今日は陽射しが無く寒い日です。
歩きに行こうと思っていましたが、寒いのでやめました。
予報は、午後は少し晴れ間ががと聞いていましたが。
少しも晴れ間は見えません。
午前中の方がまだ陽射しは少しありました。
昨夜、末の娘が為替のことを聞きました。
円が高い、安いは?
これが金利とどう関わるかなどです。
孫6番の誕生日を祝っていましたから、孫2人一緒です。
娘はなかなか理解しません。
ズーット話していると、側に孫7番が来ました。
横に座って言いました。
お爺ちゃんは一人で喋ってばかり居てはいけません。
おれっちは話が出来ないよと。
為替の変動の話は孫たちには念仏でしょう。
郵便局は民営化されましたよね。
解説によると、日本郵便の下に会社が四つぶら下がると聞いています。
この写真は当地の郵便局、ロゴマークは変わりました。
窓口で聞きました。
この建物の中には2つ会社があるそうです。
どの会社かは分かりません。
郵便の集配はやっています。
貯金も保険もやっています。
利用者から見ると、今までと何も変わりありません。
末端では何も変わっていませんが?
大騒ぎさせた小泉はハイさようならです。
反対した亀さんが今は張り切っています。
株主が一人、株は売り出すのを止めたとか。
どうなるのでしょう?
今日は曇り空です。
背中が寒くキルティングの入った上着を羽織りました。
今日の写真は裁判所、小さな市ですが国の機関は幾つかあります。
公共機関の管轄、分かり難いですね。
大本は国でしょうが、出先の管轄は名古屋、横浜、東京など色々です。
裁判所などは普段余り関わりたくないところです。
民事などでは仕方ないこともあるでしょう。
当地は弁護士の数はきわめて少ないのです。
少ないから民事、刑事、海事に全て関わります。
これでは中央の大きな弁護士事務所の人には太刀打ちできません。
過疎地の嘆きです。
海岸を歩いてきました。
好天ですが風は少し冷たい感じでした。
港湾の入り口に、海上保安部があります。
國の組織はややこしくて分かり難いのです。
海上の事故、遭難などに対処し、海事警察のようなこともします。
これは警察の関係の部署と、長いこと思っていました。
これが違うのでね。元は運輸省、今は国土交通省の一部なのです。
国交省、ダムばかりではないのです。
人が逃げる、避難する天候に出かけて行くのです。
今は巡視船、小さな砲も積んでいます。
建物を改めて見ました。身近すぎて遠い存在です、私には。
私はコンパクトデジカメ、何時も持ち主と一緒に居ます。
車の中、歩く時、食事の時も一緒です。
シャツのポケットに納まっています。
少し気になると、お出ましになります。
お相手は、道行く人、空、花、景色、手当たり次第です。
ハイポーズの写真は余り好きではありません。
気に入らなければ、ハイさようならです。
気ままな性質です。
持ち主に似たのでしょう。
持ち主が寝ている時は私も寝ています。
餌の電池は持ち主が準備してくれます。
私が気に入ったものを載せました。
夕陽に映える河口です。
少し表情が暗かったので持ち主が装ってくれました。
パソコンの中身を整理しました。
昨日だけで終わらないのです。
今日も半日掛かりました。
やっとブログを書く順番が来ました。
昨日、少し草臥れて海岸沿いの公園を歩いて見ました。
山際に沈む太陽が何とか写せました。
太陽の撮影は難しいですね。
パソコン、時折異音がするのです。
HDDのトラブルを心配しています。
起動ドライブを丸ごと外付けのディスクに移しました。
時間が掛かりました。
およそ10時間、これで理屈は内臓のHDDは丸ごと移したことになりますが。
内臓HDD交換して上手く移動できるかわかりません?
