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sdaruの日記

日々の色色な身の回り事を書いて行きます。

趣味

2009年06月30日 | 日記

何かの折に聞かれます。ご趣味は?答えに窮します。
本は良く読みます。そこで読書と答えます。それで済めばよいのですが。
最近読んだ本はと聞かれると困ります。ここ何年も新刊は買ったことがありません。本とは言え文庫本でも700円はします。装丁の立派な本は2000円も
します。年金暮らしでは到底買うことは出来ません。そこで図書館です。
財政の貧しい地方、新刊は余りありません。それでも借りてきます。
作家はと聞かれると困るのです。特に決めて読むのではないのですから。
肩の凝るような難しい本は読みません。ミステリー、時代物、時にはエッセイ
しかしこの頃本を読み始めると眠くなって困ります。
そこで他に趣味はと聞かれると、パソコンとデジカメと言います。
パソコンは人によっては趣味でなく仕事になるでしょう。
私も始めは仕事でした。今は仕事に関係なく楽しんでいます。
カメラ、プロの人は仕事でしょう。私は遊び、まあ趣味でしょう。
若いときからカメラをいじるのは好きでした。記念写真は殆ど写しません。
スナップですね。デジカメになってプリントに出すことがなくなりお金も
かからなくなりました。コンパクトデジカメを使っています。
一眼レフは使ったことはありません。今は電話で写真になってきました。
私は携帯電話は使いません。理由は老眼でキーの字が見えにくいからです。
コンパクトデジカメ、結構楽しめます。ブログに載せる写真はすべてコンパクト
デジカメです。今日の写真、土砂降りの日に車の中から写した岸壁です。

トイレ事情

2009年06月29日 | 日記

昨夜色々な検索をしていました。最初は手水でした。
時代小説を読んでいたら、旦那、手水はこちらです。仲居が声をかけるところが
有りました。そうだ、子供の頃聞いた言葉だなと思い出しました。
手水の語源はと気になり検索を始めたのです。正式には神社にある清めの手水舎が
元のようでした。これはウイキペディアでの検索です。
中に幾つかあるリンクを追っていくと国毎のトイレ事情が出て来ました。
いや違うと驚きました。インドでは左手処理、よって左手は不浄、手で掴んで
食事の国、右手だけで掴むとか、昔のヨーロッパでは、特に室内にトイレは無かったとか、裾に骨の入ったフレアーのスカーとは庭で排出の時そのまましゃがめば
良いように出来たとか、昔の日本の大名のトイレには引き出しがあった、これは
排便で体調を調べたとか、飛行機の処理法、電車の処理法、昔の船のことなど
書いてありました。私の経験です。戦後間もなく行った先の旅館が水洗式でした。
水が出ないのです。しばらく便器の前にいて困りました。バケツがありました。
これに外から水を汲んできて流しました。
トイレのこと、小説には余り書いていませんね。
写真は当地グランドのトイレです。

歴史

2009年06月28日 | 日記

この所歴史に興味を持っています。持ち始めの最初は今年の正月、一杯やりながら
の弟との話からです。当地の観光の売りになっている、唐人お吉からでした。
弟が言いました。吉は当地の生まれではないと言うのです。
私は全く知りませんでした。船大工の娘とだけ聞いていました。
そのうちに当地に坂本竜馬が来たと言う話が出てきました。吉を売りにしている
お寺の住職が言い出したのです。勝海舟、山内容堂も来たと言うのです。
竜馬の脱藩を容堂が許したとも話しています。
全く初耳の話でした。そこへ昨日から書いいる城の復元の話も出て来ました。
私自信の歴史の知識は貧弱です。生まれた時から日本は戦争をしていました。
当時、満州と言ったところで関東軍が中国と小競り合いをしていました。
やがて日中の前面戦争、さらに世界を相手の世界大戦になって行きました。
歌う歌は幼児の時から戦争、軍隊をたたえるものばかりです。
学校も変わって行きました。国民学校と言うようになりました。
5年、6年になると暦史が出てきます。まず最初は教育勅語の暗記、続いて
天孫降臨の言葉の暗記でした。神武天皇から始まって歴代天皇の名前の暗記
です。さらに北条、足利は悪人、楠木は忠臣と教えられました。
戦争の状況は常に日本軍が勝った話ばかりです。
そのうちに、8月15日、敗戦と言いませんでした。終戦と言いました。
この時6年生の私、9月に学校が始まると、教科書の炭塗りが始まったのです。
すべてマッカーサーの命令となりました。
中学生になりました。歴史は、西洋史、東洋史になり国史は東洋史の中になりました。今までの正が否になりました。
やがて社会人になりました。好きでない商売の道に入りました。
金繰りに追われる毎日を過ごします。親戚、知人の助けを受けて来ました。
今のような消費者金融があれば私はすでに破産していたでしょう。
到底歴史を考える日々はありません。明日の100より今日の10の生活でしたから。やがて生を受けて76年になります。この間60年近く日記を書き続けて
います。今は10年日記もあるそうですが、私は何時の頃からか定かではありませんが3年日記を書いています。書いたノートは何冊になるか?
今これを自分史として纏めています。父親がどう生きたかを子供に残したいと
思っています。
デジカメを使って7年くらい過ぎました。今のカメラは2代目、今日の写真は
1代目のカメラの写真です。この風景も今は少し変わっています。


