式名    寶珠山阿所川院立石寺                               別 称    山寺                                       札所等    最上三十三観音霊場第二番  四寺回廊                       文化財    根本中堂(国重要文化財)ほか          

 

 

 

境内図。

 

 

 

駅前の商店街および参道。

 

 

境内図。

 

 

 

立石寺入口。

 

 

石段を上り正面に根本中堂。

 

根本中堂【国重要文化財】    正平年間(1346~1370)の再建と伝え、慶長13年(1608)の大修理を含め数度の修理を受けているが、現在は慶長13年の姿を保っている。入母屋造、銅板葺き(元は杮葺)、平入、正面1間の向拝付、内部は正面2間分が外陣、奥3間分が内陣となっている。ブナ材が全体の6割程用いられブナ材の建築物では日本最古といわれる。

 

 

根本中堂は立石寺における全体の寺院の本堂に当たる堂となる。現在の根本中堂は延文元年(1356)初代山形城主・斯波兼頼が再建したもの。

 

 

 

内陣には須弥壇が設けられ、慈覚大師が自ら彫り込んだとされる本尊・薬師如来坐像。脇侍として日光・月光両菩薩と十二支天、その左右に文殊菩薩と毘沙門天を安置。1200年前に天台宗比叡山延暦寺から移された「不滅の法灯」が今も灯されている。 大永元年(1521)に兵乱により、立石寺とともに法灯も消失してしまったが、 天文12年(1543)の再建時に再び延暦寺から分灯された。逆に元亀2年(1571)に延暦寺が織田信長により焼き討ちされた時には、立石寺の法灯が延暦寺に分灯された。          (写真は山形県公式観光サイトより)

 

 

 

正面の向拝に安置された木造「招福布袋尊」。体をなでると願い事がかなうとのこと。

 

 

子どもを守る尊として、6人の子供が肩に乘っている。

 

 

 

向拝はもとより堂宇全体に華美な装飾な少なく、向拝欄間部に施された虎の彫刻の蟇股など限定的で素地で無骨な構造が逆に印象を与えてくれる。

 

 

 

 

 

 

元禄2年(1689)に芭蕉が訪れたときに、ほかの参拝者と寄進した手水鉢。

 

 

 

御神興殿。 手前の石塔はこけしの形でこけし塚。

 

 

松尾芭蕉像。

 

 

「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」の芭蕉の句碑。

 

 

常行念仏堂。  宝形造、銅板葺、桁行3間、梁間3間、正面に1間の向拝。

 

鐘楼。 山門の前に位置し、入母屋、銅板葺、石垣の基礎に袴腰付、腰壁は下見板張、縦押縁押え、屋根は2重垂木、天井は格天井、上部は4隅柱のみの吹き放しで高欄が廻り蟇股には霊鳥と思われる彫刻がある。梵鐘(高さ1.8m、直径70㎝)は、江戸時代末期に鋳造された。

 

 

願い事のある方は鐘を二つ突いて、お祈りする。

 

 

山門。   茅葺で趣がある門は、鎌倉時代に建立された伝えられる。門は切妻、茅葺、中心より僅かに前にある本柱と背後にある控柱の4本で門の屋根を支える薬医門形式。薬医門としては規模が大きく三間一戸風になっている。

 

 

扁額「開北霊窟」が掲げられている。

 

 

山門を潜ると参拝手続きの窓口があり料金を支払う。奥の院までの入口。

 

 

さあ、奥の院まで930段の石段を登り始める。

 

 

 

いよいよ階段上りの始まる。 ワクワクするような、たいへんなような・・決意をこめて、さあ行こう。

 

 

 

 

 

3月の中旬、昨日降った雪がまだ残っており、階段を上りにくくしている。かなり気を付けないと危険だ。

 

 

階段の途中には大きな岩がゴロゴロ。

 

 

岩には何か彫ってある。

 

 

大きな岩が目の前に迫り迫力ある参道。

 

