sdaruの日記

日々の色色な身の回り事を書いて行きます。

今日はパソコンがおかしい。

2007年10月31日 | 日記

今日はパソコンの調子がおかしくて半日つぶれてしまいました。
外部の記憶装置のファイルが開かないのです。
あれこれ試して見ました。結局以前記憶させてあった古いファイルを利用しました。何故おかしくなったのか理由は分かりません。
そのうちに、ウイルスソフトもおかしくなりました。
これはアンストールをして、ソフトを入れ替えました。
念を入れて二重に記憶させたのですが、どちらも同じファイルが駄目でした。
記憶させてあった古いデーターは消えてしまったのです。
今は商売をしていませんから重大なファイルは無かったのが幸いです。
天気は曇ったり晴れたりです。

親教育。

2007年10月30日 | 日記

昨夜テレビをつけ、出た番組を見て驚きました。
学校で子供に掃除をさせたと言って、父親が文句を言ったとか。
他にも小学校の6年生が先生に、蹴りを入れたとか、椅子を投げたとか。
本当かねと首をひねりました。
子供の教育より親が先だねと思って見て居ました。
親の教育を実施したら、教育必要な親は不参加だったそうです。
先生が対応できなくて、警察が出動、子供を校内で補導したとの事。
先生の体罰は禁止、どのような学校なのかと思って見て居ました。
このような子供の親の再教育は難しいでしょう。
深刻な問題ですが、テレビでことさらに取りあげないのが良いのではないかと思いました。その道にかかわる人々、真剣に取り組んでいると思いますが。

物忘れ。

2007年10月29日 | 日記

パソコンの前で考えました。
昨夜、明日はこれを片つけようと思ったことがありました。
1つはすぐ思い出しました。後の2つが出てこないのです。
暫く考えました。脇にある書類を見て思い出しました。
まだ呆けては居ないなと安心しました。
外へ出ました。目の前に止まった車から声をかける人が居ます。
私の名前を呼んでいます。誰か分かりません。その人は自分の名前を名乗りました。
どうしても思い出せません。容貌は女房の兄の感じに似ています。
でも少し違います。言ってる居る名前は思い出しました。
しかし私の記憶にある容貌とはまるきり違います。
太平洋戦争が終わったころ同じ町内にいた1年先輩の名前です。
60年近い年月が過ぎています。間に1度も会ったことはありません。
人違いではないかと思いました。相手には失礼と思いましたが。
とうとう分からないで分かれました。
今日は写真のような空になりました。

体調管理

2007年10月28日 | 日記

体調管理って言っても、それほど大げさなものでは有りません。
一覧表を作って、三度の食事の食べ物、それも細かなものではありません。
米かパンか、肉か魚か野菜かの区別、排尿排便の時間と回数、目の開いた時間、
体温、脈拍、その日の気温、医者に行った日などの記録です。
体温や脈拍は時間は一定していません。
3年くらい続けています。
これは3年余前に脊柱管狭窄症で入院した時の病院からの続きです。
食事は食べて2時間もすると食べたものを忘れるからでした。
排尿回数は前立腺肥大の予知です。以前泌尿器の医師に聞きました。
1日10回を超える日が続くようなら注意をするとよいと。
このような事で記録をする気になったのです。
今の所これが役に立ったと思う事はありません。
右足と腰の張りは毎日です。体のバランスは悪くなっています。
足腰痛みは無いのです。この記録が役に立つ日が来ないことを願っています。
そうそう台風は沖合いを駆け足で過ぎました。
今日は晴天です。

台風

2007年10月27日 | 日記

台風が近づくとの予報です。
10月も終わりに近い時季、季節外れの気もします。
江戸の時代、台風は野分と言ったそうです。
台風の呼び名になったのは何時からでしょうか?
気象用語では、熱帯性低気圧、です。
アメリカではハリケーン、インド洋ではサイクロンだったと思います。
今では台風は号で呼んでいます。戦争が終わった時には名前がつきました。
何故か英語で女性の名前です。キャサリンなどもありました。
何故女性か?分かりません。荒れ狂う風雨、女性の感じは有りませんが。
それとも女の怒りは荒れ狂うと手に負えないからかなとも考えました。
大きな被害を出した台風には被害の大きな所の地名をつけています。
室戸台風、伊勢湾台風、狩野川台風など。
幸いに今回の台風余り大きくは無いようです。9

