人工的な香りが好きだ……
と、おしゃれ着洗いのエマールで洗濯したセーターに軽くアイロンを当てて、ふわっと立ち昇ってきた匂いを嗅いで思った。
外国人の香水も、外国に慣れていない私には、いまだに異国情緒を感じさせる魔法を持っている。
「人工的」と言えば、大抵その後にはあまり肯定的ではない言葉が続くし、私も続けがちだ。「人工的」とはあまり良くない言葉として捉えられている。でも待てよ……。
ふと、アイロンの熱気が温かく気持ちの良い冬の夜、あ、今の時代、特にこれからの時代、「人工的」というのは、温かい響きであるな、と思った。
人間でなければできないと言われてきたことがことごとく、ロボットにもできるよ、AIならもっとうまくできるようになるよ、人なんて、いらないよ、という時代。
詩は、小説は、人工的な物が読みたいな。
ロボット的な物でなく。
でも待てよ……。
ロボットも人が作った物である。するとこの場合、人工的、が指すものはロボット作、のほうになるのだろうか……。
あれ、そもそも「人工」てなんだっけ……?
じんこう「人工」
人の手を加えること。人の力で作ること。人造。人為。⇔天然。「━の美」
例として
人工衛星
人工栄養
人工海水
人工関節
……
大辞林より
そうか、人工というのは、もともと自然にあるものを人の手で作り出した物のことを言うのだな。
するとそのうち
人工人間
というモノ、じゃなくて、ヒト?が、できるのか?
フランケンシュタイン。人造人間。
いたじゃないか、昔から。
いや、いないけど。
人が作るものは人工的だけど、人は自然である。
すると、人が作る歌や詩や小説も「自然」と言えなくもないのではないか。
ここでふと、「人ってすごいな」という飛躍した感想。
自然なこと、昔の人にとっては、神とか霊とか祟りとか、超自然的な力と思っていたことやなんか、実は地球が回っているということやなんか、法則とか計算を知るとかして、実は魔法ではなく、そのようにできている、という説明ができるようになり、さらにそれを利用して新しい物を生み出してしまうのだもの。
「そのようにできている」ということが、謎と言えば謎なのだけれど……。これは池田晶子さんの受け売り。
あ、私もう、池田晶子さんの享年になってしまった!
話を元に戻しますと、そうなるとやっぱり、人の心と言われるものについても、いずれは法則とか計算で全て説明できる、ということになってしまうのかな。
説明できたところで、池田晶子さんに戻ると、なぜ「そのようにできている」のかは、わからない、ということになるのかもしれないけれど。そこは分からないまま、ロボットは造られていくのかもしれないです。
池田晶子さんは、「意識によって宇宙が自分を見ている」のではないかと、書いていたような気がする。
「誰」が、最後に残るのでしょうね……。
夢は、誰が見ているのでしょうね……。
人と空と電気の法則
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