詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

聖夜に向けて歩きつつ思うこと

2014年12月24日 | 
鐘が鳴るのに間に合うと
歩くのが少しゆっくりになる
そうかと思うとときにはやけに
一歩一歩が元気良く大股になる

祈るとは、きっと自分と対話すること
そして誰かのことを思うこと
恐ろしいことに
神さまはどこでもなく私の中にいるから
私の神さまは「わたし」にしか見つけられないから

だからいまは礼拝には出ないで
ひっそりとしている美しい教会のベンチに座って
十字架を横切る光が変化していくのをじっと眺めていたい

教えられたわけでもないのに
なぜか教会が好きで
土曜学校に通ってみたり
日曜学校に通ってみたり
していた子どもの頃
自分でも気付かぬほど
感じていたこと
感じたかったことを
思い出しながら

見上げることが生まれつきのことのように自然だったのは
悲惨を知らなかったから?
それとも、反対で
参照できる経験や周到な言い訳という鎧もなく
小さな出来事ひとつひとつが
すべて予感になってしまうくらい
いまよりもずっと自分と世界が
むき出しで生々しく肉薄していたから?

オルゴールの木箱の
金色の留め金に映る部屋に
吸い込まれていた同じ心で
白い光に満ちた世界に憧れた

剥離を繰り返しても
そうやって見上げ続けることができるかどうか
その後ずっと恐る恐る試していた気がする
でもいつのまにかそんなことも忘れてしまい
いまは空ばかり見上げて
足元をずっと遠ざけて
手は込んでいるけれど
浅はかな幸福を漂っている
ときどき遠い地面の亀裂を見つけて
手順を思い出さなくてはと焦る

祈るとはきっと自分と対話すること
そして誰かのことを思うこと
恐ろしいことに
神さまはどこでもなく私の中にいるから
私の神さまは「わたし」にしか見つけられないから

教会に行くたびにもらった
聖書の一節を抜き出した絵入りのカード
お気に入りだった一枚は
いまでもすぐに思い出せる

神はそのひとり子を賜ったほどに
この世を愛して下さった
ヨハネ3:16

神さま、そうなのですか?

その問いかけは死ぬまで体の中で響き続けるこだま
コメント
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