sdaruの日記

日々の色色な身の回り事を書いて行きます。

日誌、外海

2009年10月31日 | 日記

10月も終わります。今日は航海の時と違い風もない好天。
艦はいよいよ外海へ出ました。風は艦の進むため起こる風と自然の風が混じって
居ます。
先ず目に入ったのは、水雷の発射管、説明が書いてあります。

このあたりは、まだまだ風、波とも静かなほうでした。
天気が回復することを念じながら、館内を見学しました。

艦内の階段は狭く、急勾配です。
写真の階段だけが少し広く勾配もやや少ないようです。
写真は撮りませんが、他の階段は、幅は人間体よりやや広い、ステップの幅は10センチ位、勾配は垂直ではないかなと感じる位でした。

艦首へ降りる階段、降り口、登り口にはサポートする兵が付いています。
この階段を降り、艦の中に入りました。
一番上の写真の船の中枢の部屋がありました。
操舵室は入れてくれませんがこの部屋は撮影はOKでした。

並行して走る艦が見えます。
私の乗った艦との大きさは?
考えましたが良く分かりません。
陸上の距離感と全く違います。
時間の感覚も違います。時計を見るとさして経過はしていないようでした。
この後風波は強さを増してきました。

出航する。

2009年10月30日 | 日記

仮泊地のビジネスホテルへ向かう、これがまことに貧相、これは仕方がないのです。基地の近くの宿泊施設は全て満員だったとか。

弟が、コンビにで買ってきた缶ビールを飲んで就寝、翌朝のチェックアウトは
6時半、目が開くと5時、洗顔、昨夜購入のコンビにのむすびを食べて、時間通り
出かけます。

タクシーに乗り、基地の入り口まで10分位でしょうか?
タクシーの横の歩道には、見学者の列が続いています。

基地に着くと、入り口に、歓迎のアーチがあります。
ここで自衛官がお早う御座いますと言って迎えてくれました。

アーチを通り抜けると、見学者が続いています。

やがて前方に、この日乗る艦が見えてきました。
227と書いた艦が、ゆうばり、乗船する艦です。

基地はやはり広いです。
この時は雨は降っていません。
既に受付は始まっています。乗艦券を見せ、持ち物検査、金属探知機を潜り抜けます。やっと乗艦です。傘の使用は禁止です。既に雨のしたくはしていましたが。

出航します。これが陸と違い、時間が掛かります。
岸壁でラッパの音がします、タグボーボート近づきます。
艦は一向に動く気配は感じません。

どれくらい時間が過ぎたか分かりません。
右手に船が見えました。やっと走り始めた。

艦内放送で、浦賀水道を通ります伝えました。
ここのあたりは、雨だけで風はありません。
艦は次第に速度が上がります。雨は少し強くなりました。

雨の用意、ズボンは持っていません、弟が余分に持っていて貸して呉れました。
雨の当たらない、小さな張り出しの下で履きました。

艦内を警戒している水兵がきました。
私達のいた場所は作業の都合で移動をしろとのことです。

この弦に居た人はぞろぞろ移動しました。
艦は外海へ出ます。

相模湾のどのあたりになるのか分かりません。
風も強くなりました。

前には同行する艦が見え始めました。
艦影から、前日見学したひゅうがのようです。

外海はますます雨、風が強まります。
このブログのブックマーク、左の下の方に私の動画サイトへリンクしています。
ここに載せた写真と違う様子を見ることが出来ます。

航海日誌3

2009年10月29日 | 日記
今日は小雨が降っています。
私の航海、いよいよ、ひゅうが の艦内になります。
ヘリの昇降する場所の広さに比べ、艦内の通路は狭く、すれ違いは体を横にして
歩きます。