城の続き

2009年06月27日 | 日記

昨日書いた城の続き、地元ケールテレビの放映が昨夜ありました。
シンポジュームです。コディーネータは保存推進会の副会長。
パネリストは静大名誉教授、と古代の城の研究学者でした。それと市長です。
名誉教授、専門は日本の戦国時代の研究者、NHKの大河ドラマの時代考証にも
かかわっているとか、またもう一人の学者は城の縄張りの研究者でした。
当地の山城の検証をしたそうです。地図を元に説明をしました。
現状では多く残ると言うこの山城の様子を説明してくれました。
子供の時から何度も登った山です。少しは分かったような気になりました。
私が子供頃登ったときとも全くさま代わりしているところもあります。
観光目当ての復元をしても史跡としては後に残る事は無いでしょう。
市長もパネリストで出席しました。
私もこの山を歩いていた時市長にあったことがあります。
この市長が言いました。私(市長)が歩いていて観光客に会いました。
天守台はいかがでしたと、聞いたそうです。観光客は言ったそうです。
何も無いよ、ダダの空き地だと。これを聞いて市長も考えたようです。
天守閣跡とは言って居ないのです。天守台跡と言っています。
天守と聞くと、誰もが天守閣を想像するでしょう。
縄張り研究の学者が言いました。まだまだ発掘をして調べたいことがあると。
現在この公園、開国記念広場があります。紫陽花で観光をと言っています。
散歩コースはコンリートのところもあります。これらの現状と、復元する史跡と
しての城跡の兼ね合いは難しいものでしょう。
600人で1万余の人間と戦い50日は戦ったと聞きます。
600人の人の食料、水の調達はなどと考えました。
私の考えているより壮大な城かも知れません。
今日の写真の奇岩の上には90度近い山肌があります。
山肌の上には湾内が一望できる広場があります。この横にこの奇岩の有る海岸
へ降りる小道もあります。

2009年06月26日 | 日記

当地でで今、城の復元をしようと言う動きがあります。
城と言っても天守閣の聳える、大阪城、名古屋城のようなものでは有りません。
山塞、山城です。この城があったと言う小高い山を私たちは城山と呼んでいます。
昔、このあたりを鵜島と呼んでいたようです。
この山城を鵜島城とも呼んでいます。今の時季、この山には紫陽花が咲いています。私も何回もこの城山を歩きました。それなりに道も整備され、市民の散歩の
コースになっています。この城は後北条氏が、豊臣秀吉の水軍と戦うために作った
といわれています。山の1段高いところに天主台跡といわれる場所があります。
散歩コースの途中には、当時の城の想像図も立ててあります。
しかし、この想像図を見ても山城の姿は見えて来ません。
天然の地形を利用した四通八達の道を持っていた城のようです。
船の出入りする舟溜りは今は水族館になっています。
天然の空堀は杉、檜が聳え、雑木が生い茂っています。
この山林は海の環境保全林に指定されています。
当時をしのばせる地名も、馬場が崎など残っています。
ここに山城を復元して、その目的は?と考えました。
観光の目玉にしたいのでしょうが、果たして上手く出来るか?
少し疑問です。
写真はこの城山から見た海です。

車の免許証

2009年06月25日 | 日記

アンケートのサイトで車の免許証のことが出てきました。
70歳までは無違反無事故の金の免許証は5年間、70歳を超えると3年間になります。
改めて免許証を見ました。去年更新をしました。
受け取って後細かく見いませんでした。内容は、中型、大型自動2輪、普通二に
なっています。但し書きがあります。中型は8トン、普通二は三輪と。
免許取得は50年以上昔です。当時取得した免許は自動3輪車でした。
何回か法規の改正がありました。先取特権といえるかも知れませんが、現実には
8トン車などは触った事も有りません。大型の自動2輪、重くてとても動かせませんし、乗ったこともありません。この部分はペーパードライバーです。
不思議に思ったのは、普通2種です。自動3輪に限るとあります。
今の時代、3輪のハイヤー、タクシーがあるのかな?
現実離れした免許証です。今後の書き換えには認知症の検査が出来ました。
次回は平成23年、まだ2年あります。その時どうなっているのか?
車はあまり好きではないので、ドライブに出ることもありません。
最低必要の時、近いところを走るだけです。車検は来年です。
さてどうするか、考えています。