プロ野球

2007年10月26日 | 日記

今日は時折小雨が降っています。
その昔、子供の好きなものは、巨人、大鵬、玉子焼きと言いました。
サッカーが人気になり巨人は霞みました。相撲も不祥事が続きます。
食の多様化で子供は玉子焼きを余り好まなくなりました。
中でもプロ野球、テレビの放映も減っています。
未だに長島でもないと思いますが。
日本一を決めるのに何か訳の分からない試合をしています。
何とかシリーズと言って試合をしています。
140試合も続くリーグの優勝は何なのでしょうか?
今は消費者が強い時代です。野球の消費者はフアンです。
今のプロ野球の仕組みファンの意向を考えているのでしょうか?
かっては熱烈なプロ野球ファンだった私、最近は興味を失いました。

紅葉便り。

2007年10月25日 | 日記

テレビや新聞で紅葉の便りを伝えます。
残念ながら当地温暖の場所、綺麗な紅葉を見ることじはありません。
気温が8度以下になると綺麗な紅葉になるとか。
当地今の所最低気温は15度くらいです。
8度になると木枯らしが吹き始めます。木々の葉が色づく前に枯れてしまいます。
外来種が固有の種を駆逐すると報道されています。
生態系が崩れると心配されていますが、すべて人間が作り出したことでしょう。
自然の変化は年単位が多いようです。人間の営みは日単位です。
このづれが自然の変化に人々が気づき難いのでは?
地球の変化は人間の感覚と違います。この辺りのづれを認識しないと環境破壊は
良く理解できません。
学者でない私は耳で聞いても、現実の生活では実感出来ないのです。


言葉

2007年10月24日 | 日記

今日は今のところ雲一つない快晴です。
言葉です。最近日本語の乱れを嘆く人が結構います。
テレビのドラマでは方言を使った番組も結構あります。
大分前ですが、当地の旅館を主題にした番組がありました。
この中で当地の方言を使っていましたが、聞いたことのない言葉でした。
こんな方言があったかな?と思いました。
江戸末期、薩摩と会津の人が話すときには通訳が必要だと聞いた事があります。
私も若くは有りませんが、方言を使うことは殆どありません。
たまに同年代の友人に会うと出ることがあります。
”どうでー、たっしゃかよ”など。
これも最近は殆ど使うことが無くなりました。
方言、文字で書くと良く伝わりません。独特のイントネーションがあるからです。
最近はネット方言のような感じの言葉があります。
英語の頭文字を並べた言葉です。カタカナ語も増えました。
業界言葉もあります。頻繁に使われると日本語になってしまいます。
話言葉、書き言葉、同じではありません。
偉い人が話します。えー、あー、うー、が頻繁に出る人の話は聞き難い事があります。話す書くその人の品性を表すように思いますが。

好天は続かない。

2007年10月23日 | 日記

昨日は好天でした。今日は朝から曇って居ます。
女心、男心などと例えられますが、秋の空、好天は長続きしません。
世の中便利になりましたが、自然は人間の思うようにはなりません。
自然を侮っては良くないのでしょう。
伊豆近海で地震がありました。試用中の地震速報が流れたところがあるそうです。
実際その場に居た人が慌てたそうです。幸い余り大きくない地震でした。
これを書いた人は何をするか戸惑ったそうです。
この人地方新聞の記者です。実際に大きな地震がきたらどうする?
何が出来るかわからないと言っていました。
自然を見くびっては良くないと言うことでしょう。
人間も自然の一部です。心したいと考えました。

熱中人

2007年10月22日 | 日記

今日も晴れました。
昨夜のテレビのことです。
色々なことに熱中している人の番組がありました。
1人は珍しい姓を集めている人です。
先ず電話帳で珍しい姓の人を見つけます。
読み方分かりません。そこで現地に出かけます。
行く先でその姓を見せて、出会った人にその姓の人のお宅を聞きます。
そのお宅を訪ねます。もちろん事前の連絡はしません。
見知らぬ人の訪問を受けた方はしばし戸惑います。
理由を話すと、殆どのお宅があって話をして呉れるそうです。
余り変わっていて、その番組に出た姓を思い出しません。
もう1人の人は雷、それも稲妻の写真を写して居る人でした。
天気図を調べ、天気予報を調べ、雷が発生しそうな場所へ出かけます。
必ず雷が発生するとは限りません。何時間も待って空振りも多いとか。
自宅の2階も窓を開けて休みます。夜中であれ明け方であれ仮眠状態です。
雨の支度くも万全です。
色々な人が居るなと感心して見ていました。
それにしてもテレビの関係者も大変だろうなと思いました。
私にはとても真似の出来ないことです。
せめて自宅で空を見上げ雲を写すこと位です。