商船と違い、軍備優先ですから当然ですが、実際乗って見ると写真、テレビと
違ってその違いが、体感出来ました。

狭い通路を通り、また甲板に出ました。岸壁には乗艦を待つ人が多く居ました。

別の埠頭には、商船の姿も見えます。
今は動かない、内部の見学をさせている氷川丸ではないかと思って見ました。

歩いていると、この艦の案内板がありました。
万一に備えての救難消火の案内です。

重要部分は全て立ち入り禁止ですが、見学を終わると1時間位は過ぎていました。
前に停泊している、イージス艦をどうしようと、弟と話しました。

少し疲れ、腰の張りも出てきたのでやめる事にしたのです。
下船して歩いてくると、乗艦待ちの列の中で手を振る女の子が居ます。

弟は直ぐ気が付きました。姪です。
これから見学すると言っていました、友人が一人居ました。
この後はこの姪が、私達のナビゲーターになるのです。

先ほどの岸壁の右2階に見えるガラス窓の大きい喫茶食堂に入って姪の来るのを
待ちました。目の前を大勢の人が通ります。

下船してきた姪と一緒になりました。友人は帰ったとのこと。
この友人、海自おたくで、はるばる関西の方から来たそうです。
これからどうするか、土地勘のない私には2人に任せるしか有りません。