蝉塚。  長い石段の参道中腹にある。 「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」の芭蕉翁の句をしたためた短冊をこの地に埋めて、石に塚をたてたもの。松尾芭蕉とその一行は、夕方に山寺に到着し宿坊に荷物を置くとそのまま参道を登り参拝してた。夕刻だった為、参拝者や僧侶達も居らず、御堂も門が閉められている静けさの中、唯一蝉の声だけが境内に鳴り響く、当時の時代でも別世界と思われる空間があり、この句がうまれた。「奥の細道」の中でも傑作の1つである。

 

 

四寸道。  山の自然に沿ってつくられたこの参道で、昔からの修行者の道。一番せまいところは約14cmの四寸しかない道で、開山・慈覚大師の足跡と言われる。ここまで360段、あと640段。

 

阿弥陀洞。   大きな岩塊。 背後にある凝灰岩が風化して阿弥陀如来の姿を形作っている。高さは約4.8mの巨大なもので、仏様の姿に見える人は幸福が訪れるという言い伝えがある(最上部の窪みが頭でその下の左右に肩のような丸身にある形状が見られ、地上部は座禅を組んでいるよう)。又、高さが1丈6尺(約4.8m)ある事から丈六の阿弥陀との別称がある。

 

 

 

岩には碑が刻まれている。

 

 

結構急な階段だ。大きな岩が覆いかぶさる。

 

 

いよいよ二王門が見えてきた。

 

仁王門。    仁王門は参道の中腹にある入母屋、銅板葺、三間一戸、八脚単層門、総欅、素地造りで周囲の景観と一体化し立石寺の象徴的な景観の1つ。案内板によると「 嘉永元年(1848)に再建されたけやき材の優美な門で、左右には、運慶の弟子たちの作といわれる仁王尊が安置されている。

 

 

軒下の二段造りの垂木が綺麗に見える。

 

 

木鼻には獅子、蟇股には波を模した彫刻が施され、屋根は2重垂木、華美な装飾は少なく力強い意匠。

 

 

 

 

 

天井は格天井。

 

 

 

門を潜る。

 

 

門を潜り前方の高台に見えるのは性相院。

 

 

 

仁王門を上から見る。

 

 

 

性相院の前から山々の風景と、右手に開山堂と納経堂。

 

 

 

開山堂と納経堂。

 

 

納経堂の遠景。 百丈岩の上に納経堂。

 

納経堂【山形県有形文化財】。 開山堂の左端の、百丈岩の頂上に位置ある。書写した法華経を奉納する場所だった事から納径堂と名付けられた。建物は慶長4年(1599)に建てられ宝永2年(1705)に大改修されたもので宝形造、銅瓦棒葺(元板葺)、桁行1間、梁間1間、外壁は横板張、弁柄塗り、正面中央に板扉を設けそ上部には象と思われる彫刻が施されている。

 

 

 

開山堂、五大堂への階段。この辺りは大きな岩が迫る。

 

開山堂。 立石寺を開山した慈覚大師が入定した百丈岩の平場に建てられた建物で信仰上でも重要。建物は入母屋、正面千鳥破風、銅板葺、平入、素地造、桁行3間、梁間2間。冬場の雪対策の仮設で覆われて全体像が見られないのが残念。

 

 

正面1間唐破風の向拝付、向拝欄間部には龍、木鼻には獅子、唐破風懸魚には鳳凰など精緻な彫刻が随所に施されている。

 

 

扁額は「かいざんだいし」ではないかなというが、よくわからないと寺の方。

 

 

開山堂の横から五大堂へ。

 

 

先ずは、山寺駅から望遠で五大堂の全景。 崖の斜面に建てた懸造。右下に開山堂。

 

五大堂。  立石寺の中で随一の眺望を望める景勝の地。 開山堂度と納経堂の奥に位置する。建物は正徳4年(1714)に再建され、嘉永5年(1852)に改修されたもの。木造平屋建、切妻、銅板葺、妻入、桁行4間、梁間2間、外壁は3方が吹き放しで下界を眺望出来き、落下を防ぐ為に外周には高欄を廻している。山の斜面にあり懸造となっている。五大堂の本尊は立石寺を護持する五大明王(大聖不動明王、東降三世明王、南軍荼利明王、大威徳明王、烏枢沙摩明王)が祀られている・・・