赤福

2007年10月21日 | 日記

気持ちの良い天気です。
老舗赤福の不祥事が色々報道されています。
老舗の暖簾に胡坐をかいて時代の趨勢を見誤ったと感じました。
創業者は考えもしなかったことでしょう。
その昔は人は人間の五管を頼りに食の安全を確かめてきました。
今は色色な安全基準が出来てきました。
基準に外れたものを食べて食中毒を起こしたとは聞いて居ませんが。
俺の店の品、基準外でも安心だと考えたのでしょうか?
食の安全は何時の時代でもそれぞれに気配りをしてきたと思います。
写真で見ると、社長はまだ若いようです。
金儲けが先になり、企業の存続を優先しなかったように思います。
消費する人は変わっています。
変わった消費者の心理を考えなかったのでしょう。
愚かなことをしたと思います。

誰も居ない。

2007年10月20日 | 日記

女房は東京へ出かけ、孫家族は家族マラソン大会に出かけました。
私1人が家に居ます。朝早くに枕元でごそごそやって居る女房の様子を
寝ぼけ眼で見たように思いますが、夢うつつ、9時頃まで寝ていました。
快晴までは行きませんが、晴の天気爽やかなお出かけ日和です。
表通りは人は余り通りません。
新聞を読み、パソコンでメールとブログを見ると昼になりました。
1人静かに食事を済ませました。
気楽な日です。
腹が一杯になりまた睡魔が近づいてきました。
本を読むつもりですが、居眠りが出そうです。

2007年10月19日 | 日記

雲が多く好天とは言えないのですが晴でしょう。
暦には、元号、西暦、新暦、旧暦があります。
公文書は元号、ネットのアンケートなどは西暦が多いようです。
昔は1月1日に加齢されました。今は誕生日が加齢の日になります。
結果、同年に生まれても年齢が違うこともあります。
時代小説を読んでいると、旧暦で書かれていることがあります。
長く続く元号は余りありません。深く考えると混乱します。
昭和から平成、ここでも元号で数えると重複があります。
西暦は簡単に思いますが、何か趣が無いようにも思います。
節句、還暦などは旧暦が使われます。
深く考えると混乱が増えるだけ、考えないでその時々で使い分けるしか無いようです。

写真。

2007年10月18日 | 日記

幕末の写真と言う本を読みました。
幕末に活躍した人の写真が幾つも載って居ました。
もちろん白黒です。当地出身の下岡蓮杖も書いてありました。
子供の頃日本最初の写真の技術を学んだ人と教わりました。
ところがそれは間違いのようです。上野彦馬と言う人も居ました。
細かく調べませんから、どちらが先かは分かりません。
もちろん外国から技術を学んでいます。
残されている写真は外国人の写した写真のほうが多いようです。
薩摩の藩主が熱心に学んだようなことも書いてありました。
中に変わった写真がありました。首支えと言う台がありました。
感度の鈍い写真機です。人が動かないように座った人の首を支えた道具です。
写真の撮影20分か30分じっとしていたと聞いたことがあります。
写す人も、写される人も根気が必要だったと思います。
今はデジカメの時代、私が写真に興味を持った頃は、カメラはドイツの時代でした。ライカ、スピグラ、ローライにあこがれました。
戦後間もなくです。それから日本のカメラ格段の進歩をしました。
今は胸のポケットに入るデジカメが幾つもあります。
自分で印刷、ネットで印刷も出来ます。
そのデジカメで写した写真を毎日このサイトに載せています。
今日は秋晴れの好天です。

空腹の思い出。

2007年10月17日 | 日記

空を見上げると中途半端な天気です。
薄日が射していますが、青空は所々、大部分が薄い雲に覆われています。
芋堀を昨日書きました。7番孫が大学芋を作ってと言ったそうです。
どこで聞いたのか分かりません。お婆さんが作りました。
ところが孫は少し食べて終わりです。
これを見ていて思い出しました。太平洋戦争末期から終戦直後の頃を。
代用食と言って薩摩芋をが米の代わりでした。朝昼晩芋のことも有りました。
芋にも色々ありました。新島で採れる芋はホクホクして美味かったのです。
南瓜も食べました。痩せ地で出来る南瓜は水っぽく不味いものでした。
他に食べるものもありません。疎開先の農家に稲刈りの手伝いに行きました。
おやつに手打ちのうどんが出ました。これは美味いと思いました。
戦争が終わり町に帰りました。微熱が続きました。
結核の心配をしました。結果は栄養失調でした。
60年余前の話です。