3月11日は東日本大震災の日であり、忘れようとしても忘れられない日である。
東日本より離れていたここ関東でも揺れていたし、
あわてて震源地を知るためにつけたテレビで、ヘリコプターが撮影している津波で建物が呑み込まれていく映像を、私も窓サッシのカギをあけ、大黒柱にしがみついてリアルに見ていた。
自分の家のあちこちにピッと亀裂が目の前で走るのも見た。
(阪神淡路の時はテレビをつけていなくて、ネットもしていなくて、遅れてテレビで多分ある程度の配慮、編集はしてあるだろう刺激の少ないものを観たのだった。
リアルといえば去年のフィリピンを襲った台風の目の映像、あれも見えていてもどうしようもなく、逃げ延びてほしい、コースをそれてほしいと本当につらかった。)
日中、三年前のあの時期を考えていた。どうしてもあの時期の抗がん剤を打ちながら病棟を避難した母親のことも、逆に病院に避難しにきた人のことも、父を預けていた老人ホームが機能しなくなり水を入れるタンクをここから買えるだけ買って駆けつけたことも思い出していた。
夕方、新聞を取りに庭に出てみると、小さなパンダウサギのようなものが小鳥の餌を置いてある場所にいるので、確認しようと近づくと脱兎のように逃げてしまったが、
絶対に小柄な白黒猫、この柄ばっかりみるが、またシーズンが来るわけで、これ以上増えないように頑張らねばとつぶやいた。
そして翌日日向ぼっこをしている白黒猫の姿がありようやく2枚シャッターを押せた。
そして拡大すると、
なんと猫の耳がすでにさくら耳、
めいすぅリーダーにも聞いてみたが心当たりがないという。うれしいとのこと。
ここに住んで初めてであり、なんてすばらしい事。
11日が私の猫人生にかかわる部分だけでは少し「いい日」に上書きされたようである。