親しい人が亡くなると、残された人の心はそれこそ時空を超えて旅をするのだなぁと思った。
先輩が亡くなってまだ二ヶ月も経っていないのに、ものすごく長い時間が経った気がする。きっと他の人もそうだっただろう。私もたくさん旅をした。
過去の思い出の中、その人が生きたかもしれない未来や、私にできたかもしれないことへの後悔という架空の世界、計り知れないその人の心、その人がいまいるかもしれないところ、生と死の境も越えてしまって。
物理的にも旅をした。お通夜には間に合わず、告別式に先輩のふるさとの広島へ。雨が降っていて灰色だった。数日後には、もともと予定を入れていた九州旅行。苦しい気持ちばかりだったけれど、先輩のこと以外は何も考えられなかったから、ちょうど仕事に行かずに思う存分浸ることができて助かった。阿蘇の葉祥明美術館の草原でベンチに座り、風に吹かれていると、心を撫でられているような気持ちになる。
そして、私は四十九日をあてにしていた。この法要に参列することで、少し気持ちを整理できるだろうかと。六月末、東京の一人暮らしでの治療もいよいよ難しくなり、広島へ戻った先輩に、お見舞いに行くと約束をした。「病院が宮島のそばだから、その観光ついでにおいでよ」と言われていたので、実現できなかったその旅行を辿りながら先輩を感じたくて、最期のときを過ごした病院を見て、宮島の厳島神社にも行くつもりで一泊することにした。
あてにしていた分、この旅行が終わってしまったら、当面、先輩のためにできることがなくなってしまってどうしよう、という恐れもあった。でも不思議な気持ちがするくらい、こういう言い方はおかしいけれど、ものすごく充実した旅だった。たったの一泊二日なのに、深く悲しみ、同じように悲しむ人と深く心を通わせられ(たと私には思うことができた)、やりたかったことは全部してきた。
この四十九日法要への旅を思い返すと、先輩のふるさとの風景がひろがり、そこで親しくなった人たちの優しさが体の中を風のように流れていって、秋の空のような、さみしさの中に不思議な、満されたような温かい気持ちがそこに残っている。パズルのピースがピタッとはまるような、予想外のことまですべて、計画されたことのように心にぴったりだった。先輩の魔法みたいだった。私はなんの魔法も、先輩にかけてあげられなかったのに。
悲しいときにはいつも以上に自分の物語を生きてしまうのだなぁと思う。あまり良いことではないのだろうけれど、でもまだ(結局まだなのだった)、しばらくその世界をさまよっていたい。自分に消えない痕跡を残したい。先輩が生きていた日々がどんどん遠ざかっていくのが悲しくて、どこでもいいから懐かしい感じのする街をゆっくり歩きたくなる。
でも……こうして自分の物語に入り込んでしまうとき、本当言うと何かずるいものを感じたりもする。悲しみの中でいっそう露わになった汚く、醜い自分を涙で覆い隠している。ごまかしているのがわかっているのに、悲しみを理由に気付かないふりをする。それを一番叱ってくれたはずの先輩。もういない。そう思うとまた泣けてくる。
先輩は一体誰だったんだろう?とふと思う。その質問の意味もわからずに。
宮島へ行くフェリーに乗りながら撮ったフェリー
法要のあと会食の前に撮った。
先輩がドライブすると気持ちがいいと言っていた海岸線のあたり。
告別式の日は雨だったけれど、この四十九日法要のときは秋晴れだった。
でも法要の翌日、厳島神社へ行き、先輩が入院していた病院を見つめた後、再び一人で先輩のお墓を訪れたときには空が曇り始めて、お墓にコーヒーとタバコ、お線香を供えている間に隣のお墓の掃除に来ていた年配の女性とふと話をし始めて、死別の悲しみについて話しながら二人で涙を流していたら、しとしと雨が降り出した。先輩も泣いているのかな、と思った。それでも先輩のふるさとを思い返せばそこはコスモスが揺れていた静かな美しい秋空。