朝から強雨。

2009年06月24日 | 日記

朝6時頃目が開きました。雨の音が聞こえます。
こりゃ起きないと仕様が無いと、起き出しました。
朝食をしていると女房が言いました。送って呉れるって。
娘と孫に言って居るのです。私は送るとまだ言って居ません。
まあそのつもりで起き出したのですから。
まず7時頃仕事に行く娘を駅まで送ります。引き返して孫を学校へ送りました。
校門の近くには数台の車が子供を降ろしていました。
この間30分ほど雨は強く降っていました。9時過ぎると小降りになりました。
今も、しとしと降っています。
話は違いますが、コンビニ大手のセブンイレブンに公取が入り勧告をしました。
看板料を払い、見た目には直営に見えますが、殆どがフランチャイズの下の
経営です。本社は人のフンドシで儲けています。
食の安全は大切です。本社の指導の下で廃棄される食品、飢餓の時代を生きてきた
私は何か割り切れないものがあります。腹に入れば何でも食べました。
安全かどうかの判断はすべて自己責任の時代でした。
消費者ももう少し考えなければならないなと思います。

土蔵の家

2009年06月23日 | 日記

当地には土蔵の家が結構あるのですが、家並は有りません。
あちらに一軒、こちらに1軒言う程度です。
市ではこれを目玉にしたいらしいのですが一寸無理に思われます。
今日の写真、比較的街中の家です。
白く新しい、最近手入れをしたのかなと思い近くに寄って見ました。
大変良く出来たものですが本物の漆喰ではありませんでした。
土蔵家も手入れは大変です。漆喰工事の出来る左官屋がいないのです。
古民家の保存を言いますが、保存に補助が出るわけではありません。
現在の所有者に資力があれば問題は無いのですが。
そうでない土蔵はみすぼらしい感じもします。
これで土蔵が何軒か並んで建っていれば別ですが。
大きな土蔵の家、3軒並んでいると結構見ごたえがあります。
土蔵を歌うポスターに使われる家はいつも決まっています。

2009年06月22日 | 日記

梅雨だからしようがない無いのですが。
朝は曇っていた空から雨が落ち始めました。
時々強く降ります。
腰のリハビリに行きました。他に用事もあったので、少し早く出ました。
この頃はたいした雨ではなくしとしと、と言う感じでした。
アクアベットでリハビリを終わり、病院を出る時には凄い雨でした。
道路脇の低いところはさながら川の状態です。
しばらく道を眺めていました。一向に小降りになりません。
車の中へ駆け込みました。ワイパーを一杯に動かしても余り効き目がありません。
しばらく車に閉じこもっていました。少し小降りになりました。
発進しました。降り止むことはありませんが、普通の雨になりました。
最近は集中豪雨とは言わないで、ゲリラ豪雨と言うそうです。

2009年06月21日 | 日記

花のことは余り知りませんし、自分で手を掛けることもしません。
ただ時季が来ると綺麗に咲きます。落ち着いて眺めることもありません。
花運動と言って町中に花の鉢が並び、家の周りを花一杯にしている所もあります。
女房もそれなりに面倒を見ているようですが、猫の額の裏庭はジャングル状態です。植えればよいと言えるでしょう。これ女房の性質を良く表しています。
私は全く無感心で口を挟むこともしません。
ただ開きかけた花が何時咲くかに関心があり一つの花の咲き具合を見ています。
朝がのように、朝開き、夕にはしぼむ花ではないようです。
これでは花を愛でるのではないようです。
小学生の自然観察の仲間すね。
写真の蕾を観察中です。

日本沈没

2009年06月19日 | 日記

今、小松左京の日本沈没を読んでいます。
裏書を見ると、2006年初版とあります。はて?この映画を見たのは遠い過去です。
記録してある日記を見ました。今から36年前に映画を見たとありました。
図書館へ行き棚を見ると、この本が目に入り、借りて来ました。
現在いろいろに言われている、地震の理論と変わる事の無い内容です。
06年初版はこの新書発行の会社の版が初版と分かりました。
映画を見たのは、その時の人気に押されて見たのです。本は読んでいません。
左京さん、すでに年齢は私と変わらない年齢になっています。
新書ですから、本は上下2巻になっています。
まだ2巻目は読んでいません。
ITの進歩は目覚しいものです。宇宙へも人が行っています。
海の中はどうなっているのかは、まだ解明が出来ていないようです。
海底資源の探査、油田の発掘などはしていますが。
地震の解明は殆ど進んでいません。
6番孫が地震のことを時々聞きます。
授業ではないようです。友人の間の話でしょう。それもテレビ、ゲームの影響?
今、当地には映画館はありません。30余年前はありました。
この映画を孫に見せたらどうなる?と思っています。
直下型地震の経験は3回、群発地震、近海の島の噴火の経験も経てきました。
本を読んで、これらの経験を思い出しています。