雨は強くなってきました。マリンタワーに行くことになりました。
タクシーに乗り、タワーに着きました。
外は既に夜、タワーの展望台は薄暗い照明がついているだけです。

雨の吹きつける展望台からの夜景もはっきりしません。
展望台を降り、次の目的地へ向かいます。

姪の希望は中華料理、横浜駅の構内に向かいます。
ここでハプニングが起きました。

エスカレーターで上がってきた私達の後ろで、どすん と音したのです。
振り返りました。

中年のご婦人が足を曲げうつむきに倒れています。
弟が傍に行き、どうしましたと声を掛けましたが返事がありません。

姪が、ご婦人の肩を軽く揺すりました、それでも反応はありません。
近くを通った男の人が大声で駅員を呼びました。

50メートルくらい先から駅員が走ってきました。
やっと気づいたご婦人は鼻血を出しています。

ティッシュと姪が言いました。側を通った別のご婦人が直ぐ出して呉れ血を
ふき取りました。

別の駅員が2人きました、一人は婦人駅員です担架をと言っていました。
この間、私は何も出来ないで、ただ傍に佇んでいるだけでした。

駅員が処置をするらしいのを見て、私達はその場を離れました。
姪の希望の中華食を食べ、この夜の仮泊地に向かい、1日目は終わります。

航海日誌2

2009年10月28日 | 日記

いよいよ、ひゅうが に乗艦しましす。長い行列について歩きます。
狭いタラップを人の列が続きます。

艦内は傘が不用でした、やれやれと思い回りを見ると人人の状態。
見上げると、高いところに巨大と思う丸い穴が見えます。

人の列に並びました。先頭はロープが張られ前の人は動きません。
床と思ったのはヘリの昇降のための巨大エレベーター。

ロープの向こうの人の群れがゆっくりと上昇します。
丸いエレベエーターが登った後には倉庫のような場所が見えました。

降りてきた、巨大エレベーターに乗りました。
下には私達より後から入った人々が、上を見上げています。

このサイトに私の動画がリンクしています。
画面スクロールすると大分下の方ですが、ブックマークが画面左にあります。

この航海に写した動画を1日おきくらいに掲載するつもりです。
いよいよ甲板に出ました。
雨は降っています。

風は余りありません、停泊中の艦ですから全く揺れません。
陸地を歩くのと変わりは無いのです。

この艦に積んでいるヘリが展示されていました。

火災に備えての消火車も見えます。
甲板を歩きます。
前に停泊中のイージス艦の後備が見えました。

画面右の人の列は、全て見学する人達です。


継いで、艦内の見学をします。
艦内の様子はまた書きます。

2日間の航海日誌1

2009年10月27日 | 日記

09年10月24日、9時6分の電車で出かけました。
車中は観光電車、楽に座って行きました。

問題は横浜に着いてからです、今浦島の私はホームを降りることは出来ましたが
右へ行くか、左へ行くか一向に分かりません。

先導する弟に従って歩いて行きました。
駅の構内へ出ました。様々な人が行き交います。

人待ち顔の女の子が立っています。土曜日でも忙しく歩くスーツの男。
コインロッカーへ荷物の収納に行った弟、戻ってくる気配はありません。

やっと戻って着ました。コインロッカー幾つか有ったのですが、
全てカード決済、パスモ、スイカばかり、現金の使えるのは構内の端だった。

と弟は嘆いていましたが、全く土地勘の無い私には想像も出来ませんでした。
弟にくっ付いて市内に出ました。

方向感覚は全く麻痺して何処を向いても、皆同じように見えます。
ともかく昼飯となりましたが、食堂が見当たりません。

やっと見つけました。入りました。
昼のメニューは4種類、ハンバーグ、と白身魚にしました。

何が出てくるか分かりません。やっと出てくると、普段食べている料理とは
様子が違います。2種類の料理を2人で突っつきました。

曇った空から、ポツリポツリ落ちてきました。
空を見ながら、やっと岸壁に着きました。

前を女の子が歩いています。岸壁前の広場の音楽会も中止です。
そのまま岸壁に向かいます。

ヘリが空を舞っています。
自衛艦の姿も望見できます。
ここでやれやれです。

歓迎の文字と、イージス艦の姿も見えます。
イージス艦の後ろには、ヘリ母艦の姿も見えます。
入り口には、女性自衛官が立っていてニコヤカニ迎えてくれました。

いよいよ艦内の見学です。
雨は本降りになって来ました。
乗艦口では手荷物検査、ボディーチェックを受けなければなりません。
イージス艦、ヘリ母艦、どちらを見るかで、少し迷いました。
ヘリ母艦に決めました。

急な話。

2009年10月23日 | 日記

今朝早く弟から電話がありました。
海上自衛隊の観艦式を見に行かないかの誘いです。

女房は行け、行けと言います。
このところ、足腰も何とかなりそうな状態です。

以前、姪が行って写真を送ってきたことがあります。
それを肉眼で見るのです。

3年に一度の行事とか。
行くことに決めました。

行ってきたらブログに書きます。
写真は姪が写したものです。

ながら族

2009年10月22日 | 日記

最近は余り聞きませんが、ながら族と言う言葉がありましたよね。
何時ごろのことか定かに覚えていませんが。

ラジオを聴きながら勉強をするなどがそうでした。
私達が勉強をする頃は、集中しなければ駄目と言われていました。

勉強中にラジオを聞いりすると、直ぐにラジオのスイッチは切られました。
時代が変わると、静かなBGM、バックグランドミュージックは心を静めると言われました。

孫2人がテーブルを挟んで勉強をしているようです。
母親はまだ勤めから帰っていません。

テレビが映っています。
時折目を上げてテレビを見ます。

面白いと思うと兄が笑います、弟は振り向きます。
母親が居るとテレビは消えてしまいます。

夜早いテレビの番組、子供向け多いようです。
これを見ていないと学校で話の輪に入れないとか。

脳の話

2009年10月21日 | 日記

昨夜のテレビで脳の活性化、アンチエイジングの放映をしていました。
この頃良くテレビに出る、脳科学者と、狐顔のアナウンサーが出ていました。
前頭葉がどうのと話していました。

難しい話はさて置いて、脳を活性化するにはどのようにするか?と質問がありました。それは忘れる事です。

やあーこれは簡単だ、この頃何時も忘れる日々だからと納得していました。
話は続きました。海馬がどうの、覚えるために忘れるのなど話していました。

また、お喋りは良いとのことでした。
面つき合わせて話すのが良いとのことです。

見ていて考えました。
私のように、脳の手術をした人間はどうなのかと?

仕方がありません、話は健康の脳を前提にしての活性化ですから。
このアナウンサー、以前にも見ました。

本当に狐を思い出す顔です。
写真のペアの後ろ姿は文には関係ありません。

仲良く水族館を見に行くようでした。


マンホール

2009年10月20日 | 日記

今日の天気は、まあ晴れにしておこうかな?
単純に晴れ、曇り、雨、雪ではすまない天気もありますね。

毎日1度は空を見上げます。
どれくらい雲があったら曇りにする?