今日は朝のうちははっきりしない空模様でした。
今は、澄み切った晩秋の青空です。
昨日歩いて公園に行く道の途中に、大正時代の町の全景を写した写真がありました。
高い建物は殆ど有りません。土蔵作りの家が多く見えます。
写した場所は、私が昨日歩いた公園の小高いところからと思います。
90年余前、やはり町全体が大きく変わっていました。
第2次大戦で爆撃は何回か受けましたが焼け野原にはなりません。
一説によると、当地は土蔵家が多く焼夷弾では余り効果が無いからとも。
真偽のほどは分かりません。
建物の高層化、電車の開通、海上交通の変化などインフラの変化が原因でしょう。
空中写真も有ります。
一番上の写真が昨日写した市街地です。
空中写真で、場所の特定をしようとしましたが、半分位しか特定出来ません。
このような写真は専門家で無ければ駄目かなと思ってしまいました。
今日は好天、午前中パソコンや新聞を読んで過ごしました。
午後は散髪に行き、そのまま1年ぶりくらいで城山公園に行って来ました。
晩秋の陽射しの中、幾組かのカップルに出会いました。
若い、中年などです。
椿が咲いていました。あんこ椿の大島のようにはなっていません。
花音痴の私は、椿と山茶花の区別が出来ません。
すぐ上の写真が山茶花だと思うのですが?
一番初めの写真は椿です。これは今日写した写真、側に椿園と出ていました。
花の落ち方が違います。椿は花全体が、ぽとりと落ちていますが、
山茶花は、花びらが1枚1枚落ちて居ます。
音痴の私は、案内と花の落ちぐあいで判断します。
椿の花の落ちた後は何か汚らしい感じがします。
1年ぶりの城山公園、殆ど変わりはありません。
私の感覚が少し狂い、こんなに長い道?と感じました。
今日は気持ちの良い天気です。
オヒサマハありがたいですね。
写真は昨日の天気、色合いを派手にして頑張って歩いているご婦人です。
でも、天気は良いほうが気持ちも上を向きます。
パソコンいじっていておかしくなって困っていました。
Googleの画面を変えたのです。
これが原因で、見たいサイトが見えなくなりました。
やっと復元しました。
ああ良かったと安心したところです。
今日は朝から雨模様、肌寒い日です。
1年前の今頃は、よたよたして、脳外科の診察を受け入院待ちでした。
それは置いて、日本語の漢字の読み方です。
小学校の時でした、音読み、訓読みを教わりました。
教師が言いました、重箱、これはじゅうばこと読む。
重は音、ばこは訓だ、このように音と訓を重ねて読むのを重箱読みと言う。
他に表音文字と表意文字がある、とも教えられました。
その後余り気にすることなく過ごして来ました。
家の近所に美告と書いた名前の人が居ました。
どのように読むのか考えました。
ふとした機会があり、よしつぐと読むことを知りました。
今本を読んでいます。作者は写真の人、雅美です。
読み始めました、内容はどうも男の人の文章です。
私は、作者をまさみと読んで、女とばかり思っていました。
作者のプロフィールを見ました。まさよし と出ていました。
男でした。 なるほどと納得しました。
日本語、奥行きが深いと言うか、難しいと言うか、妙に納得しました。
人の名前は時代を写します。
最近は判じ物のような名前があります。
昔、男は太郎、女は花子、と聞いた事があります。
誰にも分かりやすい名前をつけて欲しいですね。
今日は好天です。
新旧を比べて来ましたが、今日までにします。
欠乏所と言うのが江戸時代末に当地にあったとか。
これは当地の港に停泊する、外国の舟に物資を渡す幕府の役所だそうです。
調べたところでは、この役所が直接外国船にものを渡したのではないようです。
必要な品物は、外国船と地元の商人が決め、商人は品物をこの役所に渡す。
役所は品物を外国船に渡し、代金を受けとって商人に渡したとか。
今の商社に似てますね。利ざやを取ったかどうかは分かりません。
面積は結構広かったようです。欠乏所跡を歩いて見ると、正面は80メートル位