一人です。

2009年06月18日 | 日記

昨日と今日は一人です。女房は一泊で出かけています。
三重県と言いました。お伊勢参りでしょう。
孫が言いました。三重県て静岡県の隣?何時間かかるの?と。
三重は紀伊半島、愛知県の隣、時間ねー、4時間か5時間?と答えました。
私はパソコンのソフトの検証、昨日は一日かかりきり。
たいした用事では無いのですが、時折人が来ます。留守には出来ません。
パソコン、ソフトの検証は少しも進みません。
夜明けが早くなり、窓の薄いカーテンを通る明るさに、今朝は5時頃目を開きました。エーエーイと起き出しました。6時過ぎに朝食、今10時、腹が減ってきました。パソコンのソフトの検証の続きをしていました。
少し分かりました。どうしても必要では無いのですが、分からないと意地になります。これ私の癖です。直りませんね。

疲れました。

2009年06月16日 | 日記

疲れました。体では有りません。目と頭の中です。
昨日、1日かけてデジカメの画像を整理しました。
今までは、月ごとに保存していました。どのような写真が入っているのか?
自分でも良く分からなくなりました。
幾つかに区分けしました。それでも10位の区分けです。
この区分けを5年分。60ヶ月余をいちいち調べて振り分けました。
細かい中身は見ません。この写真は?と思うものもありましたが。
ともかく分けろ分けろで進みました。始めたのは2日前からです。
確か写したとおぼろげな写真、さて何時写したかはわかりません。
区分けが出来たので、探すのには少しは手間が省けそうです。
区切りが付いて、今日は目がちかちかします。
これからは一月ごとに整理するつもりです。記録はパソコンにはしません。
USBメモリーです。これなら何処へももって行けます。
以前、パソコンに保存しておいて、クラッシュに会いすべての写真が無くなりました。外部記憶装置、記憶の量が増えました、テラの時代になりました。
これ動画が大きく関係しています。人間の頭も年とともに記憶が増えるといいですね。それで忘れない。これじゃ人間でないか?

昨日の続き。

2009年06月14日 | 日記

昨日、少し変わった葬儀のことを書きました。
列席した女房が帰ってきました。老人会からの参列者は15人位とか。
扱いはまるでタレントのようだったと言いました。
タレントのようの意味が良く分かりません。お客様扱いと解釈しました。
夕方今日はと訪れる人がありました。奥さんはいませんか?
女房が出てきて話始めました。しばらく話していました。
この訪問した人は故人の家庭に多少縁のある方のようです。
団体で参列した老人会の顔ぶれに違和感を感じて、女房にお宅はどんな関係か
聞きに来たのだそうです。女房がいきさつを話しました。
ああそう、と言って納得したそうです。
ご婦人は色々な巷の話に興味を持ちます。これが男より長生きのコツでしょうか?

不思議な気持ち。

2009年06月13日 | 日記

どうも不思議な気持ちです。
それは葬儀への参加の要請です。葬儀普通はそれなりのお付き合いがあって出かけますよね。私の参加する老人会の方が亡くなりました。会計監査を勤めた方です。
会合には総会で監査報告に来るだけ、たまに新年宴会にも見えました。
普段のお付き合いはありません。昨日会長が来ました。賑やかな葬儀にしたいから
ご都合の付く方はご参加くださいと。会長の考えではないようです。
亡くなられた方からの申し出と言いました。故人が言うわけはありません。
多分、親族の方からの言葉と思います。
今まで随分葬儀に参加して来ました。老人会で監査をしていたとは言え会員への
参加要請は不思議でなりません。現役の時は会計畑で過ごした人と聞いています。
会長の参加を望む相手は女性会員のようです。
老人会、いろいろなことを行いますが、参加するのは殆ど女性です。
男は役員のみ参加します。まだ現役で仕事をしている人も居ますから。
女房が出かけて行きました。出かける様子は何かの会合に出て行くような感じ
喪服の会合のように感じました。
写真、図書館の展示品です。作者は高齢者、名前は分かりません。