まだ15時過ぎだというのに、秋の陽は落ちるのが早く、方向を捉えてしまうと、まっすぐに飛んでくる光の矢に向かって前進するような歩みになってしまう。
交差点に出て、角度を開くと、黄金色に染めあげられた壁面や枝葉の間を、そしていっそう濃くなる影の間をゆっくりと、また違う種類の緩慢さで歩くことになる。
道は、太陽に向かって、分度器の役割を果たしている。まっすぐなものはもちろん、なぜか同じ景色に戻ってきてしまう魔をつくりだす曲線、であったりもしながら、先端をつなぎ続けて平面に起した蜂の巣状であることを思い出す。
首都高の下に入ると、まるで夜のようなのに、歩道橋の目隠し用のパネルが強い光をしっかりと受けとめて、受けとめきれずに、こちらへと、濃厚なオレンジ色を憧れのようにこぼしている。
まぶしさに思わず、一歩一歩あがっていく足元の階段へ目を落すと、秋の色見本のように赤や黄や茶、その中間色の葉っぱが散らばっている。
段の側面には苔の緑が繁茂していて、秋は言葉を綾取らずにはいられない詩のように、装飾されていると思う。
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