朝、NHKのニュースを見るのだけれど、世界のメディアザッピングがいまの私のお気に入り。
朝というのは仕事に行く前の時間であり、大抵は少し憂鬱。だから、なんとなくつけている番組にひそかな楽しみを見つけて、小さなことなのに、実はそれにしがみつくような気持ちであったりする。
高松にいた頃は『シャキーン!』だった。その当時は生保会社に勤めていて、とても楽しかったけれど、内容的にはかなり緊張感のある仕事だった。お金が絡むことだし、個人情報にもとても神経を使うし、クレームにもつながりやすい。仕事に行くためのよっこらしょ、という気持ちを少し支えてもらう楽しみ、みたいな感じで、朝の番組には気付くと楽しみを見つけている。
いまはその楽しみが世界のメディアザッピング。この名前を正確に覚えるのにまず一年ぐらいかかった。普通のニュースは重たいテーマが多いけれど、このコーナーでは、いろんな国のちょっとした話が多くて、私の楽しみ。それをまた夫に報告するのも、私の楽しみ。それを聞かされるのは、夫の苦しみ?
*****
夜中にやっている料理番組を見ること。家族が寝て静かになった部屋で黄色い電気だけ点けてただ眺めている。メモはしない。派手な音楽もなく、劇的な展開もなく、淡々と進む。とても落ち着く。料理好きな人が料理をしているととても楽しそうに見えて。ただ野菜を切ったり、炒めたり、塩を振ったり、しているだけなのに、とてもおもしろそうに見える。その仕種と材料とできあがった料理が、平和という言葉が連想させてしまう暴力などからかけ離れて、ほんとに平凡な平らな平らかな毎日という感じで落ち着く。
*****
本屋さんで有元葉子さんの『毎日すること。ときどきすること。』という本を、タイトルに惹かれて買った。それからもう1年?2年?経つけれど、本棚に差さっている背表紙を見るといつも読み間違える。『毎日すること。どきどきすること。』だと思ってしまう。そして、うまい!このフレーズの流れ。いい!と思う。こんな文章を書けたらいいな。
「毎日すること」「どきどきすること」と並べることで、かえって、その並列のズレを、いまここでズズズと動いているように感じる。
毎日することがイコールどきどきすること、であるようにも思えるし、毎日すること、と言い出しておきながら、どきどきすることを言い始めてしまったような、奔放さを感じるような気もするし、何より、どきどきすること?なになに?と、どきどきしてしまう。
毎日すること=当たり前のこと、特別でないこと、なのに、そこにどきどきすることが紛れ込むことで、ドラマチックなどではない、ふと日常に忍び込む、どきどき、そのささやかさに、かえって素敵に胸がときめいてしまう。
ソメイヨシノが落ち着いたら、今度は八重桜が爛漫。さくらときめく。
朝というのは仕事に行く前の時間であり、大抵は少し憂鬱。だから、なんとなくつけている番組にひそかな楽しみを見つけて、小さなことなのに、実はそれにしがみつくような気持ちであったりする。
高松にいた頃は『シャキーン!』だった。その当時は生保会社に勤めていて、とても楽しかったけれど、内容的にはかなり緊張感のある仕事だった。お金が絡むことだし、個人情報にもとても神経を使うし、クレームにもつながりやすい。仕事に行くためのよっこらしょ、という気持ちを少し支えてもらう楽しみ、みたいな感じで、朝の番組には気付くと楽しみを見つけている。
いまはその楽しみが世界のメディアザッピング。この名前を正確に覚えるのにまず一年ぐらいかかった。普通のニュースは重たいテーマが多いけれど、このコーナーでは、いろんな国のちょっとした話が多くて、私の楽しみ。それをまた夫に報告するのも、私の楽しみ。それを聞かされるのは、夫の苦しみ?
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夜中にやっている料理番組を見ること。家族が寝て静かになった部屋で黄色い電気だけ点けてただ眺めている。メモはしない。派手な音楽もなく、劇的な展開もなく、淡々と進む。とても落ち着く。料理好きな人が料理をしているととても楽しそうに見えて。ただ野菜を切ったり、炒めたり、塩を振ったり、しているだけなのに、とてもおもしろそうに見える。その仕種と材料とできあがった料理が、平和という言葉が連想させてしまう暴力などからかけ離れて、ほんとに平凡な平らな平らかな毎日という感じで落ち着く。
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本屋さんで有元葉子さんの『毎日すること。ときどきすること。』という本を、タイトルに惹かれて買った。それからもう1年?2年?経つけれど、本棚に差さっている背表紙を見るといつも読み間違える。『毎日すること。どきどきすること。』だと思ってしまう。そして、うまい!このフレーズの流れ。いい!と思う。こんな文章を書けたらいいな。
「毎日すること」「どきどきすること」と並べることで、かえって、その並列のズレを、いまここでズズズと動いているように感じる。
毎日することがイコールどきどきすること、であるようにも思えるし、毎日すること、と言い出しておきながら、どきどきすることを言い始めてしまったような、奔放さを感じるような気もするし、何より、どきどきすること?なになに?と、どきどきしてしまう。
毎日すること=当たり前のこと、特別でないこと、なのに、そこにどきどきすることが紛れ込むことで、ドラマチックなどではない、ふと日常に忍び込む、どきどき、そのささやかさに、かえって素敵に胸がときめいてしまう。
ソメイヨシノが落ち着いたら、今度は八重桜が爛漫。さくらときめく。
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