 

 

内部。眺望がすばらしい。 堂が空中に浮かんでいる感じだ。 かなりの時間をいたが、参拝客はほとんど外国人であった。

 

 

 

人がいなくなればこんな感じ。

 

 

 

 

 

中の広さは、ざっと20畳くらい・・・かな?。

 

 

 

 

 

真正面の山並み。眼下に山寺駅が小さく見える。

 



正面から見た景色

 

 

右手前方を見た景色。

 

 

左手の方向に開山堂や胎内堂などをみる。

 

 

釈迦堂。   釈迦ケ峰山頂直下に建てられた堂宇。木造平屋建、切妻、鉄板葺、平入、桁行3間、梁間2間、懸造風。 名称通り釈迦如来が安置されていると思われる。]

 

胎内堂。  釈迦堂からさらに下がった場所に建てられている。 木造平屋建、切妻、鉄板葺、妻入、桁行2間、梁間2間、懸造風。 その下にある小洞の中を入る「胎内くぐり」をしなければ辿り着けないという。現在は修行者のみしか行くことができない。

 

 

 

 

 

奥の院の途中の性相院。 

 

 

 

下から性相院、金乘院、中性院と並びその上奥が奥の院。

 

 

 

金乘院、その上後方に中性院。参拝はここまでとし、奥の院は参拝せずここで引き返した。

 

 

性相院。  本尊は阿弥陀如来で、運慶作と伝えられる毘沙門天像が安置されている。伊達政宗公の生母、義姫の日牌所でもある。

 

 

性相院の正面。

 

 

行きはよいよい帰りは恐い。階段に雪が積もりスベりやすい。

 

 

おそるおそる下りるので時間がかかる。

 

 

抜苦門。   本坊の表門。参拝者の全ての苦悩を抜けるとの理由から名付けられた。切妻、銅板葺、八脚単層門、三間三戸、正面唐破風、格式が感じらる。

 

 

木鼻には獅子の彫刻などが施されている。

 

 

 

 

 

本坊。  参道からは少し離れた所にある。周囲には神楽岩や蛙岩などの巨岩や羅漢像が安置されている。木造2階建て、寄棟、銅板葺、平入、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ。庭園は背後の山々を取り込んだ借景庭園。

 

 

 

本坊玄関。  玄関屋根は唐破風、その上部の大屋根を千鳥破風として正面性を強調している。

 

 

 

神楽岩。 本坊の入り口側に大きな岩。

 

 

立谷川。  山寺の麓を流れる川。山形市の東側から流れ出て、山寺の前を通り、須川に合流した後にすぐに最上川へと合流。最上川水系の一部。

 

 

 

JR山寺駅。

 

 

 

山寺駅から見た立石寺。

 

 

 

 

案内図

 

 

 

五木寛之著「百寺巡礼」よりーーーこの寺は東北の比叡山と言われるだけあって、延暦寺と同じように根本中堂には、薬師如来像が安置され、不滅の法灯が燃え続けている。薬師如来像は秘仏で拝見することはできなかったが、円仁の作と伝えられると聞いた。比叡山に横川を作り、唐から持ち帰った常行三昧という念仏の行をそこではじめたのも、円仁だといわれている。この山寺にもやはり常行念仏堂があった。このあたりにも、円仁の影響が色濃く感じられてならない。みちのくの山国に、円仁という才能豊かな野心的な僧がやってくる。そして、彼がまいた種が、今もこんなふうに生きつづけている。山寺は現在、観光地としてにぎわっているが、それでも千二百年ものあいだ法灯を保ちつづけるのは、並大抵のことではなかったにちがいない。

 

 

 

御朱印

 

 

 

山寺 終了

 

(参考文献) 五木寛之著「百寺巡礼」第七巻東北  立石寺HP  

       山形県HP(山寺立石寺:歴史・見所) フリー百科事典Wikipedia   ほか

 

 

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