先輩が亡くなってまだ二ヶ月も経っていないのに、ものすごく長い時間が経った気がする。きっと他の人もそうだっただろう。私もたくさん旅をした。
過去の思い出の中、その人が生きたかもしれない未来や、私にできたかもしれないことへの後悔という架空の世界、計り知れないその人の心、その人がいまいるかもしれないところ、生と死の境も越えてしまって。
物理的にも旅をした。お通夜には間に合わず、告別式に先輩のふるさとの広島へ。雨が降っていて灰色だった。数日後には、もともと予定を入れていた九州旅行。苦しい気持ちばかりだったけれど、先輩のこと以外は何も考えられなかったから、ちょうど仕事に行かずに思う存分浸ることができて助かった。阿蘇の葉祥明美術館の草原でベンチに座り、風に吹かれていると、心を撫でられているような気持ちになる。
そして、私は四十九日をあてにしていた。この法要に参列することで、少し気持ちを整理できるだろうかと。六月末、東京の一人暮らしでの治療もいよいよ難しくなり、広島へ戻った先輩に、お見舞いに行くと約束をした。「病院が宮島のそばだから、その観光ついでにおいでよ」と言われていたので、実現できなかったその旅行を辿りながら先輩を感じたくて、最期のときを過ごした病院を見て、宮島の厳島神社にも行くつもりで一泊することにした。
あてにしていた分、この旅行が終わってしまったら、当面、先輩のためにできることがなくなってしまってどうしよう、という恐れもあった。でも不思議な気持ちがするくらい、こういう言い方はおかしいけれど、ものすごく充実した旅だった。たったの一泊二日なのに、深く悲しみ、同じように悲しむ人と深く心を通わせられ(たと私には思うことができた)、やりたかったことは全部してきた。
この四十九日法要への旅を思い返すと、先輩のふるさとの風景がひろがり、そこで親しくなった人たちの優しさが体の中を風のように流れていって、秋の空のような、さみしさの中に不思議な、満されたような温かい気持ちがそこに残っている。パズルのピースがピタッとはまるような、予想外のことまですべて、計画されたことのように心にぴったりだった。先輩の魔法みたいだった。私はなんの魔法も、先輩にかけてあげられなかったのに。
悲しいときにはいつも以上に自分の物語を生きてしまうのだなぁと思う。あまり良いことではないのだろうけれど、でもまだ(結局まだなのだった)、しばらくその世界をさまよっていたい。自分に消えない痕跡を残したい。先輩が生きていた日々がどんどん遠ざかっていくのが悲しくて、どこでもいいから懐かしい感じのする街をゆっくり歩きたくなる。
でも……こうして自分の物語に入り込んでしまうとき、本当言うと何かずるいものを感じたりもする。悲しみの中でいっそう露わになった汚く、醜い自分を涙で覆い隠している。ごまかしているのがわかっているのに、悲しみを理由に気付かないふりをする。それを一番叱ってくれたはずの先輩。もういない。そう思うとまた泣けてくる。
先輩は一体誰だったんだろう?とふと思う。その質問の意味もわからずに。
宮島へ行くフェリーに乗りながら撮ったフェリー
法要のあと会食の前に撮った。
先輩がドライブすると気持ちがいいと言っていた海岸線のあたり。
告別式の日は雨だったけれど、この四十九日法要のときは秋晴れだった。
でも法要の翌日、厳島神社へ行き、先輩が入院していた病院を見つめた後、再び一人で先輩のお墓を訪れたときには空が曇り始めて、お墓にコーヒーとタバコ、お線香を供えている間に隣のお墓の掃除に来ていた年配の女性とふと話をし始めて、死別の悲しみについて話しながら二人で涙を流していたら、しとしと雨が降り出した。先輩も泣いているのかな、と思った。それでも先輩のふるさとを思い返せばそこはコスモスが揺れていた静かな美しい秋空。
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