陽が射していても薄日の時はどうする?
お天気マークをつける時迷うことがしばしばあります。

書くのは空のことではありません。
足元のことです。

マンホールです、先日下を見て歩いていました。
ふと思い出しました、マンホールに興味を持っている人がいると。

歩いていた歩道にマンホールがありました。
当市の市章が入っていました。

また別のマンホールがありました、電気と書いてありました。
何も書いて無いものもありました。

市章の入ったのは、多分水道関係のものでしょう。
電気は読んでの通り電気関係、何も無いのは首を捻りました。

当市のマンホール、絵柄は同じようです。
その後幾つか見ましたが、同じものばかりです。

下ばかり見て歩くと、危険と隣り合わせです。歩道の無い道にもマンホールが
有りましたから。

歩いた日のつづき

2009年10月19日 | 日記

朝のうちははっきりしない天気でした。
今は晴れています。

昨日歩いた道、この道は大浦坂、街中からの上りは結構きついのですが短い登り
です。降りはややゆるかなります。

その昔江戸時代に出来た道です。この海岸に船改め番所があり、役人は山道を
超えて通っていました。

これが不便と山を切り、道を作りました。切り通しと言ったそうです。
小学生の頃の夏休み、この道を通って海水浴に行きました。

歩いた帰りに、細い横道がありました。
奥に土蔵の店がありました。
日待と書いてあります。

以前は無い店です。
近寄って見ました。
奥は薄暗く、何を売っているのか定かではありません。

隣には稲荷の鳥居が見えます。
はて?と首を捻りながら通り過ぎてきました。

海岸を歩いた。

2009年10月18日 | 日記

昨日と違って今日は秋晴れの好天。
歩きに出かけました。

久しぶりの海岸へ向かいました。
ここを歩くのは何年ぶりかなと考えながら。

台風の余波でこの散歩道は通行止めになっていました。
日が過ぎているから大丈夫、歩き始めました。

海は秋の陽に映えて綺麗です。
この道の中間辺りまで歩いて行きました。


駄目でした。無理をすればと思いましたが。
今の私の足腰では少し無理があります。
往復登りが有ります。

途中、廃業した旅館の哀れな様子を見ながら道を登ります。
街中へ入りました。

ほのかに匂いがします。
はて、何の匂いと上を見ると金木犀の木が花をつけています。

60年昔、高校へ通う道の傍にこの花が咲いていて匂っていました。


少し張ってきた、足腰をかばいながら家に着きました。
距離はおよそ1.5キロでした。

予算

2009年10月17日 | 日記

今にも雨が降りそうな空です。
孫家族は、学校の廃品回収、お婆さんも応援に行ってきました。

朝刊を読んでいました。
鳩さんそれなりに頑張っているようです。

国交大臣は少し口が軽いようです。
一郎さんは企業献金、政治家のパーティー禁止の法案を出すとか。

予算案を見ました。要求の総額は97兆円、税の収入は40兆円いくか?
不足はどうする?増税は出来ないでしょう。

もっと削れと言って居るのですが、税収だけでまかなえない、増税も出来ない。
後は国債の発行ですか?

個人は給与は減っています。
かって小泉は言いました。国債は30兆円を限度にすると。

駄目でしたね。
鳩さんはどうするのか?

個人の家庭で言えば、600万円必要、収入は300万円に満たないってことに近い
ですね。

それでは、銀行に借りる、銀行は貸してくれません。
仕方が無いから、ローン会社に頼る。

これ金利が高いですね。
最後はどうなりますか?

ばら撒きに近い支出、景気の回復は思わしくない。
これでは税収は増えません。

議員は全てボランティアにして率先見本を見せる。
議員報酬は減額するのしょうか?

道行く人はお偉いさんがやるから大丈夫と考えているのでしょうか?

小旅行蛇足

2009年10月16日 | 日記

この所晴天が続いています。
秋晴れの空は気持ちが良いですね。

今回の小旅行で車で移動の助手席で漠然と考えました。
シニア、団塊の世代と言う人達が田舎への移住を、と言っています。

大企業などで高額の退職金、比較的高額の年金を受け取る人はまだしも
これらが多くない、中小企業の人達は移住もままならないのでは無いかと?