奥行きは50メートルくらいではと思って居ます。
現在はその殆どを、スーパーが使っています。その横に眼鏡屋、なまこ壁を残す
レストラン、ブティック、などがあります。
スーパーの正面。
角からスーパーを眺める。
裏口から眺めると、案内板が見えます。
黄色とオレンジの日除けが見える、少し先が角になります。
レストランの入り口には欠乏所跡の説明が出ています。
この場所は、私の子供の頃は、大きな和風旅館でした。
旅館の玄関には昔を思わせる大きな門がありました。
この旅館の左には、小さな門があり、奥は木々がありました。
悪童たちはこの小さな門を乗り越え、夏は蝉取りに夢中になりました。
当時この建物の裏は田圃だったような記憶があります。
この旅館の持ち主は、町長を勤めていた町の名士です。
このスーパーの二階には、ボーリング場もありました。
当初に入ったスーパーは、破綻し現在のスーパーに吸収されました。
140年以上昔と、現在、60年前と現在の今昔は今日までとします。
今日は雨になりました。
少し寒い日です。
古い写真との対比、もう少しお付き合いお願いします。
およその場所の見当はつくのですが。
いざ新旧を比べると少しずつ違います。
人間の作ったものは変わって行きますが、自然は余り変わりません。
もっとも人間が作り変えた自然も有ります。
この写真の橋は昔は有りません、橋の横下に小さくコの字型に見えるのが
小さな川の川口です。
橋は国道135号の一部です。
橋の両端には、人魚の塑像が着いています、人魚橋と呼んでいます。
この大きい方の川を稲生沢川と呼び、もう少し河口に行くと、最近作り変えた
下田橋があります。
古い下田橋は橋脚が沈み、老化し橋の面は歪んでいました。
橋の幅も狭く、市内に入るネックでした。
もっとも市街地は道幅が狭く、大型車両は入れません。
市街地を自由に曲がることの出来る車は2トン車まで。
少し大きいマイクロバスが来ると道いっぱいですれ違いも思うように出来ません。
歩道も殆ど無く、人の通行は大変です。
昨日とうって変わった肌寒い曇り空です。
今日も今昔の写真です。
上が昔、下が今です。
対岸から写したと思うのですが、対象になる建物が様変わり。
岸壁の様子も変わっていて、撮影場所を特定することが難しいのです。
今の写真を写す都度、60年余の変化を実感します。
茶色に見えるの家か、その隣あたりが、昔の写真の場所ではないかと思いますが。
土蔵の家は全くありません。
魚市場も移転しました。
今の写真を写した場所は、昔は馬鉄と言って馬で曳く無蓋の貨車が鉱石を運び
舟に積み込んだ場所あたりです。
写真を見ると、昔の写真は望遠レンズ使用をしていたように思います。
山の様子はこれほど近くでは無いのです。
家は変わっても、川、山は変わっていませんから。
昔は川が、家の直ぐ前を流れていました。
今は道路が拡幅され、石積みの岸壁はコンクリートになりました。
川の中ほどに州がありましたが、これも浚渫でなくなりました。
今日は風が強い、晴天です。
雲は全く見えません。
今日も昔と今です。
昭和20年代、私が12歳から22歳くらいになるでしょうか?
この古い写真の場所には行っていると思うのですが。
風景の記憶は全く残っていません。
もっとも回りの景色、風景には興味が無く、その時代は当たり前と考えたのでしょう。
覚えているのは、このふるい写真の左突き当たりにトンネルが掘られたこと。
嘘か本当か分かりませんが、これを手がけた土木会社、岩盤が悪く損をしたとか?
高度成長になる前のこと、どのような工法で施工したのか分かりません。
この会社は今は有りません。
今はこのトンネルを通って、水族館へ行きます。
大きな看板も出ています。
写真を写した場所は、古い写真と差ほど違いはないと思って居ます。
古い写真の道を通って、大浦海岸と言う海辺に海水浴に行ったのですが
記憶は何処かへ飛んで行ってしまいました。
この海岸も、沖に浮かぶ岩には変わりは有りませんが、人の住む所は変わって
居ます。