小田原市は高層のビルも少なく、少し郊外に出ると田畑が見えます。
それでもコンクリートの箱の中で仕事をし、コンクリートの箱の中で生活する人達は、海、山に住む期待はあるでしょう。

しかし、海、山の生活は楽しみばかりでは有りません。
海、山で生活する人達は、自然と向き合って生きています。

人情が濃いと言いますが、古い人間同士の生活、俗に言う根性もあります。
これにぶつかると移住しても困難があります。

私もかってこれに似た状態を経験しています。
ゴミの分別収集を当市で始める時の説明会のことです。

当該地区住人では無い人が、説明会に参加をしました。
発言を求めました。

自分が前に住んでいた都市の状況を得々と話しました。
会場の雰囲気はしらけてきました。

当時当該地区の責任者は私です。
彼の発言を止めさせました。

気持ちの良いものでは有りません。
その点、小田原は丁度良い規模の市かな、など考えて車中の助手席で考えました。

私の市、人口は少なく、昭和の合併で大分時間がたちますが、まだ根性は
あります。

働く場所も少なく、平均以上に高齢化が進んでいます。
若い人達の働く場所が無いのです。

隣町には棚田があります。
高齢化で働く人が減っています。棚田オーナーを募っています。

当市を中心に一市三町の合併も破綻しました。
原因一つは根性もあるのかなと考えています。

小旅行最後

2009年10月15日 | 日記

15日、今日も晴天です。
小旅行のブログ今日で終わりです。
たった2日の旅でしたが、私の気持ちの中で、何か変化が起こりそうです。

先ずは、体、特に足、腰の状態に自信を持ちました。
また、歴史の持つ重みを実感できました。
残念なのは、城の中が展示品ばかり、往時の大名の生活の跡が見えない事です。

城の細かい説明を読む間もなく、先に進む女房、娘、余り興味は無いようでした。
往時の権力者の力を偲ぶ、これは興味が尽きません。

展示は先ず、槍、薙刀です。

続いて鉄砲

忍者の道具、想像より大きい。

城の小窓から公園を俯瞰
天守から相模湾を一望、海に近い私には山より海です。

天守で展望済ませ、畳敷きの椅子で一休み、ブログに顔の見える写真は載せませんが、本人ですからOK
登りきった階段を降りてきました。
電車の走る音が聞こえます。
眼下を見ると、遊園地を走る、小さな電車が見えました。

小田原の駅に向かいます。女房のお土産買いを、婿殿と来るまで待ちます。
やがてJRの電車に乗って、帰路へ。
車中では来る時と似た風景、前の座席に2人連れのご婦人、お喋りに夢中。

女房が言いました。
あの人、冬美に似ていると、私はそうは思いませんでした。

喋るのは、少しきりょうが???の人でした。
JR少し遅れていました。

熱海で電車を1本見送りました。
登りの階段を終わると同時に電車は出て行きました。

急ぐ旅では有りません。缶ビールを買って、弁当を食べて発車を待ちました。
終点の駅には、チビ孫2人、迎え来ています。

親友が帰ったぞと言いながら、末娘の運転する車で家に着きました。
チビ孫2人は土産の催促です。

女房がポテッとチップを渡しました。
直ぐに空になりました。

足、腰に自信のついた私はこれ以後、歩くように努めています。
多少腰が張ったり、痛くなりますがゆっくり歩けば2キロ近く歩くようになりました。10日余お読みくださった方々にお礼申し上げます。

城紀行

2009年10月14日 | 日記

10月14日、今日は晴れたり、曇ったりしています。
城の中へ入ります。
入り口で花が向かえて呉れました。

城の中には色々なものが展示してあります。
写真は禁止ですが、デジカメのISO3600の感度、フラッシュをピカリしなくても写せます。警備員が監視していますが、光らないので分かりません。
まずは浮世絵などのコーナーです。
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/c2/387ddab3cff466d1ed45b4dc11e65f16.jpg
何時の時代か分かりません。
順路に沿って進みます。
まずは籠です。

乗ってみなければ分かりませんが、窮屈な感じにみえました。
次は鎧、どれくらいの重さか?結構重そうに見えました。

これで自由自在に動いたのですね。また感心しました。

窓の隙間から屋根が見えます。
その向こうは小田原の市街。
階段は予想したとおり結構急です、手摺に摑まりながら登りました。
天守は次第に近くなります。興味は尽きませんでした。
画像のサイズが大きく少し見難いかも知れませんがお許しの程。